バイクで事故って死にかける なぜ僕がドイツに渡るに至ったか。前編 自分語り自己紹介

2021年12月。僕は125ccバイクに乗っている最中、20tトレーラーと衝突した。左車線から右折するトレーラーが壁となり、その側面にAKIRAよろしくにハンドルを切りながら慣性で突っ込んだ。


この話をする時、必ず本当が訊かれる。実際僕もその話を目の前の五体満足の人間が話したら、嘘。か本当?のどちらかを口にしてしまうと思う。
その頃、僕は彼女に振られて間もない頃で、毎日職場から帰る最中にブルーハーツをがなったり奇声を上げながらアクセルを全開にしていた。だから、止まることができなかった。幸い制限速度ギリギリだったので、過失は9:1で向こう持ちだった。
救急車で運ばれ、土日を挟んでいたので二日間入院した。そして診察を受けると、バイクのタンクと側面に挟まれた左足がパンパンに化膿しているのとむち打ち、そして膝関節にヒビが入っているようで済んでいた。トラックから降りてきた運転手の最初の一言が「巻き込んだかと思った。」だったと思えば、これ以上の軽症はないように思う。結局僕は二ヶ月ほど労災で一日中寝ていても給料が入るようになった。バイクは廃車だったが、保険と慰謝料で新しい新車を買うことができた。


その頃の僕は精神を病んでいて、毎日仕事の終わり際電車の中でロラゼパム(抗不安薬)を噛み砕く日々だった。(職場は電車に一時間ほど乗り、そこから家までバイクで通う生活だった。)
漠然と死にたくて、いつも彼女に泣きついていたし、距離感の取り方も明らかに間違えていた。だから振られたのだと思う。実際、事故を起こしたとき、振られたというのに気を引きたくて事故した僕の写真を彼女に送ってお情けの心配を頂く始末だった。
それ以前から仕事はやめようと考えていたしこれを期に仕事を辞めることを決意した。
仕事を辞めたあとにすることは決めていた。どこか遠いところで住み込みバイトをすることだった。住み込み派遣の登録を行い、憧れのあった関東の一等級観光地である箱根に住み込むことにした。
箱根にはバイクで向かった。広島県の端っこから関東まで、数日かけて旅をしながら移動した。出発をする前ドイツの会社に務めていた伯父が「どうせなら海外に旅行にでも行ったらどうだ。」と声をかけてくれた。でも僕にその気はあまりなかった。いいな。と思うことはあれど、自信がなかった。英語なんて高校の頃に中学レベルのテストで9点をとった有様だったからだ。
そして、僕は岡山、兵庫、大阪、京都、岐阜、名古屋、静岡、神奈川(ついでに東京)とバイクで旅をして箱根で住み込みバイトを始めた。ひとまずはここまでで一区切りだと思う。


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