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きみの世界に、青が鳴る

河野 裕 著
階段島シリーズの完結編

ついに、あの階段島シリーズが完結しました!!
まぁ、初めにこの「きみの世界に、青が鳴る」を読んだのは、去年の6月くらいなんですけど。2回目を読みました。

やっぱり、なかなかつかみどころのない作品かと思います。
大人になるためには、何かを選択して、何かを捨てなければいけない。
大人になるためでなくても、人生は選択の連続だと思います。
それでも、”子供”はすべてを欲し、手に入れようとする、それを許し、見守るのも”大人”の役目なのかなと思います。

それでも
大人でも、子供でも間違うし、元から正解なんてないようなこの世の中で、正しいっということをするのも難しい。

この作品は、そんな中で、葛藤しながらも自身の正解、正義ともいえるようなものを見つけていく、貫きとおす、何回も間違って、それでもとずっと考え行動していく。登場人物たちが、そんなんだから、その物語を読んでいる僕たちも、考え続けようと思うのかもしれません。

あらすじ

僕、七草と、真辺。群青色の空に輝くピストルスターのように圧倒的にまっすぐな光の瞳。僕の信仰。この物語はいったいどこから始まりどこに終わるのだろう。おそらく彼女に出会った時から、始まった。階段島での出来事も、相原大地という少年をめぐる出来事も、現実の出来事も。それらが行き着く先が僕と彼女の物語なんだろう。
だから、僕たちは今、選ばなければいけない。成長するとは何なのか、大人になるとは何なのかを。


いなくなれ、群青からの勢いは止まらず、最初から最後まで、本当に
心を穿つ青春ミステリ
です。


本当のやさしさとは何だろう

分からないよね。
誰かを想って助けるのも優しさだし、
誰かを想って教えるのも優しさだし、
誰かを想って救うのも優しさだし、
誰かを想って励ますのも優しさだし、
誰かを想って叱るのも優しさだし、
誰かを想って送り出すのも優しさだし、
誰かを想って怒るのも優しさだし、
誰かを想って預けるのも優しさだし、

優しさにはいろいろなカタチがあるのだと思う。
でも共通しているのは、誰かを想っていること。かなと感じる。

自分のことだけを考えているのは優しさとは違う気がする。

大切な人がいる。
でも周りの環境だったり、今の自分の状況だったり、いろんな要因があって、その人にきつく当たってしまうことだってあるのかもしれない。それはいけないことだ、悪だと断じて捨てる人もいるけれど、人間だもの、そういうことだってあるよね。それに、周りから大人だって思われていても、実際は何にもできない子供なのかもしれない。

周りの視線や期待、認識の押し付けから、しょうがなく”大人”をやっている人だっているのかもしれない。

最近はビジネス書をよく読んでいるので、少しそちらともからめようw
どこかの心理学者が、実験をやったらしい。とある監獄で、看守と囚人に被験者を分けて実際に役割を与えたところ、被験者は役割通りのことをしたというものだ。スタンフォード監獄実験と言えばピンとくる方もいるかもしれませんね。実験は、それぞれの行為がエスカレートしたため中止された。
人というのは役割を与えられると、その通りに役割を果たそうとするらしいです。

でも、そこに能力や経験が伴わなかったら?
例えば、家族というカタチの繋がりはとても複雑怪奇だ。
血がつながっているのに、いがみ合い分かり合えない関係だってある。その一方で、血なんてつながっていなくてもとても仲が良く、分かり合える関係だってある。
そんな難しい役回り、だれもが熟せるわけじゃない、と思う。

だから、だれもが間違い、修正しなければいけないのだけれど、いろんな要因があって、修正しきれない時もある。仕方がないと言ってしまえばそれまでなんだけど、やっぱり悲しい。何ができるわけでもないけど。

でも諦めきれなくて、だからこそ考え続けるんだろうね。
正解を求め続けて。

でも完璧な正解というのはたぶん、求めすぎると果てがない。
だから、求めすぎは絶望だ。

真辺にとって絶望は違うものだったから、それができたのかもしれないですね。僕には到底できそうにない。

優しさは、それこそ十人十色で不可解なものです。人それぞれがいろんなカタチの優しさを持っていて、残念ながらそれに気づけない人もいるから、少し寂しい。

これも僕の考えた結果なので、他人からしたら、ちょっと違うなと思うことも多々あると思いますが、それでいいかなと思ってます。他人がそう感じたなら僕は、その誰かにあわせて少しずつ寄り添えるようにしたいですね。
(フム、何を言っているのだろうか...)


階段島ついて

この階段島と呼ばれる場所は本当に不思議な場所です。
作り出した魔女によって、その形を自由自在に変えていく。それゆえに作る魔女には…
いや責任なんてものはないのかもしれません。
ただ、優しい魔女たちは、責任感からその場所を、できるだけいい世界にしようと努力して、

結果、その世界は優しすぎるほどに、歪で綺麗な世界が構築されたのだと思います。ここで綺麗という表現が正しいかは、わかりませんが。

階段島はとある、魔女によって創られました。階段島は魔女が創り出し、魔女が好き勝手にできる唯一の世界。ある意味、夢のような世界。

そこで、好き勝手にできる、なんでもできてしまうから、何にもしなかった魔女がいて、

なんでもできて、好きな人と考え抜いたすえ、とても優しい世界を創り、守ってきた魔女がいて、

時間をも関係なく繰り返すことができるから、何度でも繰り返し、正しい答えを求め続けた魔女がいましたとさ。

たぶんこの階段島では、すべてが正解で、すべてが間違い。
そんな解がひとまず、出るんじゃないかな。

実際になんでもできるという時、人は、人間は、何をするんだろうね。
僕の場合、今はインターン中ということもあるので、学ぶ時間がめっさ欲しいので、知識を知恵にするまでの時間稼ぎをしたいですねw

この階段島はこの物語の別名で「階段島シリーズ」といわれるほどですので、とても物語の中心となる、もはや登場人物かなと思います。
魔女によって産み落とされた子供。なんの知識も経験もなく、なんでも興味があって、なんでもできそうで、ほんと子供みたい。
そう考え始めると、ほんとに階段島が子供のようで、人々が捨てた自分が集まる場所だけじゃなく、本当に生きているように感じられるから不思議です。

真辺と七草

この二人は、ほんとどちらも不器用というか、他人のこと言えた義理じゃないですけど、とても不器用です。

でも、しっかり自分の芯というものをもっていて、とても尊敬できます。

この物語は二人の出会いから始まり、別離で終わる。
そう、成長というものが何なのかを二人を通して、とても考えさせられます。子供とは何なのか?大人とは何なのか?

いろんな人が考え、いろんな考え方があると思います。

好きな方の考えでも、うん?ちょっと違うなっていう時もあるかもしれません、それはそうですよね、そんなに完璧に同じ人間がいたら怖いですもん。
その違いも認めて、自分はこう思うけど、どう?とか議論できたらちょっと面白そう。そしてもっと分かり合えそう。

真辺と七草は、互いにとても違うことを認め合って、尊重し合い、フォローし合ってる。まぁ真辺が突っ走って七草がフォローしているように見えますが、そうではないのかなと思います。本当にとても稀有な関係だなと思いました。

まず、”まっすぐな針金のような”真辺のような存在が稀有なんですけどね。

最後に

よく、ライトノベルかと馬鹿にする人がいらっしゃいますが、純文学とか古文とか現代文学や新書、ライトノベルに技術書やビジネス本など。
それらは、著者が本気で、それこそ自分の人生をかけてきたともいえるものをぶつけています。

それらにジャンルやカテゴリ、世界や言語なんてものは関係なく、著者の心と人生が詰まってます。それらを馬鹿にして読まないのは人生損してますよ。

たぶん。例外もあるかもですが。そういうものはすぐに分かります。

この本を読んでいろいろと考えて、こうやって感想文をかいて、誰かがまた感化されて、この本やほかの本に触れる機会が増えたらいいなと思います。

この物語を創り出してくださった河野裕さん、イラストの越島はぐさん、また「いなくなれ、群青」から制作し、世の中に出版してくださった方々、この本を販売してくださった方々、

この物語に出会わせてくれてありがとうございます。

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