「しか勝たん」としか言えん危うさ。
現代のイディオム「しか勝たん」
いつからか「○○しか勝たん」という表現をやたらと見聞きするようになった。その意味は「〇〇に勝るものは無い」「〇〇が一番良い、好き」といったところだろうか。いわゆる「推し」や好きなものへの愛をアピールするときに使われる。
しか勝たん、、、しか勝たん、、、、しか勝たん。
うーんこの、、、。
何とも言えないモヤモヤを感じる。
稚拙と言おうか、バカっぽいと言おうか、
言語表現としての妙を感じないと言うか。
ただ、若者言葉とはいつの時代もそんなものであるようにも思える。
何よりも、アラサーな僕は「しか勝たん」という新語の流行を肌では感じられていないわけで、自分が老いて流行の感覚がわからなくなっているだけ、という可能性もある。
なんにせよ、この言葉、個人的にはモヤっとする新語なのだ。
Googleで「しか勝たん」とだけ入力すると、様々な検索キーワード候補が表示されるが、その中に「しか勝たん 気持ち悪い」というものがあった。なるほど、同じモヤモヤを抱えている人が相当数いる事が伺える。
やたらと広まった「しか勝たん」という表現。
モヤモヤついでに、ちょっと考えてみよう。
「しか勝たん」としか言えん時代について。
好きなものへの愛を「しか勝たん」とアピールする心理
「しか勝たん」のオリジナルと捉えられている用法は「推ししか勝たん」。
こういった新語の起源は明確にできないものではあると思うが、
きっとアイドルファン界隈で自分の「推し」への愛を語る文脈が発端なのではなかろうか。
アイドルに限らず、好きなYouTuberや漫画やアニメのキャラクターなど
より広義に自分の好きなものを伝える文脈でも使われる。
コムドットしか勝たん、炭次郎しか勝たん、、、etc
スポーツの領域で使われることもあるだろう。
チームや競技者の強さとは切り離して、応援や愛の深さを表している。
心から広島カープを応援しながら「カープしか勝たん」と言ったり。
さらには、もっとラフな使われ方もする。
カラオケで「あいみょんしか勝たん」とリモコンで入力したり、
「いちごしか勝たん」と言っていちご味のアイスを食べてみたり、
家でのんびりしながら「家しか勝たん」とSNSに投稿してみたり、、、。
こんな風に日常のあらゆるシーンで使われる言葉となった。
(知らんけど。)
みんな誰になんと言われようと
自分の好きなものは好きなのであって、その存在は絶対なのである。
その感覚は分かる。
僕にとって、
夏はRIP SLYMEしか勝たんわけで、
007はダニエル・クレイグしか勝たんわけで、
じゃがりこはサラダ味しか勝たんわけで、
タバコはセブンスターしか勝たんわけである。
好きなものへの愛を語るときに配慮や遠慮はいらない。
とにかく、アイドルや推しへの深い愛を表していたであろうこの言葉は、
どんどんラフに使われていくようになり、
若者を中心として広く認知され実用される言葉となった。
「しか勝たん」に存在する二重否定
この表現には回りくどさがある。
本来であれば「〇〇推しです」「○○が好き」とだけ言えばいいものの、
わざわざ二重否定の表現になっていることがその愛の強さを表している。
その人にとって、
「○○は何もかもに勝っていて、〇〇以外のものは何も勝たない」
のである。
このあえての「二重否定」的なレトリックこそが
新語としての新鮮さ、キャッチーさであるような気もするし、
それが人々の記憶に残り、広まったのだろう。
しかし、この「2つの否定」。
ちょっとだけ危うさを孕んでいるのではないかと感じる。
そんなに「〇〇」だけに夢中になっていたら
「○○」ではない別のもの、
例えば「△△」の魅力を切り捨ててしまうことにつながらないだろうか?
アイドルも、音楽も、映画も、アニメも、
カルチャーや芸術や趣味嗜好の領域にあるものは、
「みんな違ってみんないい」のだ。
○○があなたにとっての至高なのであれば、
「〇〇しか」「〇〇だけ」と興味の対象を絞らずに、
「〇〇に似ている△△も!」「〇〇と違うけど△△も」と、
どんどん好奇心の枝葉を広げていいのだ。
僕にとって、
夏はRIP SLYMEもいいしORANGE RANGEも良いわけで、
007はダニエル・クレイグだけじゃなくて
ショーン・コネリーだって良いわけで、
じゃがりこはサラダ味だけじゃなくて
限定で売ってたごま油味もなかなか美味かったわけで、
タバコはセブンスターだけど、
たまに吸うメンソールもそれはそれで良いのである。
好きなものへの愛を語るときに
1つだけに固執することはむしろできない。
本音では「しか勝たん」じゃなく「他も良い」であってほしい
もちろん「〇〇しか勝たん」を使っている人も、
あくまで流行りの修辞法としてノリで使っているだけで、
本当に「○○以外のものは勝たない」と思ってはいないだろう。
「みんな違ってみんないい」の感覚がベースに根付いている上で、
一時的な表現として「しか勝たん」と言っているのであれば、
何ら懸念することはない。
ただ、新語としてこうも広く使われるようになると、
その言葉が持つ意味合いはサブリミナル的に刷り込まれていく。
何しろ言葉には「言霊」というものがあって、
思ってなくても何度も言っているうちに
実際にそうなっていくことがある。
「○○しか勝たん」という推しへの愛の表す言葉が、
「○○以外は勝たない」という独善的で排他的な意味ではなく、
純粋な「〇〇推してます」「〇〇が好き」という
ポジティブな意味のまま広がっていくことを願う。
芸術やカルチャーは切磋琢磨して本質を高め合い、
それを僕たちは「あれもいいよ」「これもいいよ」と勧め合う。
享受する僕たちには、他を蹴落とす理由なんて何もない。
「しか勝たん」のちょっとした危うさ。
気づいたのなら、今がチャンス。
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