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第11回 モンロー主義

私が高校で初めて世界史の教科書で「モンロー主義」なる語を見た時、「マリリン・モンローと何か関係があるの?」と本気で思ったものでした(笑)。
しかし当り前ですが、関係はなく、そして第一次、第二次世界大戦共に、更には第一次大戦の戦後のアメリカの動向に大いに影響を与えるものでした。
尚、私は「モンロー宣言」とも習った記憶があるのですが、正式に宣言というものはしてないそうです。

1823年12月、第5代アメリカ大統領ジェームズ・モンロー(当時65歳)が議会へ送られた年次教書の内容だとされています。それは、
・ヨーロッパ諸国の紛争に干渉しない。
・南北アメリカの植民地化を、これ以上望まない。
・現在、独立に向けた動きがある旧スペイン領に対して干渉する事は、アメ
 リカの平和に対する脅威とみなす。 などです。
19世紀初頭のナポレオン戦争で、弱体化したスペインを見て、中南米の植民地諸国は次々に独立の動きを見せました。ナポレオン失脚の後、一時的に権力を握った反動的なオーストリアのメッテルニヒ宰相の干渉に対するものだと思われます。また表面的には独立運動を援助する動きを見せながら、実は南米諸国を独立させて自国の産物を売りつけようとするイギリス、アラスカから南下する動きも見せているロシアを牽制する意味もありました。

この相互不干渉政策は長らく続き、第一次大戦、第二次大戦へのアメリカの参戦は躊躇し遅れました。この是非はともかく、戦争が長期化して多くの戦死者が出たのも事実です。
さて、ヨーロッパ諸国を締め出し、「南北アメリカはアメリカ合衆国の縄張り」を完成すると、第7代大統領ジャクソンは国内での先住民の追い出しを始めました。
1830年にインディアン移住法が制定され、豊かな南部から劣悪な砂漠地帯への移住を強行しました。先住民は移動の途中で多くが亡くなったのです。
更に1846~48年にアメリカはメキシコに戦争を吹っかけ、テキサスや太平洋岸のカリフォルニアを奪って、大国への道を着実に歩んでいったのです。(続く)


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