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自分の人生を歩みたい


10代のころから、そんなことを漠然とおもって生きてきた。
でも、じゃあそれっていったいどういうことなんだろう。

進学や就職、転職。たとえば、そういったときになにを信じるだろうか。
わたしは高校受験のとき、志望校のランクをひとつ落とした。

成績がわるかった。内申点として、中2の3学期・中3の2学期の成績が入試の点数と合わせて、判定される時代だったのだ。
中3になって塾に入り、猛勉強の末に成績を一気に伸ばしたものの、5段階でほぼオール2だった中2のころの成績表が最後まで足を引っ張った。

「ぜったいに、ここにしておいたほうがいい」
中学や塾の先生たちに諭され、元々の志望だった、学区6校中2番目の高校をあきらめ、3番目の、ちょうど真ん中のレベルの学校の入試を受けることとなった。

ただ、入試の自己採点が終わったあと、塾の先生にこう言われたのを覚えている。

「あ、この点数なら元々の志望校でも受かってたね。」

おい、お前らが言うたからランク落としたんやんけ。そんな言葉が喉元まで出かかった。中学校も塾も、生徒を浪人させたくない、ちゃんと進学実績に入れたい、という気持ちはわかっていた。でも、釈然としなかった。たとえそうだとしても、その言葉は聞きたくなかった。秘密にしていてほしかった。

その高校でできた友達とは、卒業して10年以上経ったいまでも仲良くしているし、結果的にはそこに進学してよかったとおもう。でも、自分の意思を曲げなかったらどうなっていたのかな、という想いはいまだにある。


ただ、いくらそんなことをおもっていても、その意見を受け入れて判断したのは自分だしなぁ、と最近ようやくかんがえられるようになってきた。
他人は、自分の人生の責任を取ってくれない。自分の責任を取れるのは自分だけだ。

インフルエンサーの意見には、ポジショントークがあろう。
たとえば「ひとに読まれるブログの書きかた」の本を出しているひとが「ブログなんかやっても意味ないよ」なんていうわけがないのだ。きっと、文章よりも絵の才能のあるひとに向かっても「ブログを書いたほうがいい」と言うはずだろう。

友人・知人や周りの大人たちも、自分の知識や経験で善意のアドバイスをしてくれているわけだが、それがほんとうに自分に合うかどうかはわからない。つらい環境に置かれていても、それに耐えて我慢をして成功したひともいれば、さっさとあきらめて、ほかの道を探して成功したひともいる。
自分がアスペルガーであるということを知ることで救われるひともいれば、知らなければ普通でいられた、とおもうひともいるだろう。

ひとはみんな、自分の経験や物差しでしか語ることができないのだ。


「あいつがあんなことを言ったから!!」「あいつのせいで!」そうやって、ひとを逆恨みすることはかんたんだ。自分も正直、そうおもってしまうこともある。先ほどの高校受験の話なんかまさにそうだ。でも、そうやって怒っているうちは、きっとひとに人生を歩かされているんじゃないか。

自分の判断に責任を持って、自分のちからで。自分の人生を歩んでみたい。
まだ、ようやく一歩を踏み出したばっかりだから、さ。


#エッセイ #日記 #コミュニケーション #人間関係 #note #10代

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