家族が増えた日。
チュンチュンと小鳥が鳴いて、朝早く目覚めた。
当然、スヤスヤと寝息をたてるりょうこさんを起こさないように、そぉっとベッドを出る。
白湯を啜り、ネギを刻んで、豆腐と油揚げのお味噌汁を作って、卵焼きを焼く。
こんな日でも、こんな日こそ、いつも通りに。
昨夜アイロンをかけた白シャツはハンガーにかかっていて、靴は靴磨きをかけてあるのだし、もうあとは身支度をして出かけるだけだけれど、どうにも落ち着かなくて。
カレンダーに、ハートで囲まれた日付、当日。
りょうこさんのご実家へ挨拶に行く日。
「…ぉはよー。」
と、起きてきたりょうこさんも、いつもの休日よりはだいぶ早くて、お味噌汁をよそう僕に近づいてくる。
「はやいのね。眠れなかったの?」
「おはよう、りょうこさん。起こしちゃった?」
「なんか目が覚めちゃっただけ。」
卵焼きを少し焦がして、やっぱりソワソワしている自分を隠せない。
「かおるくん、緊張してる。」
「そりゃ、だって。」
「大丈夫、私もだよ。ほら。」
そう言って、りょうこさんはわざとらしく箸を持つ手をプルプル震わせたりして、笑わせようとしてくれる。りょうこさんとなら、大丈夫か。
🚃🚃𓈒𓂂𓏸
「ただいまー!」「こんにちは…。」
りょうこさんの実家に着いたのは、家を出て三時間後の、ちょうどお昼ご飯どきだった。
「あらあら、おかえり。いらっしゃい。」
いそいそと玄関まで出むかえてくれたのはお母さんで、りょうこさんを少しふっくらさせて、おっとりさせたような、優しそうな笑顔で。
「暑かったでしょう?どうぞどうぞ。」
はじめまして、とか、岸 薫と申しますとか、用意していた挨拶をすっとばされるかのように、いそいそと招かれるまま靴をぬいでおじゃまする。
りょうこさんと目が合うと、ふふっと笑いながら手で「どうぞ」とリビングへと促される。
「おとーさん、あさみー、ほら、りょうちゃんたちきたよ。」
弾んだお母さんの声に、
「おぉおぉ、いらっしゃい、早かったなぁ。」
と、白髪まじりの短髪にパイル地のポロシャツのお父さんがテレビの前から立ち上がって。
キッチンにいたあーちゃんこと、妹のあさみさんも振り返って
「いらっしゃ〜い。」
といたずらっぽい笑顔で迎えてくれた。
「はじめまして。岸 薫 と申します。」
と、やっと言えた挨拶と、手土産のフィナンシェを渡す。
「あらあら、気を遣っていただいて…あら、これ美味しいやつじゃない、この間テレビでやってた。ねぇ、あーちゃん。」
「あ、風美堂のやつ!さっすが、かおるさん!」
とても緊張していたけれど、そんな感じでフランクに迎えてもらえて、すこしホッとした。
そうだよな、このりょうこさんの家族だもんな、と不思議と安心感まで感じてしまった。
🍣🍣
「さぁさ、まずはお昼ご飯にしましょ。」
「すごいでしょ〜、かおるさんが来るからって、お母さん朝から気合い入れてたんだよ。」
「落ち着かないのなんの、だ、まったく。」
「お父さんだって、何回も玄関のアサガオに水あげに行ってたじゃない。」
「今朝は三つも咲いたからだ。」
豪勢な寿司桶と、緑いっぱいのサラダ、五人で食べきれないほどの料理を囲んで交わされる会話でもう、仲のいい家族なんだな、とわかる。
「お父さん、お母さん、あーちゃん。」
箸を持つ前に、背筋をのばしたりょうこさんは、あらたまって、話はじめた。
「私、これから、このかおるくんと二人で、お互いパートナーとして生きていきたいって思うの。かおるくんは、戸籍上女性だし、これからもそれは変わらないけれど、私は彼女を人として、誰よりも大切に思ってる。この人となら、どんなことがあっても一緒に生きていける気がする。まさか、同性に対してそんなふうに思うなんて、私も思わなかったけど、彼女とならって思えるの。だから、どうか、私たちを認めてほしい。お願いします。」
と頭を下げた。僕も、一緒に。
「りょうこ。おまえがそう思うなら、お父さんもお母さんも反対する理由はない。ただ、一般の結婚とはわけが違う。わかるな?そういうことで、二人が傷つくようなことにならないか、だけが心配だ。正直、どこまで俺らがサポートできるかわからんが、やれることはやっていく。あさみも、大丈夫か?」
「うん、かおるさんなら、大丈夫。最初はもちろんビックリしたけど、会ってわかった。ふつつかな姉ですが、どうぞよろしくお願いします。」
あーちゃんが言いながらグスッと涙ぐむから、お母さんも、りょうこさんも思わず涙ぐむ。
「…ありがとうございます。…りょうこさんのこと…、これからもずっと、支えていきます。」
僕こそ涙で声がうわずって、カッコ悪いったらなかったけれど、どうにかそう言って頭を下げた。
ナァーーーン
トコトコとやっとこさ二階から降りてきた福ちゃんが、りょうこさんの膝へ擦り寄り、そして、僕を見上げて鳴いた。
ナァーーーン
すると、福ちゃんはピョコンと僕の膝の上に飛び乗って、まるで一緒に食卓を囲むように座った。
「福も、大丈夫みたいだね。」
🍣🍻
「いやぁ、娘さんをくださいってやつじゃなくてよかったなぁー、俺は。」
昼間から飲んだお酒のせいか、父は酔っていて、かおるくんはずっとつかまっていて。
母とあーちゃんと私は、コーヒーをいれて有名店「風美堂」のフィナンシェを食べていた。
「お父さん酔ってるね。」
「娘が生まれたときから、ずっと、いつかはこういう日がくるって覚悟してたとこあったんだと思うのよ。きっと、ホッとしたんだと思う。」
「かおるさん、優しいもんね。」
見るとかおるくんは、いつの間にか、すすめられるがままビールを飲んで赤ら顔で、
「そんなにですか!?」
と笑いながら、父と何やら盛り上がっていて。
笑う度に揺れる膝の上で、福ちゃんはそれでも、ウトウトと眠りはじめていた。
「お母さん、あーちゃん、ありがとね。」
「ふふっ、家族が増えて嬉しいわ。」
「いいなー、私も彼氏ほしい。出会いがなさすぎるんだよ、まったく。」
「タイチくんでいいじゃない。」
「えー、もっとイケメンがいいー。」
「そういうこと言ってるから…。」
「もう、こんなだぞっ!こうやってな、」
父は立ち上がってジェスチャー付きで話しはじめていて、かおるくんも真似して同じ格好をして盛り上がっている。
8月の日曜日。
ハートで囲んだ大切な日は、
家族が一人増えた大切な大切な日になった。