ウルトラマンって桃太郎なんじゃない?っていうことを考えてみる
久しぶりの更新
気づけば更新をしなくなり,何かと忙しいようなそうでもないようなよくわからない日々を過ごしている。
とりあえず,最近はAI関連のツールが面白い。
飽きる前に新しいおもちゃが現れてくるので何かと楽しく生きている気がする。
しかし,人と会話をしなさすぎることも今の時点ではあまりよろしくない。そのため,シン仮面ライダーが公開されたということもあり,知人とヒーローについて分析してみるなどをしてみた。
何かと面白い話はできたように感じるものの,個人的に最大の気づきに感じたのは,ウルトラマンって桃太郎なのでは!?ということだった。
ウルトラマン≒桃太郎
原典はともかくとして,桃太郎の内容は大体以下のとおりだ。
雑すぎる気もするが,なんとなく話は通じるだろう。
これに対して,ウルトラマンの内容は大体以下のとおりだ。
みんなの知っている桃太郎やウルトラマンと内容は一致していただろうか。
この二つで注目してみたいのは,余所者が守ってくれるという点だ。
桃太郎は,そもそも村の住民ではなく,どこかわからないところから流れてきた桃から生まれた存在である。
正直,本当に人間なのかもわからない(あくまで現代の一般的な内容ではそうであるように思える)。
老夫婦に育てられている以上は,村の中でよそ者と見なされていたかどうかは分からないが,本質的には異質な存在であることには変わりない。
出自としては余所者である。
ウルトラマンは,当然のように地球上では余所者である。地球(人間)の味方をしてくれてはいるものの,宇宙人や外星人であることには変わりない。
どこからどうみても余所者そのものである。
しかし,これら二人のヒーローは,余所者であるにもかかわらず,地球や村,人々のために戦ってくれるのだ。
一部では,ウルトラマンは戦後体制をモデルとしているといった言説を見かける。
確かに納得できるところも多々あるが,それだけではなく,話の展開として日本一のヒーローである桃太郎との類似点の存在は,そのヒーロー性を自然と受け入れられるようにする働きがあるのではないだろうか。
人々は守られるべきもの?
また,ある種のヒーローは人々を助けて当然!といったヒーローアイデンティティが存在するとすれば,その出自を深く問うことはないということもあるのかもしれない。
例えば,仮面ライダーがショッカーによる改造人間=怪人であったとしても,助けてくれるならヒーローになる。
ウルトラマンがバルタン星人と同じ外星人であったとしても,助けてくれるならヒーローなのだ。
そして,もしも桃太郎が鬼の末裔だったとしても,おそらく人々のために戦ってくれるのならヒーローになっていたのだろう。
ゴジラも敵怪獣が現れれば災害ではなくヒーローになってしまうし。
これが大々的に「○○の正体は敵と同じ△△だった!」とニュースになったとしても,案外うるさいのは最初だけな気もする。
しかし,それは助けてくれた!という信頼によって自浄が働くという綺麗なものではなく,守ってくれるならなんでもいいという感覚によるものなのかもしれない。
正直,守ってくれるならなんでもいいし,一般人はそういった存在に守られて当然といった風土でもあるのだろうか。
皆さんの応援に私はいつも支えられています.本当にありがとうございます.