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「できない」を認める勇気

「できない」を認める勇気がほしい。
できる、と口にするのは簡単。
でもそれは、可能性の中でしか生きることができない。

できると口にするのは簡単だし、無責任だと思うこともある。誰でも、どんなときでも言えるセリフだと。

できないと言うには意思の強さが必要。
キッパリと言わないといけない。

「自分にはそれはできません」と言うには勇気がいる。
でもそこには「責任」が生まれている。
可能性の中で話をしない。とても現実的な話になる。

これまでの人生、若いからという理由で、何でもかんでも、できます、やりますと口にしてきたものの、
勝手にできなくなって、やりきれなくなって壊れてしまった経験は何度もしている。

しかもそれは、(一人で)できますという意味あいだったと思う。今思えば全く必要ないプライドだった。

なんというのか、世の中一人で出来ることなんて、マジで限られていると思う。体だって一つしかないのに。

子どもなら、責任が小さい状態ならまだいい。
でもオトナになれば、そうはいかない。

どうしたって、しないといけないことはある。

なのに、やりたいことも多い。時間がない。人がいない。能力が足りない。全てが揃っている状態なんてあり得ないのに、抱え込んでしまうのはなぜだろう。

いまだに、自分には出来るとおもっているのだろうか?


残念だけど、諦めないといけないこともあるんだと思う。無理なことに首を突っ込んでも何もいい事はない。

キャパが分かってないから、そうなるんだと思う。
あの人はできてるのに、自分はできないのが許せなくて認められないから、そんなことをしてしまうのだと思う。


やる気がそもそも全くなくて、改善する気持ちもない。
そんな人が「できません」というなら話は別。  

やる気もある。頑張ってもいる。なのにうまくいかない。キャパが超えそう。 


そんな中で、キッパリと「それはできません」というのは別にいいんじゃないの?と思う。
多分、そうしてる人はうまく立ち回って生きていけてるのかもしれない。仕事でも、プライベートでも。

あと、自分の中で失敗したな、というかうわって思っていたのは、「自分に厳しくしすぎること」だった。
謎なプライドの高さから生まれる、基準の高い行動。それ以外をすることは許せない。
なぜか相手のこともその目線で見るからジャッジして、勝手に期待して勝手に萎える。そんな感じ。

何がおもろいんだろ?と。
生きにくい。それはさすがに。

自分は自分、相手は相手、と分けられていればいいけど、そんなこともできない状態でそれは違うのでは…と思いはじめたのは最近のことだ。

あと、できなかったときにめっちゃ落ち込む。
客観的に見ればできるわけがないことでも、そう思う。
自分はスーパーマンだとでも思っているのか?

そんなことはないのに。

ただの人間であると、まず受け入れることだと思う。
なんか劣等感が強すぎるあまり、自分は特別だと思いたいんだろうけど、そんなこともないし。

アニメの主人公みたいな才能なんてない。

「俺には無限の可能性があるんだ」

まあ思っててもいいけど、なんかね…

確かに才能は一人ひとりに内在している。
よく言う宝石も磨かないとただの石、というやつだ。

なんか、そこに酔っているだけなんじゃないかと。
感じるようになった。

別に諦めろって話じゃない。ただスーパーマンでもなんでもない人が、何かをするには一人では無理だと言いたいだけだ。


俺はできるんだって言っているとき、思っているときは気持ちいい。確かにそう思う。
そのときに客観視できてるかと言われたら、微妙だよね。周りが見えてない。

自分勝手に動いてミスる。しかもそのミスは命取り。
けっこうあった。今までも。

できないと認める強さが欲しい。
できないのは、一人だからであって、誰かがいればなんとかなるケースはある。
相手にだってできないことはあるわけだし。

一人でやっているように見えて、才能に溢れているような人だって、周りには多くのパートナーがいる。
見えていないだけで必ず存在していると思う。

自然と「できないから教えて」とか「行き詰まったから助けてほしい」と言えるようになりたい。

最近気づいた。こう言うことも、ここでつぶやくんじゃなくて、誰かに直接言うだけでも全然ちがうんだと。

見てほしい、分かってほしい、という気持ちばっかり。
助けてのひと言が言えるだけで全く違うのに。

ここ数日、誕生日もあって色々な人と話した中でそう思った。

まあ言いたくないときは言わなくてもいいんだけれど。
やばいときにこそ言えるようにはしておきたいよね。

思っているよりちっぽけで、社会に与える影響なんて、そんなに大きなわけでもない。
今の自分は。

まず、本当にそれを望んでいるのか。

本当に望むなら、その分負荷も大きくなる。
そこに耐えられる気持ち、体力、能力があるのか。
人との繋がりはあるのか。そういうのは考えていかないといけない。

人との繋がりをつくる、縁を大切にするうえで大切にするのは、相手の大切なものを知っておくことだと思う。
そして、理解できるように努力すること。

同時に、自分のできることを伝えておくと良さそう。

パッとアイデアが浮かんだとき、苦しんだとき、お互いに支えられる力が何なのか分かっていれば、スムーズに物事を進められる。  

気持ちの繋がりも大切。ロジックだけで人は納得しない。人として好きなのかどうかは重要だよね。

そんなことを思った夜でした。

最近は少しずつ人と話す機会が増えて楽しいです。
なんか些細な会話をチャットでするのがめっちゃ苦手だと思うので、少しずつやっていこうと思います。

人との繋がりは大切にしたい。

10月もあっという間に終わる予感。

最後に周りの方への感謝を書き記して終わることにします。

ご飯があること、家に住めていること、まずこれに感謝。寝てばっかりの自分に、快適な家があってとても助かっています。

パートナー、周りの大切な友人。
こんな状態の(知っている人、知らない人さまざまだけど)自分に関わってくれていること。忘れていないこと。気にしてくれていることに感謝。

こういう難しい症状に対して、広い心で接してくれているみなさんには頭が上がりません。ありがとうございます🥲

人生は、自分から始まって、周りの人を大切にすることで豊かになると、本当に思います。
まだまだ未熟で自分のことしか見えてないですが、
広い心を持った優しい人でありたいと思います。

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