生きてるって感じる瞬間
街路樹の葉の色が日に日に濃く艶めいていく5月の、1年間で5本指に入るだろうと思えるほど過ごしやすい気候の日だった。
日当たりのいい大きな窓がめいっぱいの太陽光を取り込み、そよ風が優しく肌を撫でていく。店内BGMは松田聖子「渚のバルコニー」。
完璧だ。私の人生においてこれほど完璧なランチはそうそうないだろう。ボロネーゼをフォークに巻きつけながらインスタのタイムラインをスクロールしていると、ある広告に指が止まった。
池袋東武にて開催中の「昭和レトロな世界展」。本日最終日。
食べ終わったら家に帰るつもりだったので少し迷ったが、急遽行くことにした。残りのボロネーゼを食べながら、会場までの交通ルートなどを考えている時、私はふと思った。
なんか、生きてるって感じがする。
その感覚は、1ヶ月近く前に錦糸町に行った日を思い起こさせた。
ユニクロとMame Kurogouchiのコラボ商品を試着して買うために御徒町のユニクロに行き、そのあと純喫茶 丘に入ろうとしたら満席だったゴールデンウィーク初日。
じゃあタイミングを逃し続けていた『ドライブ・マイ・カー』でも観に行くか。そう思い立って雨の降るガード下で上映情報を検索している時、そうそう、こういうのだよ、と自分が求めていたものに気がついた。
ちょっと時間が空いたから映画でも観ようかなってふらっと映画館に行く、この感じ。私はこういう休日がやりたかった。早起きしたので途中で寝てしまわないか少々不安ではあったが、映画館で映画を観る時はだいたい事前に予定を立てて出かけるから、たまには行き当たりばったり感が欲しくなるのだ。
もっと言えば、たまたま立ち寄った映画館で、ふと目に止まったポスターになんとなく惹かれて、最小限の事前情報しかない状態で映画を観る。そういう、行きずりの映画体験がしてみたい。
錦糸町オリナスという商業施設の4階にあるTOHOシネマズ。近場でちょうどいい時間に上映していたのはここだけだった。
窓口でチケットを買い、上映まで約1時間。晴れていれば散歩か純喫茶に行くところだが、雨足が強くなってきたのでオリナス内で時間を潰すことにした。軽度の過眠症ゆえ既に軽い眠気を感じていたが、3時間の作品でコーヒーを飲むのは利尿作用が怖い。フードコートに行ってみると、クレープ屋の「クレープの日100円引き」のポスターが目に入った。途中でお腹が空くかもしれないし、久々にクレープでも食べてみるか。
500円から400円になったいちごブルーベリークレープを買い、屋根のあるテラス席に出た。錦糸町駅前を一望、とまではいかないが、墨田公園やホテル、近年開発されたマンション群が見える。
一見ありふれたフードコートの中に、ここでしか見れない景色があるのなら、私は多少の肌寒さくらい我慢する。私の他には、制服を着た中学生か高校生のカップルが肩を寄せ合ってタピオカドリンクを飲んでいた。
GWにフードコートのテラスでひとりクレープを食べている大人の女をどう思うだろうか。一瞬そんなことを思ったが、彼らは私なんかに目もくれなかった。あとから入ってきた小学生男子の集団も、大学生くらいのカップルも、私なんか視界に入ってすらいないようだった。別に見られたとしても気にしないのだが、そんなことを想定していた自分が少し恥ずかしくなった。
昔、原宿のクレープ屋で一人でクレープを食べていたら、「あたしこないだ一人でクレープ食べたよ」「マジ!? 一人でクレープ食べれるとかヤバくない⁉︎」という会話が背後から聞こえてきたことがあるが、一昔前のぼっち飯に対する憐憫の風潮は確かに薄れた気がする。今時の子供は、他人が一人でクレープを食べていたところで何とも思わないのかもしれない。
雨のテラスに出てくる人は意外と多く、私の斜め後ろの出入り口のドアが開閉されるたびに、室内の生暖かい空気がぶわっと身体に吹き付けてきた。
男子中学生らしきグループが私の斜め前のテーブルに座り、「あいつ川崎に住んでるってすげえ自慢してきてうぜえ」と誰かの悪口を言い始めた。
「川崎に住んでんの!?」
「そうだよ、わざわざ来てんだよ。俺川崎に住んでるから今日も高速乗って来てさ、とか言って」
はて、川崎とはそんなにステータスなのだろうか。そういう世界観に疎い私にはよくわからない。
再び私の斜め後ろのドアが開き、鉄板に乗ったステーキを持った男子が合流してから、彼らは川崎の話をしなくなった。テーブルに置かれたステーキが勢いよく放つ湯気が、隣のカップルに思いきり直撃していた。彼が噂の川崎野郎なのか。
私もこういうショッピングセンターが徒歩圏内にある学校に通って放課後に寄ったりしてみたかったな、と一瞬羨ましくなったが、でも友達も彼氏もいなかったし、一人で行ってクラスメイトに遭遇するのも嫌だから、あったところで行かないか、と思い直した。
本を読みながらだらだらクレープを食べていたら、上映時間が迫っていたのでトイレに行き、ブラジャーのホックを外した。
本来は支える必要も形を整える必要もない平らな胸に装着させられているブラジャー。乳房がある前提で作られているウィメンズの洋服のシルエットを保つためと、乳首が透けて街ゆく人々を無駄に動揺させないためだけに着けているブラジャー。
ホックを外してストラップで肩に引っ掛けているだけの状態であっても虚乳ゆえ機能的には問題ないし、じっとしていればズレないので服の外からは誰にもわからない。よりリラックスして作品に向き合うために、胸を締めつけるブラジャーは要らない。映画を観ている時間だけは、マジョリティの女の胸を装うことから私は解放されるのだ。
そうこうしているうちに、余裕があったはずなのに結局ギリギリに席に着いて、私はいつもこうだよな、と思う。
(次の段落、映画のネタバレ含む。画像で段落を挟んでおいたので、ネタバレを避けたい方は薄目で2枚目の画像まで飛ばすのもおすすめです。)
『ドライブ・マイ・カー』劇中の高槻(岡田将生)という人物が、行きずりのセックスを繰り返す男で、中盤に「フィーリングが合って、もっと知りたいって思ったら、(セックスすることって)ないですか?」というセリフがあり、私の古い知り合いの、これまた行きずりのセックスが好きな男が、「セックスは性欲でするんじゃなくて、相手のことを知りたいからする」と言っていたのを思い出した。
当時は生々しい性欲をカモフラージュするためによくわからんスカしたことを言っているだけだとばかり思っていたが、その知人や高槻はもしかしたら、セックスを介さないと相手に対し心を開けず、コミュニケーションをうまく取れないタイプなのかもしれないと思った。
終盤の雪山のシーンでのみさきが吸うタバコの煙が家福の顔にかぶるカットでは、先のステーキの湯気を思い出してしまった。川崎を必死で頭からかき消し、他者に真剣に向き合うということは、同時に相手を通して自分自身に向き合うことでもあるから、自分の直視したくない部分に目を瞑っていては相手のことも見えない部分が出てくる、ということなのかな、などと考えた。
映画館を出ると雨は止んでいた。
映画チケット提示でドリンクバー無料サービスにつられて、同じ階にあるファミレスでドリアを食べた。窓際の窓ガラスから、濡れたアスファルトを滑らかに走っていく車を見下ろすと、夜の新宿バルト9のエスカレーターから見える、甲州街道を下っていく無数の車のライトが天の川みたいな景色を思い出した。甘いホットココアを飲みながら、数日前から読んでいる小説を、閉店の22時直前にちょうど読み切った。最後にカモミールティーを飲みながら、こういう郊外的な休日もたまには良いかも、などと思った。
ちょうど一年前、ユニクロとMameのコラボ第一弾の発売日も、似たような感覚があった。
ジルサンダーの時のように朝から行列ができて即完売するのかと思ってはなから諦めていた私は、午後5時頃、Twitterでまだ店舗に在庫があるらしいことを知った。すぐに立ち上がり、ブラジャーは着けずに部屋着のTシャツの上に乳首が透けないジャンパースカートを重ね、マスクをつけて家を出て、駅まで走った。走りながら、なんだかポカリスウェットのCMみたいに爽快な気分だなと思った。何か欲しいもののために走るなんて滅多にない。思い立ってから家を出るまで2分、電車に飛び乗るまで10分。勢いで行動することがこんなに気持ち良いものだとは知らなかった。
イベントの情報を見てその足ですぐに行こうと決意した時、行きたかった喫茶店に入れなくて映画館に向かっていた時、手に入らないと決めつけていたものを手に入れるために走っていた時、「生きてるって感じ」がした。
予定が崩れることに強いストレスを感じたり、それを修正するのに疲れたりすることも多々あるが、大して重要でない予定が適度に崩れ、良い代替案がすっと出てきて、それをうまく実行できた時にだけ、得られる快感があるのかもしれない。
もしくは単に、思い立ってすぐに行動することで生きている実感を得られる、というのが正しいような気もする。自分の興味の赴くままに、気の向くままに、好きなものを追いかけて。
思い立ったが吉日。行きたいと思ったら行く。食べたいと思ったら食べる。欲しいと思ったら買う。自分の心の声に、なるべく即座に応えることを意識すれば、私はもっと、生きてるって感じられるだろうか。
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