【ジブリファンと語りたい】君たちはどう生きるか
「君たちはどう生きるか」を観てきました。
私は、ジブリの映画が大好きです。
となりのトトロや、天空の城ラピュタの台詞はほとんど諳んじていますし、風の谷のナウシカのキツネリスを、私も手懐けられると信じているジブリファンです。
前評判も、プロモーションもほとんどなく、「まっさらな状態でご覧下さい」という今回の作品を、ふと、ぽっかり予定のあいた日曜日に、家族で観に行きました。観に行くと決めた途端、ワクワクウキウキして。
戦時下のサイレンのシーンから始まりました。炎の中、主人公の少年・真人が走る。視界はゆれ、さまよい、ぶつかる人や迫りくる炎に怖くなる。子ども目線で見る凄惨な光景はとても恐ろしかった。「火垂るの墓」のような寂しく悲しい物語が待っているのだろうか、と不安になるほどだった…が、(ジブリファンながら「火垂るの墓」は苦手で)
大丈夫だった。
父と疎開した先で、再婚相手の女性・夏子に出会う。美しく、どこか凛とした人だった。
宮崎駿監督の描く女性には、いつも思うのだけれど、美しさの中にどこか大胆さがある。
彼女もいきなり、真人の手を取り、自らのお腹の赤ちゃんの存在を伝え、ドキッとする。
「あなたの弟か妹よ」と、大胆で、圧倒的な幸福を孕んでお腹に置いた手を、ドギマギしてしまう真人の気持ちが思いやられる。
御屋敷に着くと、ばあやたちがいて。
いそいそと、かわいい。
崖の上のポニョのひまわりの家や、サツキとメイのおばあちゃん、を思わせるばあやたち。噂好きで、でも一人一人ちゃんと優しくて、いざとなれば箒やスコップで太刀打ちできる強さもあって。
ジブリの中で、おばあちゃんたちはいつも子どもと一緒にいてくれる。病気がちな母や、仕事で忙しい父や、とは関係なく、子どもの周りにさりげなくいてくれる。核家族のリサとそうすけ(崖の上のポニョ)の家にはいなくても、ひまわりの家のおばあちゃんたちの存在が、リサとそうすけを暖かく支えるように。お母さんが風邪で外泊ができなくなってしょげているサツキとメイに泊まってくれるというおばあちゃんのように。真人と夏子を、御屋敷のばあやたちが、心地よい距離感で母子まるごと心強く支えている。
少子化を危惧するとき、こういうおばあちゃんたちのいてくれる子育ての環境は、とても豊かで、こういった構図こそが歯止めになる、と思ってやまない。
さて、ふれるべきはアオサギ。
真人にやたらとしつこくつきまとうアオサギである。だんだんと、その内側をみせ、巧妙に誘い、不思議で奇妙な物語への案内人となっていく。「もののけ姫」のジコ坊のずる賢さと怪しさを思わせる案内人。
御屋敷の裏にある不思議な塔へと誘われる。
そこは、「思い出のマーニー」のサイロのような、「ハウルの動く城」の城のような、「猫の恩返し」の猫の事務所のような、不思議な時空の異世界へと通づる塔だった。
絶望的になって闇の精霊を呼び出してしまうハウルのように、母の幻想が溶けていく。
ナウシカがアスベルと腐海の底に堕ちていくように、真人とキリコさんが床下へ堕ちていく。
白いペリカンと、おおきなインコたちと、大いなる海と、緑豊かな下の世界。
たくましくしなやかなキリコが、風を捉え舟を操り、大きな魚を捌き、大鍋からスープをくれる。「借りぐらしのアリエッティ」のような、色とりどりの色彩豊かな混沌とした部屋にワクワクする。秘密基地みたいで、もっとよく見せて、と思う。
ジブリに登場する女性は、賢くたくましく、そしてあたたかい。キリコも、果敢で凛々しいけれど、小さいものや弱いものに向ける眼差しや笑顔は、どこまでもやわらかい。そして、執着することなく、信じて「行け」と背中を押すのだ。「魔女の宅急便」の画家のウルスラ、「千と千尋の神隠し」のリン、「崖の上のポニョ」のリサのように、カラッと男勝りに清々しく、心根が明るく、主人公を信じて背中を押すのだ。
私は時に、そんな彼女たちの姿を、わが娘と接するときのお手本にしている。ジブリファンとして根付いてきたものが、バイブルともなって、私が迷ったときにも勇敢にしてくれているのだ。(リサは私の灯台だ。)
そして、ヒミ。
サンやシータやナウシカのように、自然と共にある少女。自然の恐ろしさも、優しさも知る、自らの中にも自然の力を宿す少女。
人と自然を繋ぐ存在。
生も死も知る存在。
ヒミと夏子の存在が、真人に、いつの間にか踏ん張る力、立ち向かう強さを与える。
支えられ、そして、守るべきもの、の力は少年を聡くたくましく勇ましくしていく。
神殿のような無機質な空間で、神の域にも達したような大叔父と、白い積み木に出会う。
シンプルな白い積み木。
積み上げられて、グラグラして、いかにも均衡のとれないその積み木がこの世で。
慎重に積み上げられた積み木は、暴力や権力や主張によって、いとも簡単に崩されてしまう。緻密に慎重に積み上げられた積み木を。
慎重に積み上げること。
バランスを保つこと。
時にバランスを崩しそうでも、それを慎重に建て直すこと。
それは神のすることではなく。
最後に、ジブリの中において、愛しきは。
力ばっかり強い、愛のある、どこか的はずれな男たちだ。
ラピュタの親方や、グーチョキパン店の店主、ゴリアテの船員たちのような、誠実で、豪快で、的はずれで愛のある父の腕の中へ。
「君たちはどう生きるか」
ワラワラが
プクーッとたくさん浮かぶといい。
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偶然にも、
アオサギを描いたことがあったんだった。
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