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掌編小説|猫の知

 少女アイラは、きょうも自宅の広い庭をひとり、ほつき歩いていた。そして、咲きみだれる花々を愛で、匂いをかいだりしていた。
 そこへ、うまれてから少し大きくなったぐらいの猫のクレアが、鈴をチリチリいわせてやってくる。アイラは、エジプトのスフィンクスのような体勢で、おなじように匂いをかいでいるクレアを見て、
「わかるのかなぁ」
 といって、かるくあごの下を撫でる。
 この猫は、だれが飼っているのかアイラはしらない。だから、名前はかってに呼んでいるのである。もっとも、飼い主のつけた名前がわかっていたとしても、クレアと呼んでいるだろう。しかし――。
 あるとき、アイラは自転車でうちへ帰る途中だった。ほとんど真っ暗だった。だが、ある知り合いのうちの玄関先に、クレアがいた。それがわかった。アイラは瞬間的に、
(出されている)
 と思った。だから、減速もせずに、通り過ぎた。心に引っかかるものはあったのだけれど。
 そしてそのときから、二度とクレアはアイラのうちには姿を現さなかった。アイラは、
(いざというときにはなにもしてくれないじゃないか)
 と、クレアは思ったんだろうと思った。
 そしてしばらく経って、アイラは別の下り坂をやはり自転車でとばしていた。すると、斜め後方から、一匹の猫が自転車のほうへむかって全速力で突っ走ってくるのがわかった。
 アイラは、猫にまで煽られてたまるかと思った。だから、ブレーキを一切かけなかった。すると、自転車がガクンと何かに乗り上げた。それでもアイラはそのまま走り去った。
 そして次の日、アイラはきのうと同じ道を、同じ時間にとばしていた。すると、一匹の猫が、足を引きずりながら横手から出現して、歩いてみせた。アイラは、
(自業自得ということもわからないで、人間をなめるな!)
 と、心の中で一喝した。
(おまえが走ってきたら、スピードを緩めるとでも思ったか!)
 アイラが、スピードを落とすべきだと一瞬思ったのも事実だった。落とすべきか落とさぬべきかという、まさに一瞬のうちに並立していたところで、それは存在した。したがってそれはもはや「判断」ではなく、「意識の深層」に浮かぶ、「心理の舟」とも言うべきものだった。

 この猫はクレアではない。それははっきりわかった。クレアならば、このようにはしていない。ただひとつおもったのは、この猫とクレアが、なんらかのかたちで通じているのではないかということだった。そして、この猫なりのやりかたで、アイラに対して復讐を果たしたのではないか、という考えが成り立った。
 そしてこれ以降、この辺りでアイラが猫を目にすることは、ほとんどなくなった。
〈了〉

みなさまだけがたよりでございます!