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《光の授受》の挿話 ─ナゴール的な、もしくは非ナゴール的な─ ウルトラマン第1話の形態学[3]

《無謀な勇気》を継ぐものたち─北斗、東、ダイゴ、アスカ、カイト─

今回は、郷秀樹と共通の特徴を持つ不同型主人公について見ていく。

『ウルトラマンエース』第1話「輝け!ウルトラ五兄弟」において、北斗星司は、ベロクロンの吐く火炎によって子どもたちの待つエリザベスホームに運ぶパンを焦がされる。その後、ベロクロンはホームも破壊、車椅子のこどもを連れて避難する南夕子と居合わせるも、そばにあったタンクローリーを駆って目の前のベロクロンに向かって猪突猛進する。ベロクロンに踏まれ?爆発炎上するタンクローリー。そこへウルトラ五兄弟が飛来、エースは、瓦礫の上に倒れた二人にウルトラリングを与え、こう告げる。──「私はウルトラ兄弟の5番目、ウルトラマンエースだ。銀河連邦の一員たるを示すウルトラリングを今おまえたちに与えた。そのリングの光る時、おまえたちは私の与えた大いなる力を知るだろう。」──

『ウルトラマンタロウ』第1話「ウルトラの母は太陽のように」において、東光太郎は、自分が海外から持ち込んだ花が怪獣になったと知って悔い、ZAT入隊前の非武装のまま、飛行するアストロモンスにつかまったまま、叩いたり噛みついたりする。まもなく振り落とされるも、落下場所にちょうど平らに張られたフェンスがあり、それがトランポリンのように働くことで、大きな負傷は逃れる。夜が明け、倒れているところを白鳥兄弟(と小学生たち)に見つけられ、緑のおばさん=ウルトラの母の手当を受け、ウルトラバッジを(それとは知らずに)授かる。ZAT入隊後、「あの怪獣は俺の手で倒すんだ」と、再び現れたアストロモンスにスーパースワローで突っ込み、右主翼を叩かれて墜落、爆発炎上する。そこへウルトラ五兄弟が飛来し、死線を彷徨う光太郎を赤い光で包み、「ウルトラの兄弟たちよ。ウルトラ六番目の弟・ウルトラマンタロウが今誕生する姿を見るがよい。おまえたち兄弟は皆こうして生まれたのです。……見よ、ウルトラの命の誕生を!」と告げるウルトラの母によって、ウルトラマンタロウが誕生、同時に光太郎はタロウとの一体化?に至る。

『ウルトラマンティガ』第1話「光を継ぐもの」において、ダイゴだけは、タイムカプセルからホログラムを通じて現れた古代人ユザレの「大異変から地球を守れるのはティガの巨人だけ」「我が末裔たちよ、巨人を蘇らせて、ゴルザとメルバを倒すのです」等の言葉を、半信半疑の他の隊員たちと違って初めから強く信じ、自分の名を連呼するユザレの声に導かれ、東北地方に現れた「ティガのピラミッド」にも憶せず先頭をきって入っていく。その後「ティガのピラミッド」にメルバとゴルザが襲来、3体の石像のうち2体が破壊される。残る1体を仰向けに倒して踏みつぶそうとするゴルザに向かって、ダイゴは「やめろー!」と叫び、巨人を何としても守るべきだという衝動に突き動かされるまま、ムナカタの制止を無視して自分のガッツウィングを無茶な操縦で二体の怪獣に接近させるも、メルバの攻撃を主翼に受けて脱出機故障のまま墜落する。その爆発炎上の直前に、ダイゴは光となって飛んで石像のカラータイマーと一体化し、石像が巨人として蘇生─復活する。

『ウルトラマンダイナ』第1話「新たなる光(前編)」において、アスカシンは、まず、ユミムラ機を救うべく自機を囮にしたためスフィアの攻撃を受けて脱出を余儀なくされ、火星上空の宇宙空間に投げ出される。アスカは亡くなった父との思い出を回想しつつも「俺も光が見たいぜ。それまでは死ねるかー!」と叫び、1度目の「光の迎え」の描写となる。次の場面はすでに救出後の病室で、アスカは「スフィアの変態→光の迎え」という二度(二重?)の夢をみる。次に、ダランビアを迎え撃つ際には、ヒビキ隊長の命令を待たずに単独判断でバリアの手薄な腹の下を超低空飛行でかいくぐるが背後から攻撃され墜落。負傷して動けないコウダからダランビアを遠ざけるべく機外へ出て怪獣を撃つが「弾切れ」を起こし反撃に遭い吹き飛ばされる。それでも短銃に持ち替え「やめろー!」「俺は諦めないぞ。絶対に諦めるかー!」と叫んでなおも怪獣に向かって走る。そこへ「光の迎え」が訪れ光がみなぎる両手を見つめ「何だこれ!」と叫ぶうちに、「光の巨人」の初登場となる。

『ウルトラマンマックス』第1話「ウルトラマンマックス誕生」において、トウマカイトは、墜落したダッシュバードからミズキを助け出すと、「君の代わりに俺が飛ぶ。俺、先月DASHの入隊試験を受けたんだ。最終試験で落ちたけど、今度は落ちない自信がある」と言い残し、避難を促すミズキを振り切り、彼女のヘルメットを借りてダッシュバードに乗り込む。しかしラゴラスの光線を受け主翼を破損、「俺がやられたらたくさんの人が犠牲になる。だから頼む。飛べ!飛んでくれー!」と叫ぶ。そこへ赤い光球が飛来、彼のダッシュバードを包み込み、その中でカイトは「別の銀河系からやってきた」宇宙人=ウルトラマンマックスと対話、マックススパークを授かり、変身に至る。(『ウルトラマンマックス』)

通過儀礼的通過儀礼

以上の(郷秀樹─ウルトラマンも含めた)6組の《光の授受》において、特に《光の授受》直前の主人公の行動に注目すると、それらがどれもこれも《無謀な勇気》の賜物であることがわかる。その元祖は「素手で助ける郷秀樹」であった。それに対し、北斗星司以降の5人は、皆、直接怪獣と対峙するという点で、救助に徹する郷よりもさらに向こう見ずな度合いが高いといえる。しかもダイゴを除く4人の無謀な行動はいずれも科特隊入隊前または直後のものである。なかでも北斗と東の命知らずぶりはどうだろう。この二人は、郷と同じく非武装でありながら、郷とは違って直に怪獣に体当たりしていく。その蛮勇は勇敢というにはあまりに度が過ぎている。

彼らがウルトラマンになる契機はいわば「通過儀礼的な通過儀礼」なのである。

まず物語内容に焦点を当てれば、「小型機墜落」などの、「わずかな時間」のうちに起こる「一定のパターン」を経ることによるという点がまさに「通過」「儀礼」的である。

また、それらがすべて単純で「形式的=儀礼的な筋立て」になっている点も、物語構造を見るメタ視点からもまさに「通過儀礼」の比喩がふさわしいといえる。

光の授与へのナゴール

これまでみてきたように、《無謀な勇気》系の不同型主人公たちがそこで体験する「通過儀礼」とは、特に「生命の危険を伴う通過儀礼」であった。世界で実際に行われる通過儀礼としてこれとみごとに符合する例として、バヌアツのペンテコスト島で行われるランドダイビングが想起されよう。ランドダイビングは「ナゴール」とも呼ばれ、いわゆるバンジージャンプの起源とされる、それと同様の行為を儀式とするものである。特に、『ウルトラマンタロウ』第1話の、東光太郎のアストロモンスからの落下時に張られたフェンスを思い出すと、これは、跳ねる仕組みこそ具体的には異なれど、「スプリング機能による生命保護」という構造自体はまさにバンジージャンプそのものであるといえる。

このことを受け、郷秀樹、北斗星司、東光太郎、マドカダイゴ、アスカシン、トウマカイトの6人を「ナゴールの6人」と呼ぶことにしよう。

ナゴールの6人は皆《無謀な勇気》を発動するのだが、そのような共通項はなぜ生じたのだろうか。ナゴールの6人のうちダイゴを除く5人はどんな青年であったか。改めて思い出してみると、

郷秀樹はレース出場を目指す自動車整備士
北斗星司はパン屋の運転手
東光太郎は風来坊
アスカシンは SUPER GUTS のテスト生
トウマカイトは一度 DASH 入隊試験の最終選考で落とされた若者

であった。少なくとも第1話だけから察すれば、彼らはみな、それぞれに

非エリート・非インテリの典型

であり、あれこれ考えるよりも、いろいろ言うよりも、自らの思考判断や他人の指示/顔色を見ることに先んじて、まずは何らかの「行為」に踏み出さずにはいられない「逸る青年」たちであった。彼らの《無謀な勇気》=思慮無き意志の発動は、ときに可笑しいほどに未熟で荒削りである。そしてそういう彼ら自身の未熟な勇敢さ自体が、まさに自らの未熟さを乗り越える光へのイニシエーションとなっているのである。

ダイゴだけはやや事情が違う。彼は《光の授受》以前からすでに隊員であったし、授受前のシーンでのモノローグや表情からも「あれこれ考え」ていそうではあり、怪獣に対しても、攻撃はせず、自分の目的はあくまで石像破壊の制止にあることを忘れず自覚しているようにみえる。ただ、それらは後先のことを考える思慮分別とはやはり異なるし、終始寡黙な雰囲気を醸し出していて「言葉よりも行為」という点は逆に最も当てはまろう。

現実の他のイニシエーションと上記5人のそれとは異なる点もある。実際の通過儀礼は通常、行為者がその意味をわかってそれと知った上で行われるが、彼らの通過儀礼は、自らの行為が《光の授受》の契機となることを知らずに行われる。むしろ彼らの場合、《光の授受》の可能性に無知なまま何の見返りも求めずに発動するからこそ、その純粋さをも見込まれて光の恩恵を授かるのであろう。彼らのイニシエーションは「無自覚なイニシエーション」なのである。

ここも、ダイゴの場合、その《無謀な勇気》が実は《光の授与の理由》には当たらず(詳しくは後述)、他の5人とは様相を異にしている。ダイゴを他の「ナゴール“の”5人」とは区別し、まさに「ナゴール“的”な1人」としてもよいかもしれない。

次回の[4]では、「ナゴールの6人」についてさらにいくつかの話題を述べ、補充していきたい。


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