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カラオケが苦手。

歌うことが本当に好きで、いつでも手に取れるところにギターが置いてあるし、運転中だっていつも歌っている。
だ、が、カラオケというものが、オレはかなり苦手である。

まず、歌う曲を選ぶのに時間がかかる。歌いたい曲というもの選ぶものではなく、その時々によって決まるものだという感覚が強いからだ。
なのに、絞り出して歌おうと決めた曲はほぼ入っていない。
あと、人の曲を歌うことに抵抗がある。
カラオケや伝統そのものを否定などもちろんしていない。むしろ素晴らしいものだと思う。
だが、オレにはできない。それだけである。

歌いたい曲と、その場で歌うべき曲の乖離が酷すぎてオレには負担になってしまうのだ。気心知れた友人とのカラオケは歌わない時間が半分くらいあった。それが心地よいと感じてしまうのだ。
これは「ヒト」として致命的な欠陥だあるように思える。

なぜなら、音楽での一体感とはホモサピエンスの生存に深く関わってきたという話があるからだ。
ネアンデルタール人が現代生き残っていないのは音楽による共鳴がなく、団結力がホモサピエンスに劣ったからというのだ。

ある集まりでカラオケがあるスナックに行った時に
、何をセレクトしても場がしらけてしまう。
そんなんだから初めから歌わないということを選んだ。

手を叩き、歌った人の名前をコールするノリにオレも参加できたのならもっと楽なのではないかと思うところである。

(スナックにて、13人。そこで書いた記事)

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