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「社会人になると友達はできない」


って話、まぁよく聞くじゃないですか。あれって本当なんだろうか。

それは、半分合っていて、半分まちがっているんじゃないか、とおもっている。わたしがおもうのは、「社会人になると友達は『できにくくなる』」だ。


学生時代のことを思い出してみる。学校という場はおなじ年齢というだけで、いろんなひとが集まってくる。逆に言えば、勉強ができなくても、運動音痴でも、気さえ合えば仲良くなれる。

社会人になると、例えばまず仕事の出来不出来があるだろう。会社や取引先の相手と友達になるのは、なかなかむずかしい。
「いいやつなんだけど、仕事が雑だな……またフォローしてやらないといけない。」
「ほんとあいつやる気がないんだよね。趣味は合うんだけどさ。」
「すっごくいい先輩なんだけど、いつも尻拭いをしてもらっていて申し訳なくて……」
社会人は、学校とはちがって他人の仕事ぶりが自分にのしかかってくる。
単純に「ひとがいい」「趣味が合う」だけでは付き合えないのだ。
さらに、出世コースのあらそいもある。さいきんそういうひとは減ったような気もするが、むかし勤めていた会社では出世のライバルをものすごく敵視する先輩がいた。お互いけっこう似たタイプなのになぁ、と横目で見ていたのだけど。


ここまで読んで、「いやおい待てよ、てきとうなことを言うな。学生時代のほうが友達できにくかったわ!!」と言いたいひともいるだろう。
たしかに、おっしゃる通りだ。それもまたひとつの正解だとおもう。かくいうわたしも、学生時代の友達は数えるほどしかいない。

同調圧力というものがある。学生時代はとくに、「輪をみださない」ことが大事なこともあるだろう。
集団のなかで一度「異質」「へん」というレッテルを貼られてしまうと、剥がすのはむずかしい。わたしの住んでいるような田舎だと、ひととひとの結び付きがつよい。学生時代に失敗すると、それだけで社会人になってもうまくやるのがむずかしかったりする。人生ハードモードだ。

社会人になると、この同調圧力はかなり軽減されるだろう。場所によってはもちろんあるだろうが。
自分のほうも「見せかた」を多少はわかってくる。地獄の学生生活を送っていたひとほど、社会人になってからのほうが友達ができやすいと感じるのではないだろうか。


ただ、社会人は人間関係が広がらない。学生時代にあった「クラス」「部活」「委員会」「バイト先」といった、周りにいろんなひとがいる環境は、社会人には与えられないのだ。
わたしは高校生のころ、クラス内で孤立し、まさに地獄にいるような気分を味わっていた。
しかし、委員会では他クラスの同級生、先輩や後輩に恵まれ、そこで仲良くなったやつとはいまだに遊ぶ仲間だったりする。環境のひとつがだめでも、ほかのところで救われる可能性があるのは、学校のいいところだなぁ、とおもっている。

社会人はというと、たとえば大企業であれば異動や転勤もあるだろう。ときには転職することもあるだろう。出入りしている業者の担当者が変わることもあるかもしれない。
だが、毎年のようにクラス替えや、委員会が変わるなど、新陳代謝のよさはやはり学生時代とは比べものにならないだろう。バイト先はいつ辞めてもいいが、会社を変えるのはそれなりにたいへんだ。
そして、先に述べたとおり、仕事の関係と切っても切れない場合がおおそうだ、というのもある。


じゃあ、どうやって人間関係を作っていけばいいのか、というと、やはり自分から積極的に求めなければならないのではないか、とおもう。
たとえばSNSであったり、なにかのサークルであったり、ワークショップであったり。イベントに参加することもそうかもしれない。
とにかく自分から外に出ていくことができれば、少しずつ友達は増えていくような気がする。

だから、「社会人になると友達ができない」っていうひとは、どうか最初の一歩を踏み出してみたらいいんじゃないかな、とおもうのだ。

……まずはわたしのnoteにコメントからなんて、どうですか?なんてね。


#エッセイ #日記 #コミュニケーション #人間関係 #note #思考

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