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ひとりでカラカサさしてゆく 「読書感想文」


大晦日の夜のこと。
宮下佐知子 八十二歳、 篠田完爾 八十六歳、重森勉 八十歳 の三人がホテルの一室で猟銃自殺をする。
同じ時代を生き、家族とよりも長い間一緒にいた三人。彼らには、それぞれに残された者たちがいた―――。

三人の老人の猟銃自殺はニュースになり、遺族たちはまさかそのうちの1人が身内だなどとは思わず、日常を過ごしていたのだが、警察からの連絡で、それぞれの日常が変わってゆく。

当の三人は、すでに亡くなっているので、その遺族たちは面識のない者ばかりで。故人との繋がりや、故人同士が知り得る、故人の在りし日の様子を交流したりしながら。

自殺というものは、いかなる理由があっても肯定されるべきではない、ことは百も承知ですが。この小説には、その善し悪しは特に関係なく、そこよりも、残された者たちの日常へフォーカスしていく。さすが江國さんの切り口だな、と思う。

この手の題材は、悲壮感が否めないのに、なぜだかそういった感覚はあまりなく、むしろ比較的のんびりと暖かく日々が過ぎてゆく。残された者は日々を暮らしながら、逝ってしまった彼らを思う。

涙があふれてとまらなくなったり、今までよりも近く個人的に感じたり、遺品が馴染んでしまったり。

人生100年、女性の平均寿命は87歳となっている今日、私は少なからず尻込みをするのです。よくやく半分にも満たない私の年齢を、あとまだ半分もあると思うと、うへぇ。。。と思ってしまう。たとえば、明日にでも致命的な病が見つかって、もう余命いくばくかとなったとしたら、話は別だけれども。

…別、だろうか。

そうだな、たしかに、娘たちがどう生きるのか見ておきたい。三人が三人とも、とても個性的な道をいきそうだから。夫は、きっと、寂しがるだろうけど、彼は家事も育児も参加して自立しているから、そこまで不便は感じずに居られるだろう。でもずいぶん年老いてしまいそうだから、もう少しそばにいないといけないと思う。

姉たちや母は、悲しみながらもどこかで、また生き急いだのかね…と諦めそう。でも、とても老いて、悲しそうな顔が浮かぶので、彼女たちよりかは永く生きていたいと思う。

十分生きたの。

そう言って死ねるまで、十分生きていたい。

あの人らしいね、最期まで。

そんなふうに思ってもらえたら、きっと残された人たちはいつまでもそばに感じてくれてる気がする。

あの人、これ好きだったもんね。

そう言って、私の仏壇に、「スルメそうめん」と白ワインをお供えしてくれるように。

あの人らしいね、と最期まで。

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