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想起される過去、そして情報

 広島の平和記念公園に行くと、僕は『日本人である』というアイデンティティーを意識せざるを得なくなる。もちろん人にもよるだろうし、広島県内に住んでいる人と、そうでない人でも感じ方は異なるのかもしれない。ただ、平和記念公園の慰霊碑の前で、僕は日本人として広島の歴史を捉え、その風景から日本を「被爆国」として捉えていく。

 1945年8月6日、午前8時15分、エノラ・ゲイ号から投下された原子爆弾は広島市上空で炸裂した。時間の経過とともに、それは過去に起きた出来事として、人々の『経験』から『記憶』へと変化していくが、都市空間には、その痕跡がしっかりと残され続ける。当時の広島県産業奨励館は、今もなお被爆建造物として存在し、僕らはその場所で、当時の悲劇的な状況を想像することができる。

 しかし、例えばシアトルに在住している米国人が、たまたま観光客として広島に訪れたとしたら、この被爆建造物にどのような価値や歴史性を見出すだろう。少なくとも 僕のそれとは異質なものに違いない。

 過去の出来事は、出来事として確かに実在しているにも関わらず、出来事に対する解釈は立場、すなわちコンテクストに依存しながら様々に変化していく。スミソニアン航空宇宙博物館に展示されているエノラ・ゲイ号を眺めながら人は何を思うのだろうか。少し考えてみると、価値認識の文脈依存性が垣間見えてくる。

 日本人にとっては、原爆を広島に投下した爆撃機、14万人の命を奪った悲劇の元凶であるかもしれない。しかし、米国人の瞳には、長期化し、泥沼化した太平洋戦争を早期終結させた記念すべき飛行機として映るかもしれない。存在した過去の出来事について、そこに抱く価値観や歴史性というのは、見る人によって大きく異なるのだ。

『過去は実際にはそれ自体として再生するのではない。あらゆることがらが示唆しているように思えるのは、過去は保存されるのではなく、現在の基盤の上で再構成される、ということである(モーリス・アルヴァックス 1992:39−40)』

 “歴史は常に新しい” というコピーがあったけれど、過去に存在したはずの確かな事実でさえ、複数の解釈可能性があるということは、過去というものが、存在論的なあり方というよりも、むしろ認識論的なあり方をしているということを示唆する。

 さて、医療現場において情報の正しさが議論されることは多々ある。確かに科学的な根拠に基づいた情報を積極的に活用して医療を提供しなければ、呪術的な医療と何も変わらないように思う。僕自身、臨床をめぐる価値判断においては、科学的根拠、つまりエビデンスを積極的に活用すべき、という立場をとっている。

 しかし、情報の「正しさ」というものを突き詰めていくと、結局のところ「そもそも正しい情報とは何か」というテーマにたどり着いてしまう。

 過去の出来事、これには医療に限らず様々な「情報」も含まれるように思う。もちろん現在進行形の情報もありうるが、それを解釈し、理解し、記憶し、想起するという一連のプロセスの中で、「情報」は少なからず過去性を孕んでいる。

 情報が過去性を帯びているのならば、先のエノラ・ゲイ号や、広島の産業奨励館と同じように、あらゆる情報の解釈もまた、解釈者のコンテクストに依存して様々である。実際、同じ天気予報の降水確率を見ても、傘を持って家を出る人とそうでない人がいる。

 情報とはコンテクストに沿った妥当性があるだけで、そこに絶対的な「正しさ」なるものが実在しているわけではない。情報は社会の営みの中で、どのようにも正当化しうるし、逆にそれが問題となることもあって、つかみどころがないものと言った方が良いかもしれない。現象学的にいえば、情報は価値判断における人の確信の源泉であって、そこには客観的な正しさは含まれていないのだから。

 「正しい情報」というような情報は実在しない。大事なのは情報が正しいか否かではないのだと思う。”ある情報によって、幸せになれるかは、人それぞれだよね” という理解こそが、情報との向き合い方において重要なのかもしれない。

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