ボヘミアン・ラプソディをソーシャルリスニング視点でレビューしてみる。

注:本文は筋書には触れぬよう配慮して記載しますが、上映中作品につき内容について知りたくない方がいらっしゃいましたら、拝読を控えて頂く事を推奨します。


というわけで、遅ればせながら年末年始の休暇を利用し「ボヘミアン・ラプソディ」を鑑賞してきました。

筆者は34歳なのでガチ世代からは外れていますが、それは置いておいてラスト30分くらいは泣きながら鑑賞してました。良かったなぁ〜。

この映画の良いところって、鑑賞者はフレディ・マーキュリーの避けられない運命を知っていて、その結末を圧倒的な音響的なクオリティで体感できることだと個人的には思いました。筋書の意外性に感動するとか、そういう類のものではないけれども、想像以上のものを観させてもらって感動した、という感じに近い。

皆はどう思ってるんだろう〜?と思い、興味を持ったのでソーシャルリスニングしてみました。

<条件>
キーワード:"ボヘミアン・ラプソディ"  "#ボヘミアンラプソディ"のどちらかを含む
日時:2018/10/1〜最新まで(日本での作品公開日は10/23(火)
プラットフォーム:Twitter
その他条件:日本語のみ

<Volume推移>

まずはVolume推移から見て欲しい。特徴的なのは、やはり公開週以上の盛り上がりを記録した11/23〜24であるが、この日はどうやら「フレディ・マーキュリーの命日」という事で、モーメントに便乗した映画関係アカウントによる盛り上げが功を奏した結果ということのようである。

その後も「世界エイズデー」などの関連モーメントを上手く活用することにより上映期間中に一定以上のソーシャル上の盛り上げをキープしている。

続いて共起語の分析である。ここで注視すべき点として筆者が
気になったのは、"爆音" "応援"などの一風変わった映画鑑賞スタイル関連キーワードである。

上記、2018/12/26(水)現在の、上映中の映画館リストであるが、驚くべきは右側備考欄の応援上映実施中映画館のリストだ。

筆者は応援上映のような映画の楽しみ方は、首都圏のコアなファンのなかでも相当なこだわりのある人のための、特殊な楽しみ方だと思っていたが完全に誤解をしていたようだ。映画鑑賞者にとって、上映作品との親和性が高い場合は応援上映・爆音上映のような楽しみ方は既に一般化された楽しみ方であって、ニーズは北は北海道・南は沖縄まであるのである。


<共有型エンターテインメントのあり方>
最後に、ここ数日2018年にヒットしたドラマ・映画の傾向を分析し続けた筆者の視点としていえることがひとつある。それは、コンテンツを享受するユーザーにとって、リアルタイムに感動や体験をシェアするという行為は、コンテンツを楽しむための一つの行為に含まれているということだ。実際の現場や、SNSを介して感動をシェアする、という行為はリテラシーの高い誰かの凝った楽しみ方ではなく、誰もが自然と行う行動にまで変化していたのである。

果たしてコンテンツを提供する全ての人が、このユーザー心理を突いたコンテンツ作りが出来ているのであろうか?ユーザーにとって、シェアをするという行為はコンテンツと向き合う上で自然な振る舞いになっている。筆者の視点からすると、一部のコンテンツは今でもシェアをする、つぶやくという行為をコンテンツの視聴と合わせて強制しているように見えるが、そのようなコンテンツはユーザーから愛されなくなってしまっているようである。

ボヘミアン・ラプソディはリピーターを囲い込むのに非常に素晴らしいコンテンツ設計をしている。

- 圧倒的な音楽的クオリティ
- 再現性の高いキャストの演技
- 圧巻のラスト30分
など。。

音楽を題材としている事の利点をフルに活用し、シェアしたい。誰かと感動を分かち合いたいという思いをそのまま別の施策にすることに成功している。

この手の共有型コンテンツは、今はドラマや映画に止まっているが、すぐに別の業界(それこそ音楽や、書籍の世界などもあり得る...?)にも進出するであろう。その時に、今のユーザーのニーズを汲めているか、というポイントが、コンテンツが生きるか、死ぬかのポイントにもなってくるであろう。

サポートしてくださったあなたの心を、俺はもっとサポートしたい。有難うございます..!