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書評『J.G.バラード短編全集2』

いきなり2のレビューですが、1が品切れだったためです。
こういうマニアックな本は早く買わんと、すぐなくなるから困るよね…。

本シリーズは、バラードの文字通り全短編を発表順に収録したものです。2巻は1961年〜63年までの18編を収録(初訳の短編あり)、上下二段組の文章になっていて、ボリュームたっぷり、値段相応の価値は十分に感じられると思います。


著者について

J.G.バラードがSF界に与えた影響は計り知れない。
1960年代に、今からすると信じられないことかもしれませんが、アポロ11号が月面着陸を果たしたとき、SFが現実に追いついたと民衆は嘆息し、SF作家の仕事は無くなったとまで呟いたと言います。

バラードもSFというジャンルが潰えてしまうという危機を感じたのでしょう。1962年に英ニューワールズ誌に『内宇宙の道はどちらか?』という小論を寄稿、新しいSFを呼びかけます。

もし誰も書かなければ、私が書くつもりでいるのだが、最初の真のSF小説とは、アムネジア(健忘症、あるいは記憶を失った)の男が浜辺に寝ころび、錆びた自転車の車輪を眺めながら、自分とそれとの関係の中にある絶対的な本質をつかもうとする、そんな話になるはずだ。

『内宇宙の道はどちらか?』

バラードの作風は、この有名な一説の通りです。
ニューウェーブと呼ばれたバラードの斬新なSFは、停滞したSF界を一気に前進させました。
サイバーパンクから、日本の伊藤計劃飛浩隆まで(本書の解説をしてたりする)広範な影響を与えた御仁です。

↑これが、健忘症の男が、錆びた自転車の車輪を見つめる光景です。笑
なんつー、あからさまな。

本人は1930年生まれのイギリス人で、幼少期を上海の租界で過ごします。映画にもなった『太陽の帝国』は、彼の半自伝的フィクションです。

広告代理店、百科事典販売業、イギリス空軍入隊を経て、最終的にSF作家となったようです。

レビュー

重荷を負いすぎた男

あらすじ
ビジネススクールの講師をクビになったフォークナーは、妻のいる自宅でゆっくりと狂いかけていた。彼はベランダから、自分を取り巻く幾何学的な団地の光景を見下ろしていた。精神を集中し、表象的な意味を剥ぎ取ることで、キュビズム絵画のような抽象画を脳内で想像し、それに身を委ねていた。しかし妻にクビがばれたとき、フォークナーはついに自己を溶かして、風景に統一してしまった。

レビュー
木々に囲まれた公園で、新鮮な空気をいっぱいに吸い込むと、自分もその風景の一部になって、穏やかな気持ちになったりするものですが、バラードはそれを人工物に対して試みているような気がした。

ミスターFはミスターF

あらすじ
フリーマンは妻のエリザベスが妊娠してからというもの、異変をきたしていた。髭が薄くなり肌に艶が戻ってきた。どうやら自分は若返っているらしい。フリーマンはついに子供の背丈まで縮んでしまい、自らの境遇を訴えようとしても外に出ることもできず、会話も満足にできなくなってしまう。そしてフリーマンははたと気が付く。これは自身の生み出した願望だったのだ。エリザベスを妻に選んだのも母の代理としてだった。フリーマンはついに胎児へと回帰し、エリザベスの腹の中に消えていった。そこに同僚のハンソンがやってくる。まもなくエリザベスは彼と子供を儲け、私を産むだろう。

レビュー
若返っていく男というネタは、この話以外にもたくさんある。一番有名なのは『ベンジャミン・バトン』だろうか。
この短編のオリジナリティは、意識は大人なまま子供の体で物事を体験する描写があるところだろうか。街路樹は天を貫くほどに聳え立っているように見えたり、食後すぐに猛烈な眠気がやってきてシャットダウンさせられるところとか。結構、恐怖の体験です。
マザコン気味の男が、自分の妻の胎内に回帰するという話、と要約できそうかな?

至福一兆

あらすじ
人工過密の世界、ウォードはアパートの階段にあるくぼみに、かろうじて居住スペースを持っていた。
人口の増加は、二百億人に加え一年で4%の増加、八億人が増える計算だった。ただでさえ狭い居住スペースが、さらに切り詰められるのだ。
ウォードは新しい住処に移ることにし、友達と共にスペースを見つけるが、そこで壁に塗り込まれた扉と、誰も使っていない空きスペースを発見する。ウォードはすぐさまここを住処とし、友達と共に住むが、何かに理由をつけ、行き場のない友達の親族などがやってきては手狭になっていく。ウォードは衣装箪笥を見つめては、これがなければ部屋は広くなるだろうな。という考えに寂しい思いが去来するのを感じた。

レビュー
ラストの読後感がいい。衣装箪笥や大きな机、本を置く棚、ベッドにソファ、どれも贅沢な品であるし、それが当たり前にあるというのが、人間らしいゆとりというものだ。それを引き換えにしなければいけない男の心境というのは悲しく、寂しい。まさか箪笥がなくなるというだけのことに泣かされるとは。

優しい暗殺者

あらすじ
ジェイミソン博士は新国王即位のパレードに湧く故郷、ロンドンに降り立った。博士はパレードの見物ではなく、仕事のためにロンドンにやってきた。ホテルに落ち着いたジェイミソンは、おもむろにスーツケースからライフルを取り出して組み立て始めた。照準の先にはパレードに湧くロンドンの市民と、新国王の一行。

レビュー
普通に面白いショートショートを読んでしまった。バラードって現代文学っぽい難解な作家だと思ってたら、普通に読ませる。
若いカップルが交わす会話で、主人公ジェイミソンの正体がわかる下りは、鮮やかなセンスだ。オチもストンと決まっていて、文句なし。
描写されるロンドンの風景が印象的な短編で、バラード自身、幼少期は上海で育ち、大人になって初めて祖国イギリスにやってきたという経験を持っている人で、そういう心境とシンクロする部分があるかも。

正常ならざる人々

あらすじ
グレゴリーは二百キロのジャガーでハイウェイを駆っていた。途中で乗せたヒッチハイクの女は、男物のコートをして、腕の包帯を隠していた。病院からの脱走者だ。その女は宿泊先のモーテルで自殺してしまったが、グレゴリーがその女を助けることは決してない。
精神自由法が、患者の精神治療を禁じているからだ。グレゴリーはかつて精神科医であったが、患者の心を癒そうとしたばかりに3年の実刑をくらってしまったのだ。グレゴリーはホテルで、クリスチャンという明かに病んでいる青年と出会う。クリスチャンはグレゴリーを脅し、自分を治療してくれと懇願する。グレゴリーは彼を治療するが、生まれ変わった彼は今や理性的な口調で、精神自由法を制定した男を殺しにいくと告げ、去っていった。

レビュー
ロボトミー手術やサブリミナル効果を使った大衆の洗脳という恐怖に反発して、精神自由法が制定された世界。
なるほど面白い。クリスチャンの脅し方も「あなたは今、私の自殺を助けましたね? 10年の実刑ですよ」という、すごいセリフで脅される。
『カッコーの巣の上で』というジャック・ニコルソン主演の名作がありますが、そういう作品へのカウンターだろうか。アメリカの雑誌に発表した短編とのことです。狂っているのは俺か、世界か。

時間の庭

あらすじ
壮麗な邸宅ヴィラの庭には、湖といくつかの丘があり、そこには“時間の花”が咲いている。邸宅の黄昏を眺めるのは、伯爵と夫人、二人のみ。丘の向こうからは、ボロをまとった群衆がやってこようとしている。この世界を撃ち毀すために。伯爵はもう十本と残っていない時間の花を手折って、群衆の進行を遅らせる。やがて迫りつつある混沌を前に、二人は静かに肩をよせあっていた。

レビュー
邸宅の夢のように美しい空間と、その夢が壊れて醒めてしまう痛みや寂しさ。
ガラス細工のような美しい時間の花や、豪奢ではあるが、それゆえに空虚な邸宅に住むふたりの夫婦。
一番イメージしていたバラードっぽい短編かも。

ステラヴィスタの千の夢

あらすじ
ヴァーミリオンサンズ、ステラヴィスタ九十九番地は、かつては名だたる人物がすみかとしていた場所だったが、今では暗鬱とした廃墟の趣を加えている。
ヴァーミリオンサンズには向心理性建築サイコトロピック・ハウスという、生物合成樹脂素材バイオ・プラスティック・ミディアムでできた感覚細胞を埋め込まれた生きた家が密集していた。

法律事務所を構えようとやってきた「わたし」は、夫を殺害した有名女優がかつて住んでいたという家に魅入られ、妻と共にそこに住むことに決めた。
家は持ち主の感情に敏感に反応し、内装を作り変えてしまう。さらに感覚細胞には前の持ち主の感情までが記憶されており、「わたし」はかつてここに住んでいた女優夫婦の心の闇のなかに飲み込まれていく。

レビュー
ヴァーミリオンサンズを舞台にした短編は他にもいくつかあるそうで、これはその一編。
持ち主に合わせてぐにゃぐにゃと変形する家というのはかなり衝撃ですが、考えてみれば“モノのインターネット”、アレクサなんかと接続されたスマートな家電に囲まれて、エアコンなんかも持ち主を察知して、空調を調節したりするというのも普通にできてしまうのが現代なので、生きた家というネタは、笑うにはあまりにもリアルな想像かもしれない。

アルファケンタウリへの十三人

あらすじ
エイベルはある日気づいた。ここが回転する宇宙ステーションであることに。ドクター・フランシスが教えてくれたところによると、エイベルは“条件付け”による制約を受けていて、そのことに気がつかないようにされていたそうだ。ステーションはアルファ・ケンタウリを目指す世代間宇宙船で、エイベルの父のそのまた父から続く旅の途中なのだという。好奇心に目覚めたエイベルの傍で、ドクター・フランシスは額に汗を浮かべていた。フランシスは知っているのだ。実はこの宇宙船はアルファ・ケンタウリには向かっておらず、地球にあることを。全ては地上で行われる、長期間の宇宙航行にともなう問題をシュミレートするための社会実験の途中だった。

レビュー
世代間宇宙船ネタ、それもかなり変化球。アイデアにもやられましたが、特殊な状況が誘導する、登場人物の心理状態への考察が見どころだろうか。ステーション内の人間は外が地球であることを知らずに生活している。プロジェクトは中止が勧告されており、ドクター・フランシスたちスタッフは、ステーション内の人々をどうやって外に連れ出そうかと思案します。しかし、いきなり外に連れ出された人間は発狂する可能性があるので計画は難航する。
ある種強制された現実のなかでしか人は生きられず、自己と環境との密接な関係を意識させられる。

永遠へのパスポート

あらすじ
マーゴットとクリフォードの夫妻は、毎年の休暇を地球で過ごすのが慣例になっていた。だがマーゴットが今年の休暇は別の場所がいいと言い出し、クリフォードは秘書に命じて、銀河系中の旅行代理店を訪ねさせる。しかし、帰ってきた秘書はクリフォードの名前をうっかり漏らしてしまい、ありとあらゆる銀河中の怪しい旅行会社が、割れさきにと集まってきてしまう。ついに荒っぽい連中がクリフォードのオフィスに攻撃を仕掛けてきた。

レビュー
著者が空軍時代に書いた話だそうで、他の短編と毛色が違う。クリフォードが集めさせた代理店の休暇プランはどれもめちゃくちゃで、ぶっ飛んでいる。4ページにわたって紹介されるいかれたアイデアは、どれも遊びがあっていい。バラードってアホな話も書くんだ。ギクシャクした夫婦というモチーフも初期から登場しているようだ。

砂の檻

あらすじ
ケープカナベラル、かつてのケネディ宇宙センターは、赤い砂漠のなかに没し、人々に忘れ去られていた。ブリッジマンが住む廃ホテルは、一年に一度空を通過する亡くなった宇宙飛行士たちのカプセルがよく見える。そのときになってトラヴィスと未亡人であるルイーズ夫人がやってきて、儀式のように空を見つめるのだ。しかしケープカナベラル一帯に壁が建設され始め、三人は砂漠に閉じ込められようとしていた。砂漠の赤い砂は火星から持ち込まれた砂で、そこには未知の胞子、地衣類が含まれていた。たちまちに植物を枯らすため、ついに封鎖されることになったのだ。そこへ宙に浮かぶ宇宙飛行士のカプセルのひとつが、落下しようとしてきた。

レビュー
書かれた年代としては、米ソの宇宙開発全盛期で、かつてないくらい宇宙への関心が高まっていた時期だろう。この他の短編もそうですが、バラードの外宇宙への視線はシニカルだ。廃墟となった砂漠で、かつての栄光を眺めて過ごす三人の人物は、宇宙という魔物に魅入られた者の成れの果てである。イーロン・マスクが火星に行こうとしているのも、人類のためとかではなく、きっと個人的な夢を果たすための計画なのだろう。全ての宇宙開発がそうだったのかもしれない。

監視塔

あらすじ
宙に浮かぶ監視塔の存在は、レンサルを鬱屈とさせた。正体不明のそれは、住民にある種の自粛を強要させるものがある。レンサルは軽い反抗心のつもりで、監視塔の真下で野外パーティを開く計画を実行に移そうとする。しかしいざその段階になると、委員会の反対もすんなり止み、住民たちは監視塔の存在を忘れたかのように、みな屋外に出始めた。いや本当に忘れたのだ。監視塔の何者かによって住民は暗示をかけられ、ただ一人レンサルだけが正気だった。宙に浮かぶ数百の塔、その総ての窓に、レンサルを冷たく見下ろす何者かの影があった。

レビュー
怖い。ディストピア風味の監視社会モノっぽい感じもある。宙に浮かぶ監視塔のビジュアルイメージも鮮烈で、マグリットの絵にありそうな光景を思い浮かべていました。ほんの冗談くらいで始めた野外パーティが、大ごとに発展していく戦慄。結局、監視者の正体がわからないままなのもホラーを加速させます。

歌う彫刻

あらすじ
ミルトンはヴァーミリオンサンズのギャラリーで、音を発する彫刻、音響彫刻を手がける彫刻家だった。あるときギャラリーを訪れたのは、かつての大女優ルノーラ・ゴールンだった。彼女に作品を買われたミルトンは、作品を調整するためなどと理由をこねて、彼女の元を頻繁に訪れるようになる。ある日、ミルトンの音響彫刻が壊れてしまったとき、ルノーラは気も失せんばかりに取り乱す。ルノーラが駆け出しであるミルトンの音響彫刻を買ったのは、ただ自分を写す鏡が欲しかったから。ルノーラは彫刻のなかに、かつての自分の栄光を見ていたのだった。

レビュー

こうしてすべての彫刻のスイッチが切られてみてはじめて、ぼくは非音響彫刻が、どんなにか死物に見え、墓石に見えるかに思いあたった。

無数の音響彫刻に囲まれた屋敷に住み、それが発する音の波が屋敷中を震わせるのが好きだったというルノーラの存在は、墓の前に佇む未亡人のよう。音を発しなくなり、死に絶えた彫刻が、一斉に静寂を奏でるラストは、騒々しい前半の展開の、哀しく痛ましい残響を聞くかのようだ。

九十九階の男

あらすじ
フォービスは自分でもわからぬ強い衝動に従って、ビルの100階にある屋上を目指していた。しかし100階に至る最後の段に足をかけると、いつもすくみ上がる。これで三度目だった。ヴァンシタート先生は、何者かに後催眠暗示をかけられ、「ビルの100階」を目指せと命じられているのだと説明した。ヴァンシタート先生が、万が一の自殺を防ぐ応急処置として、さらに後催眠暗示をかけ、100階に至る途中で引き返すように命令を刷り込ませていたのだ。しかしその効力も薄くなってきており、一か八かのかけで、フォービスとヴァンシタートは99階を踏み越えることに。

レビュー
これもよくできたショートショート。なにかの暗示にかけられるというネタだったり、高層ビルと言う舞台が、バラードっぽいのかもしれない。

無意識の人間

あらすじ
フランクリンはある種の陰謀論を信じるハサウェイという男に手を焼いていた。国土の三分の一が高速道路と商業センター、その駐車場でできている世界、その真っ只中に新しい巨大看板が敷設されようとしていた。彼曰く、その看板にはサブリミナル広告が忍ばせてあって、周辺住民の購買意欲を無限に煽るのだという。馬鹿馬鹿しいと思ったフランクリンも、思えば数ヶ月ごとに車や家電を買わされていた。修理するよりも新品を買った方が安いですよ。という文句に気づけば従っていた。ハサウェイはついに巨大看板への破壊工作を決行し、電光表示の下に隠されていたものを暴き出す。

レビュー
大衆は広告によってありもしない欲望を植え付けられている!というのは懐かしい議論かもしれません。実際、広告というのは業界内でシェアを獲得維持するためのもので、購買意欲を直接植え付けることはない。
それでも、安く買って壊れたら買い替える式の生活様式というのは身につまされる。別に差し迫って必要でもないのに、iPhoneを新機種に買い替える人っているよね。

爬虫類圏

あらすじ
ミルドレッドとロジャー夫妻は休日のヴァカンスに浜辺を訪れていた。あたりは窮屈なほど人に溢れ、海岸を埋め尽くしている。ラジオからは人工衛星の打ち上げが中継され、ロジャーは遠くから海を眺めていた。ふと海岸の人々がいくつかの集団になり始めた。海の向こうに何かあるのだろうか。次つぎに人が殺到し始め、海岸は立錐の余地がないほど敷き詰められていく。ロジャーは、はたと思い当たる。人工衛星から発する赤外線が人体にサブリミナルな影響を及ぼすことを。そして人の群れは、ゆっくりと海に向かって歩き始めた。

レビュー
パラノイアックな話が多い。執筆時期的にも米ソ冷戦の真っ只中で、敵国の人工衛星が空を回っているという恐怖があったのかもしれない。全く推測ですが。
タイトルの爬虫類圏とは、ビーチに寝そべってたむろする人々の奇妙な光景をさしてのことです。

地球帰還の問題

あらすじ
国連宇宙局のコノリーは、船に揺られ、アマゾンの密林を航行していた。もう5年間も行方不明になっている宇宙飛行士、スペンダー大佐を捜索しているのだ。大佐は再突入の際のアクシンデントで、このアマゾンのどこかに墜落したと考えられていた。コノリーは船長のペレイラの案内で、付近のインディオたちを統べるアメリカ人、ライカーの元へ向かった。ライカーは不思議とインディオたちに崇拝されており、彼の命令を忠実に実行した。やがてコノリーは、ライカーが崇拝されている原因と、墜落した大佐のカプセルを発見することになる。

レビュー
のっけから『地獄の黙示録』のような始まりです。バラードは早くも宇宙開発が、かつての西部と同じく、フロンティアスピリットに根差した衝動、外界に投影された願望の充足ではないのかという結論を用意している。インディオたちは、ライカーによって宙に浮かぶ衛星の光を、積荷信仰カーゴカルトと結びつけ権力を得ていた。宝の船がやってきて、楽土をもたらすというような信仰をインディオたちは信じ込まされていたのだ。だがそれは、文明人とて同じことだ。宇宙探査による未知の発見や、テラフォーミングされた月や火星の楽土に住むという幻想。それは全て、現代の積荷信仰に過ぎない。

時間の墓標

あらすじ
シェプリーはある墓荒らしの集団に加わっていた。暴くのはただの墓ではない。時間の墓タイム・トゥームだ。
シェプリーはメンバーの一人である老人とともに、砂漠に埋もれた時間の墓を見つける。墓に安置されているのは、未来の世界で復活を試みようとした人間の生体情報である。シェプリーの前に、墓の主である美しい女性の像が浮かび上がった。その女性に魅入られたシェプリーは、墓の存在を内緒にしようとするが、仲間に嗅ぎつけられてしまう。暴かれた女性の生体情報はしかし欠落しており、いわば皮膚だけの抜け殻であることがわかる。

レビュー
あとがきで飛浩隆氏が、バラードの小説を美術品のようだと言っていて、それが確かにしっくりくる。この作品だけでなく、多くのバラード作品に共通する。モナ・リザの神秘的な微笑に魅入られる感覚と似ているのかもしれない。目の前にある一枚のカンヴァスが、ルネサンスの時を超えて自分の目の前にあるという驚き。時間の〇〇っていうタイトルが多いよね、バラード。

いまめざめる海

あらすじ
メイスンはいつも海をみる。夜の帷がおりたあと、近所の舗道を波が這っていき、静かな住宅地を潮の匂いが飲み込んでいく。
妻は幻だと言ったが、その光景はメイスンに焼きついていた。メイスンが幻を見る場所は、二億年前、海があった。

レビュー
波が家々の足を水没させ、静かな夜の世界を浸していく光景は、美しく退廃的。
はるかな時の彼方にたたずむ、夢の海と女性。
バラードの短編は風景画を味わうようで、居並ぶビルや廃墟、邸宅に砂漠、そこに隠された人間との関係性を探ろうとしているかのようです。これをニューウェーブというのかどうか、僕にはまだわかりませんが、センス・オブ・ワンダー皆無なバラードの小説は、確かにSFの新しい地図を描き出すものであったと思います。

あとがき

バラードのSFが明らかにそれ以前のSF、ハインラインやアシモフと違うのは、テクノロジーに対する視点が常に現在に据えられており、それに取り囲まれて生活する私たちの現実を、歪んだ鏡像のごとく描き出すところだろうか。
伊藤計劃やギブスン、サイバーパンクへの影響もよくわかる。

他にも、オブジェに対する奇妙な愛、ノスタルジー、過去への憧憬。ギブスンや伊藤計劃がジョゼフ・コーネルの箱が好きだったところ見ると、バラードにも同じものを見ていたのだろう。いやコーネルにバラードを見ていたのだろう。僕は同じ魅力を感じるのです。

とかく難解なイメージがつきまとうバラードですが、短編群は磨き上げられた構成で、決して筋を見失わない。「あれこれなんの話だっけ?」という消化不良はなく、それでも読み終えた後は、やれテーマがどうだとか、教訓めいた感想を蹴散らす、鮮やかなイメージだけを残していく。美しい夢から醒めた後の、陶然とした余韻を感じることができます。

参考記事

円城塔先生の書評なども


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