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ひとりぼっちの宇宙人─ウルトラセブン視聴記─ 第四惑星の悪夢

ひとりぼっちの宇宙人 
─シューチョの『ウルトラセブン』視聴記─
第43話「第四惑星の悪夢」[E]

コラムで触れた実相寺挿話4作のうち、『ウルトラセブン』の作品世界全体との関連で最も重要な挿話が本話「第四惑星の悪夢」であろうと思います。といっても、本話には《ダン=セブンの二重性》は表出されていません。本話は、『セブン』のもう一つの重要な側面である「短編SF」の挿話群([E類])における代表なのです。

──地球のパラレルワールドとしての第四惑星。そこはロボットが人間を支配する恐るべき世界だった。機械文明に手を初めた人間がすべてを機械に委ねるうち、人間はすっかり怠惰になり、やがてその機械=ロボットに逆に支配されてしまったのだ。──
本話紹介のリード文を書くとすればだいたいこんなところでしょうか。

ダンとソガが第四惑星のロボット長官と対峙するシーンには、『ウルトラQ』的なSFホラー性がみごとに発揮されています。

ロボット長官は、床も壁も真っ白な細長い廊下のような部屋に座り、自分の顔を「開けて」眼球をむき出しにしながら、頭の後ろを「開けて」油を注しながら、ダンとソガに向かって説明します。

───
この惑星も昔は人間が支配していたのだ。わしの記憶装置によると、えーっと、あれは2000年も前のことだ。人間は我々ロボットを生み出してからというもの、すっかり怠け者になってしまって、つまりやることがなくなったわけさ。そのうち、ロボットにとって代わられたというわけだ。
───

わずか1分弱の時間を埋める、衝撃的な合成映像と詳し過ぎない軽口の説明。「ロボットが人間を支配する」というフレーズから一般的にイメージされる恐怖が、みごとに映像化されています。この「ロボット」を「猿」に置き換えると、映画『猿の惑星』になりますね。そこでは「猿が人間を支配する恐ろしい世界」が描かれたのでした。

しかし、第四惑星が恐ろしいのは「ロボットに支配されるから」なのでしょうか。むしろ、そこでのロボットと人間の間の支配─被支配の関係そのものにこそ恐ろしさがあるのでないでしょうか。

いいロボットがいい政治をしてくれるなら問題はない…というとさすがに語弊がありますが、第四惑星では実際に悪いロボットが悪い政治を行っているのであり、その悪政こそが問題なのです。為政者の属性が人間かロボットかということが第一の問題点ではないでしょう。ここは、「悪い為政者がロボットでなく人間ならかまわないか…」と考えてみればわかることかと思います。力を持つ者すなわち腕力も権力も併せ持つ者がそれらを持たぬ多くの者を踏みにじっていく、そのような支配被支配関係の恐怖について、人類の史実・関係をもとにしたフィクションを描くのではなく、ロボットと人間という架空の関係に託して描いてみせた──本話はそのような挿話だといえます。

「第四惑星の悪夢」や『猿の惑星』において、支配者が「ロボット」や「猿」であることの戦慄性およびそれゆえのエンターテインメント性だけに注意が向きがちです。おそらくは作り手自身の意識・意図もそこに集中しているのでしょう。しかし、それら(「ロボット」「猿」という属性)は物語の構造としてはあくまでも隠れ蓑・隠喩・モデルのはずで、本当に恐ろしいのは、そこで描かれた支配被支配関係そのもの、すなわち、人間の現実世界の過去の事実と未来の可能性であることを、ここでは今一度確認しておきたいと思います。

ただし、「ロボットを生み出」すのはいいがその後「すっかり怠け者になってしまっ」てはいけない、という警鐘の意味合いについては、外でもないロボットによる支配というフィクションによってこそ表出可能なことなのでしょう。

そして、はじめに述べたこととの関連に話を戻せば、このようなプロットは、『ウルトラセブン』でなくても十分成り立つものですよね。そういう普遍的/典型的な一つのSFの筋書きを『ウルトラセブン』でも描いてみせた(に過ぎない)ということです。これに対して、[A類]の挿話群および他の類に散らばったいくつかの佳作の挿話については、まさにそれらが「『ウルトラセブン』だからこそ描けた」といえるような豊かな活性フィクションに満ちているわけです。

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