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また新しいお薬が登場みたい。と母の治療の話。

昨日11日は定期検査の結果発表だった。CT、MRI、骨シンチの結果をもとに先生たちがカンファレンスを開いて今後の治療を決めていく。前回、まだ新しい抗がん剤を使うのはやめておこう。いろいろカードを切りすぎているからという理由だったけど、主治医は新しいカードを切ろうと言い出した。きっとカンファレンスでそのようになったのだろう。

脳にはとてもすばらしい機能があって、毒が届きにくい構造になっている(らしい)。だから今の抗がん剤は脳には届かない。(抗がん剤=毒という言い方も極論すぎる気もするけど)だけど、今わたしの身体で問題なのは脳にある腫瘍なので、なんとかしなくてはいけない。前の診察では、脳はガンマナイフにまかせて、首から下は順調だから今の薬のままで…という話だったけど、今回は、抗がん剤で少しでも脳に届くものを…という判断で、カドサイラという新しい薬をすすめられた。ただ、確実に脳に届きますというものではない。文献上、届くと書かれているというだけで確証はないけど、少しの可能性があるならそっちを選ぼうということらしい。

主治医がいうには、カドサイラは今使っているドセタキセルよりも気怠くなるような副作用がなく、比較的元気に過ごせるらしい。血小板が減ることがあって、鼻血や血痰など出血が起こるようだけど元気に過ごせるならいいのかなと思っている。だけど、もらったパンフレットを読むと心臓に負担がかかるので疲れやすくなり、場合によっては心臓や肺に水や血液がたまることがあると書かれていた。…こわい。

薬の名前で検索してみたけど、新しいめの薬だからかブログなどでの使用者の声がみつかりにくい。何人かみつかった中には、副作用で肺炎になったという人もいた。…こわい。

とりあえず、12月中旬には大忙しのイベントがあるので、そのときに向けて体調は整えておかねばならない。いくら副作用が軽いといっても、どんな症状になるかわからないので、カドサイラの使用はそのイベントが過ぎてからということにしてもらった。来週の点滴は最後のドセタキセルということになる。カドサイラ、効いてくれるといいけどなぁ。保険を使わない場合は1回につき60万かかるということを誰かのブログで見た。高額療養費制度がありがたい。がんばって保険はらっていこ。

この日は午後からは母の病院付添も入っていた。

2017年に母は大腸がんになり、そのときに手術をした。母は2012年8月、趣佳がオープンする2週間前に脳出血で倒れ、左半身麻痺になりそれから施設で暮らしている。起きているときは車椅子で、大半をベッドに横になって過ごしている。そんな状態で7年もいたら認知症になってもおかしくないらしいけど、未だに口は達者で記憶力もいい。デイサービスではカラオケも楽しんでいる。身体は動かないけど、頭はしっかりしていて元気なのだ。なので、大腸がんの手術をすすめられ、無事に摘出された。

先月、施設にかよってくる内科クリニックの血液検査で腫瘍マーカーの数値がどんとあがったということで、手術をした病院にいって詳しく見てもらうようにということで、11日午後から介護タクシーに乗って一緒にいってきた。母の主治医のいうことには、もしがんが見つかった場合、抗がん剤は体力的に厳しいと思う。84歳でほぼ寝たきり、自分では動けない。これでもし認知症だったら治療はせずこのままに…と言われるのかもしれない。

ただ、母は元気なのだ。母の主治医はこのまま放置とも言いがたそうだった。とりあえずCTを受けてみませんかと母に聞いてみたが、母はしんどいから受けたくないとはっきり言った。そのはっきり具合が元気で、母の主治医もまた判断がつかなくなる。今後治療を行わないにしても、CTを受けておくメリットはあって…と話していたら、母が「じゃ、もうCTだけ受けよかな」と主治医の話をあっさり受け入れた。主治医はびっくりしていたけど、わたしにはわかる。きっと早く終わらせて帰りたかったのだ…。母の根負けは早い。

そんなわけで、治療の決断は先送りとされ、また後日CTを受けに病院に付き添うことになった。

でも今思えば、がんがあるかどうかなんて治療しないのなら知らない方がいいのかもしれない。治療はむつかしいだろうと思う。抗がん剤のしんどさはリアルタイムに受けているわたしが1番知っている。効き目の弱い飲み薬の抗がん剤もあるらしいけど、それで苦しまないのならそれがいい。だけど、どうなるのかわからない。

治療を続けてほしい気持ちはわたしのエゴだ。でも、わたしの口からもういいですとはなかなか言いづらい。わたしには相談したり、母を失う悲しさを共有したりできる兄妹や親戚がいない。わたしが小二のときに、オセロを持って突然あらわれた育てのおじさんも2017年に10年前に摘出したはずの大腸がんの多臓器転移で亡くなってしまった。まぁ、おじさんは生きていてもまともな返事はなかっただろうけど…。

おじさんの死を看取ったのはわたしだけだ。おじさんにも連絡できる親戚がいなかった。がんの多臓器転移での最期がどんな痛みがでて、どんな風に亡くなっていくのか、おじさんを見て知っている。同じ症状になるとは限らないけど、もし母があの状況になるのだとしたら、なんとかして回避したい。

それと母がいなくなれば、血のつながりがある身近な人がいなくなる。一緒に暮らす人はいるし、友人もいるから寂しくはないんだけど、なんとなく広い世界にぽつんとした感じ。どういえばいいのかわからないけど。

今日は長い投稿になってしまった。ちょっと重かったかなーとも思うので、最後に帰りの介護タクシー内での母との会話を。

わたし「先月誕生日やったよね。なんか欲しいものある?」

母「なんにもいらん。なんにもしてあげられてないもん、なんにも買っていらん。」

わたし「そうなん?」

母「…2000円だけちょうだい。おこづかいに。」

わたし「………」

全体的にこういう人です、うちの母。友人たちのウケもいいです。そういう話はまた今度。(誕生日だったので5000円渡したらすごい喜んでました。ちなみに母にはわたしの病気については話してません)


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