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第110回 1942年前半の動き

「バターン死の行進」が全米各地で伝えられると、アメリカ世論は
「ジャップを全滅させろ!」とますます激しいものになっていきました。
一方、日本軍の快進撃の一つとして、東南アジア現地の人々がヨーロッパの植民地支配から解放してくれるものと思って喜んで協力してくれた事がありました。
しかしそれはすぐに間違いだと分かりました。日本軍に支配されると、より過酷な収奪、強制労働を課せられたからです。

1942年4月末、イタリアからアメリカに亡命した科学者フェルミは、コロンビア大からシカゴ大へウラン冶金研究のため異動しました。
多くの学者がシカゴ大に集められました。シラードやウィグナーも異動しました。デンバー大学のスターンズ教授も異動したので、教え子のアグニュー(広島原爆の写真を撮影した科学者)は恋人のビバリーと結婚してシカゴ大へ移りました。

やがて太平洋戦争に転機が来ました。6月5日、ミッドウェー海戦が行われたのです。(続く)

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