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ふしぎな人とやさしい人。~ファイト!~

 冬のある日。侑里が冬休み中の自分の母校を訪れた。正門をくぐると、レンガ造りの花壇が目に入る。この花壇のラナンキュラスはいつ見てもキレイだなと思う。
「…あら?」
レンガ造りの花壇の縁に腰かける小さな女の子がいた。女の子は笑顔で、耳につけている星型のイヤリングに大事そうに両手を触れていた。その姿はとても可愛らしく、花壇のラナンキュラスと、とても良く似合っていた。
「待ち合わせかな?」
その、美しく絵になっている光景に侑里が小さく微笑んだ。

 侑里が昇降口に向かう。その道中も懐かしさを感じていた。
「…え?」
校舎の玄関にたどり着く。やたらと背の高い男子生徒が、侑里に背を向ける形で靴を履き替えていた。
「慎吾?」
その背中に慎吾を思い出し、思わずつぶやく。
「はい?」
その男子生徒が振り返る。とても端正な顔立ちで、慎吾のゴツイ体と違い、スラッとしたスタイルだった。
「あぁ、ごめんなさい、人違い」
「そうですか」
男子生徒が爽やかな笑顔を見せた。侑里が靴を脱ぎ、履き替えようとする。
「…あ、そっか」
思わず、在校中に使っていた下駄箱で、あるはずのない自分の上履きを探していることに気づく。自分の失敗に恥ずかしくなって小さく笑った。
「…あ、ちょっと待っててください」
その様子を見ていた背の高い男子生徒が声をかける。少し待っていると、来客用のスリッパを持ってきてくれた。「どうぞ」と侑里の足元に置いてくれる。
「ありがとう」
「よくわかったな」と思いつつ、侑里がスリッパに足を通す。
「いえ、全然」背の高い男子生徒はさわやかな笑顔を残して校舎を出て行った。
「去り際もかっこいいな」
そう思っていた。

「こんにちはー」
「こんにちは」

音楽室に向かう。途中、部活や何かの理由で来ていた生徒とすれ違い、お互いに挨拶を交わす。制服を着た学生たちが、若々しく可愛く見える。
「そんなに年違わないはずなのにな」
そう思い、小さく笑った。

 階段を上がり、音楽室に向かう。
「…あ」
近づくにつれ、ピアノの音が漏れ聞こえてくる。その音色に嬉しくなり、小さく微笑んだ。

こんこん。

音がするかしないかぐらいの力でノックをし、音を立てないようにそーっとドアを開けた。

 松下がピアノを弾いている。久しぶりに会う松下の姿に懐かしくなり、同時に嬉しくなる。
演奏の途中、松下と目が合う。侑里は小さく会釈し、松下は小さく微笑んだ。
松下の演奏が終わる。「ちょっと待ってね」と言い、楽譜になにやら鉛筆で書き込んだ。

「久しぶりだね」
「お久しぶりです」

侑里が頭を下げる。松下は「ふふ」と微笑んだ。
「じゃあ、お茶しようか」
「はい」
二人が、音楽準備室に、向かう。

「おじゃまします」

そう言って中に入る。松下が振り返った。
「なんですか?」
「いや、懐かしいなと思って」
二人で、微笑み合う。

 音楽準備室は、松下が自分の部屋のように使っている。この部屋の雰囲気は相変わらず、ここが学校であることを忘れさせる。侑里が、久しぶりに入るこの空間を懐かしさを感じながら見回した。その姿を松下が微笑んで見つめる。
「…なんか、変?」
「いや、そんな!」
「侑里ちゃん」
「はい?」
「『思ったより片付いてるな』って思ったでしょ」
そう言って笑う。「え!?」と驚き、「相変わらず、鋭いな」と思い、その事にも懐かしさを感じた。
「はい、正直…」
「やっぱり」
侑里は、片付けが苦手な松下の事を考えると、部屋は散らかり放題になっていると思っていた。しかし、多少の散らかった様子は見えても、予想よりは随分片付いた様子だった。
「実は、侑里ちゃんの後任が決まってね。私の専属でここの担当になってもらってるんだ」
「そうなんですか」侑里が微笑む。
「…どう?その子の掃除は?」
「え?」
「先輩から見て」
「先輩なんて、そんな」と侑里が可愛く笑う。
「なんだろ。ピシッとしてて、完璧な職人の仕事って感じがします」
その答えに、松下は「お、さすが」と微笑んだ。
「え?」
「その子は、アルバイトでビルの清掃をやってるんだって。だから、『職人の仕事』っていうのは合ってるよ」
そう言いつつ、松下がテーブルの上の鉢植えの花にティーポットから水を与えた。松下が愛おしそうな目で花を見る。その姿を、侑里が少し距離を置き、引きのアングルで見た。
「きれいですね」
侑里の口から漏れた一言に「え?」と戸惑い笑う。そして、しおれかけている花びらに手を添えた。その笑顔と仕草は、完璧なほど綺麗だった。松下の一点の曇りもない美しさには、この完璧な仕事を施した部屋がふさわしい気がした。
「こういう掃除が、先生によく似合ってると思います」
「そう?」と微笑む。
「私は、侑里ちゃんの家庭的で優しい雰囲気の掃除も好きだよ」
「ありがとうございます」
侑里が微笑んだ。松下に褒められるのは、いつも嬉しい。
「…あ」
「え?」
松下が、わざとらしく困った顔を作った。
「その子はさぁ、年末年始はバイトが忙しくて、この部屋の掃除を頼めないんだよ」
そして、わかりやすく「はぁ」とため息を吐いた。その様子に侑里が小さく笑う。
「…もしよければ、掃除しましょうか?」
「え、いいの!?」
「はい、今日は時間に余裕もありますし」
「えー、じゃあ、お願いしちゃおうかな」
昔のような会話を繰り返し、二人が微笑みあう。

 侑里が掃除を始めると、松下は音楽室に戻りピアノを弾いた。松下の演奏を聴きながらの掃除は、楽しかった。

 「相変わらず、きれいにしてくれるね」
「ありがとうございます」

侑里の掃除が終わり、二人はティータイムを始めた。松下は自分に紅茶を淹れ、侑里にカフェラテを淹れてくれた。
「きれいな部屋で飲む紅茶は美味しいな」
松下がささやき、窓の外を見た。その横顔に侑里が見とれる。そして、カフェラテを一口飲んだ。カフェラテの甘味が、侑里に幸せになる魔法をかける。
「この部屋で飲むカフェラテは、特別な味がします」
「そう?よかった」

 「その子…って言っちゃっていいんですかね?」
「あぁ、後任の子?」
「はい」
「いいと思うよ。体はがっしりしててね、それこそ、慎吾君みたいに強そうなんだけどね」
「おっきいんですか?」
「ううん。体は、ものすごく小さいの。侑里ちゃんとそう変わらないんじゃないかな。でも、頑丈そうで、頼もしいんだ。なんだけどね」
「けど?」
「なんだかね、可愛いんだ。私が言ったことへの返事だったり、反応がね」
「へぇ…」
「普段はさ、結構気を張ってる感じはするんだ。相手を威圧するようなものではないけど、常に戦闘態勢っていうか」
侑里はうなずき、慎吾のことを思い出す。疲れて、気持ちが切羽詰まった時はそんな雰囲気を感じることがある。
「でも、名前を呼んで声をかけると、その雰囲気がパッとなくなって、ちっちゃくてかわいい男の子になっちゃう。だから、ついからかっちゃったりしてね」
そう笑う松下の顔は優しかった。
「ごめんね、話さえぎっちゃって」
「え?」
「なにか、言おうとしてなかった?」
「あぁ、いえ。大したことじゃないんです。ただ、その子は、優しい子なんだろうなって思って」
「うん、すっごく優しいよ、侑里ちゃんみたいに」
侑里が嬉しそうな顔で笑った。
「よくわかったね」
「この部屋の専属になったんだったら、きっと優しい人だろうなって」
侑里は、半ば押し付けられる形でこの部屋の掃除を任される事になった。きっと、同じような流れでそうなったのだろうと想像する。
「あぁ」と松下が笑う。
「その子は、この部屋の専属に自分からなったんだよ」
「…えぇ?」
「うん。ある日突然、『先生の専属になりました』って」
「…どうやってですか?」
その質問に、また「ふふふ」と笑う。
「『押し通しました』って」
「押し通した?」
「うん。『委員会の先生、文句言わなかった?』って聞いたら、『なんかごちゃごちゃ言ってましたけど』って」
「『けど?』」
「『押し通しました』って」
二人が、大きな声で笑う。
「なんか、パワフルですね」
「そう、パワフルなの。すっごく強くてね。その一方で優しいんだ」
そう、微笑んで言う。
「いつもね、私のピアノをじぃっと聴いてくれるんだ。それがなんだか嬉しくてね」
「…へぇ」
「ドアをそーっと開けて静かに入ってきて、ピアノから少し離れた所に立って、ちゃんと聴いててくれるんだ」
「…可愛いですね」
体の小さな男の子が、松下の演奏を静かに聴いている。その姿を想像して、そうつぶやいた。
「うん、とってもかわいい」
松下も、そう微笑んだ。
「その子もね、本当はカフェラテとか、甘いものの方が好きみたいなんだ。でも、初めてお茶に誘ったとき『紅茶が飲みたい』って。私に合わせてくれるんだよ」
「…可愛いですね」
また、同じ言葉をつぶやく。今の話は、可愛すぎる。
「でしょう」
松下も、また優しくほほ笑んだ。その顔は花を見る時の顔と同じだった。
「…先生」
「ん?」
「…もしかして、その子は何か苦労を抱えて生きてるんじゃないですか?」
「…何でわかったの?」と松下が少し驚く。
「確かにその子は、おとうさんが事故にあって働けなくなって、彼がバイトして家を支えてるんだって。おかあさんも体が弱いみたいで」
「…それって」
「うん。慎吾君と似てる境遇だよね」
「ですね…」
侑里が小さくうつむく。昔にも、そんな顔を見たなと松下は思っていた。
「…きっと、ですけど」
「うん」
「その子にとって、先生との時間は、手放したくない時間なんだと思います」
松下が紅茶をすする。
「委員会の先生からごちゃごちゃ言われても、周りから文句が出ても、絶対に手放したくないんだと思います。先生と過ごす時間は」
「…きっと、そうなんだろうね」
「…先生」
「ん?」
「その子のこと、少し、注意深く見てあげてください」
「え?」
「昔、慎吾が言ってた事があるんです。『強さと優しさを両方持ったら、心が壊れちゃう』って」
侑里が心配そうな顔をする。
「質問されて、その返事として言ってた言葉なんですけど、ものすごくよく覚えてて」
「そっか」
「ほんの少し気にかけてあげるぐらいでいいと思うんです。先生の負担にならないぐらいで。なので、ちょっと気にしてあげてください」
侑里に、松下が微笑みかける。
「もちろん」
相変わらず優しい子だなと思った。顔も見たこともない他人のことを、心から心配している。本当に、優しい子だ。
「私にとっても、大事な生徒だからね。ちゃんと見るよ」
侑里の表情に安心が浮かぶ。
「でもきっと、こうやってお茶したり、先生がそうやってからかったりするだけで十分だと思います」
「そうなのかな」
「はい。きっと喜んでると思います」
侑里は、頭の中でその男の子の事を「誰かに似てるな」と思っていた。
「会ってみたいなぁ、その子」
「いつか会えるよ」
当然のことのように、松下がそう断言する。なんの根拠もない言葉だが、松下が言うと、本当にいつか叶う気がしてくるから不思議だ。

 「慎吾君は、元気?」
二杯目の紅茶を飲みながら、松下が聞く。
「元気です。先生によろしくって言ってました」
そう言って、侑里も二杯目のカフェラテを飲んだ。
「今は、寮生活だよね。会えてないんでしょう?」
「そうなんです。でも、私の誕生日に外出許可とって、会いに来てくれました」
「そっか、よかったね」
「はい」と嬉しそうに、少し恥ずかしそうに頷いた。
「侑里ちゃんは、今はどうしてるの?」
「今は、アルバイトしてて…」
「へぇ、どこで?」
「お花屋さんです。そうだ、先生、聞いてください。そのお花屋さんの店主が…」

 そのあと、二人はたくさんの話をした。慎吾のこと。侑里の父親のこと。侑里がいまアルバイトをしている花屋のこと。松下は、その話を笑ったり頷いたり、時々、助言めいたことを言いつつ、優しく聞いていた。

 何杯のカフェラテを飲んだか、もうわからなくなるぐらいの時間が経って、侑里は帰ることにした。
「すいません、長居しちゃって」
「楽しい時間はあっという間だね」
「ですね」と二人でほほ笑みあう。
「また、遊びに来てもいいですか?」
「ぜひ来てよ。またお茶しよう」
「はい」
侑里が松下の部屋を出る。松下は「またね」と手を振って見送ってくれた。侑里が、「はい」と笑顔で頷き、扉をそーっと閉めた。

 侑里が校舎の玄関を出て、正門に向かう。
「…あら?」
レンガ造りの花壇の前で足を止めた。花壇の縁に腰かけていた小さな女の子の隣に、スリッパを差し出してくれた背の高い男の子が座り、仲睦まじい様子でおしゃべりをしていた。二人ともとても幸せそうな顔をしている。あれから、だいぶ時間が経ったはずだが、二人はとても楽しそうだった。
その姿はまるで、昔の自分たちを見ているようで、少し気恥ずかしかった。

 その二人を見守りながら侑里が学校を出る。その時、ジャージ姿で白い息を吐きながらランニングをする生徒が侑里のそばを横切った。
「この寒いのに、えらいなぁ」
そう呟いて、見送る。頑張る男の子の背中が小さくなる。
「ファイト」
侑里が、小さなエールを送った。

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