なんとか半日の勤務を続け、時間も延ばしてみた。職場のことがわかり始め、疲れて終わった

4時間勤務をこなすうち、先輩が少しずつ仕事を教えてくれるようになりました。
最初は緊張していたけれど、患者とは一期一会のようなもので、あとから嫌な思いをするということもありませんでした。

でも1度、職場でわんわん泣きました。

ある先輩の口調が、厳しくて、それが続いて我慢できなくなったのです。
わんわんし始めると、ほかの先輩がすっ飛んできて助けてくれました。

厳しい口調の先輩は、いつもは優しいのですが、たまたま虫の居所が悪かったのだと思います。そんなことは、誰にでもある話で、「このおばさん怒ってるやん」くらいに流すべきでした。

わたしは、先輩の言葉をそのまま受け取ってしまい、さらには「私のことがムカつくから、こんな意地悪されているんだ」「この仕事はやっぱ向いていないんだ…」と思い込み、涙がボロボロになったのでした。

「認知の歪み」そのもので、自分でなんとか対処できる場面でした。
認知行動療法なんてすっかり忘れていましたよ。

イライラしてた先輩は笑って「ごめんごめん」と。でも、そのあと少し距離をおいているようだったので、すごく申し訳がなかったです。

そんなこんなで、2ヶ月後にはもっと給料がほしかったので、6時間勤務になりました。
お昼休憩をはさんで、午後に2時間働くのです。

午後はまた新しいことを覚える必要がありましたが、なんなくクリア。

それより気になったことがあります。
職場の先輩たちが、意外と仲が悪いということ。

誰かが休日となれば、その人の悪口で盛り上がっていました。さらに別な日は、別な人の悪口。昼休憩には、上司や看護部、病院の悪口ばっかり。

あぁ、これが大人の社会なんだ。

これまで長期に働いたことがなかったため、初めて知りました。なるほどと思いましたが、私がいない間も悪く言われてるんだろうなぁと思うと気分が悪くなりました。

思い込みが激しいため、先輩の行動を見ると「やっぱり、私のことを嫌ったりバカにしてるっぽい!」などと、イライラ、そして悲しくなってきました。
おそらく、心配のしすぎということも自分で理解しているのですが、なんだかやっぱり怖かったのです。

そうこうあって、いろいろやっているうちに4年ほどが過ぎようとしていました。

具合が悪くなり休んだ回数は、無数にあります。
必ずといって良いほど月1回は休みました。
ほんとうに鬱になってしまったときは、1ヶ月間の病欠をとりました。

いつかクビになるかな、と思っていましたが、意外と大丈夫でした。

そのうち、知的障害者が清掃員として入社しました。やや多動ぎみですが、休まず出勤します。

あ、きっとこういう人を雇いたいんだ。

そう思うととても悲しくなりました。

そのうち、少し忙しい部署の手伝いにいくようになりました。そこは忙しいことにより、医師も看護師もピリピリムード。喧嘩や怒鳴り声も聞こえてきました。

あるとき、遠くから看護師の話し声が聞こえてきました。


「あの人はやる気の問題だよ」

まったく根拠はありませんが、おそらく私のことを言っていると直感しました。

こんなとこやめてやる。

20代も終盤に差し掛かるころ。勤務はこれまで最長の5年間でした。

月収はおよそ10万円でした。親はもったいないと悲しんでいました。ごめんね…

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