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第71回 日独伊三国同盟

1940年8月3日、ソ連は戦争が混迷している隙に乗じて、隣のバルト三国を併合しました。ナチス侵略の陰に完全に見過ごされました。
8月から9月にかけてドイツのイギリス空爆は更に激しくなりましたが、イギリスも精巧なレーダーを発明し、ドイツの爆撃機の場所を特定して撃ち落とし、反撃に転じていました。

9月27日、日独伊三国同盟がベルリンで調印されました。
ヒトラーはご機嫌でした。
「日本は有史以来、まだ戦争に負けた事がないという。そんな国と同盟を結べて良かった」
ただ、内心は日本の事を完全には信用していませんでしたが。それは1年も経たない間に、日本が日ソ中立条約を結んでいるのにドイツがソ連に侵攻するというちぐはぐな連携のなさを露呈します。
日本はその頃、フランス領インドシナを更に南へと進駐していました。目的の一つは資源が欲しいこと、そしてもう一つは蔣介石への援助ルートを遮断する事でした。
「この日本の行為を何とか利用できないものだろうか。いやできる」
ローズベルトはにんまりと笑ったのでした。(続く)

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