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自分が不幸になりたい人。

不幸になりたい人が時折存在する。驚くかもしれないが本当にいるのである。人とは常に幸福を望み、そのために努力をする物だと物心ついた時から思っていたオレにとっては衝撃であった。

自身を悪い方へ、悪い方へ持っていく人の心象とはどんな物なのか。
最近になってそれは、人のせいにできるというところにあるのではないかと思うようになった。
自身の幸福の追求には労力が伴う。端的に疲れるのである。
だが、自分を不幸に持っていけばそれは人のせいにできる。それは楽であり疲れないし、自分より不幸な人を見つければ束の間の安心に浸れる。
たとえば、物事を局所的に見てそれを誇張し、他人を巻き込むような人である。
そういった人に苦しめられた経験がある人は少なからずいるであろう。そういった人たちは常に安心を求めている。
しかし、それはずっと続くものだと気がついていない。長い目で見ればどちらの方が良いのか。

他律的な幸福や安心は、他律的に絶望や不安を与えられるということである。人と生きていくのは前提だとしても、自身の幸福は追求できるはずである。
幸福とは相対的な物ではなく、絶対的な物であると信じている。
ネットに溢れる「炎上」という現象は端的なそれを表しているかのようにオレにはうつる。

自身の絶対的な幸福。それは人によって違う物であるが、誰にも邪魔されない自律的な物である。故に、幸福なのだ。

アルコールによって絶対的な幸福(幻想かもしれぬ)を手に入れたオレは駄文を書くことによって、それを確固たるものにするという矛盾の中に幸福を見出すのである。

まあ、簡単に言えば酔っ払っていれば幸福だなあということである。

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