9. 一を聞いて十を知る

回や、一を聞いて以て十を知る。賜や、一を聞いて以て二を知る。

人とは不思議なもので、現代ではあまり知られていないような言葉が多く存在する。その中でもこの一を聞いて十を知るという言葉は筆者がふと思い出すほど好きな言葉だ。

一を聞いて十を知る。つまり物事というのはわざわざ、十教える必要はなく一さえあれば十くらいは学べるという話だ。例えばある方による、「ピーナッツの話」がある。

皆さまは、ピーナッツの皮は食べるだろうか?実はあの皮、食べられるのである。その方はピーナッツの皮というのは食べられるものではなくいつも捨ててきた。しかし皮が食べられることを知って今までの自分がしてきたことを振り返る良いきっかけになったのである。そして人間の思い込む力、自分が話すことによって他人から「自分がこうだからあの人はこんなこと話すのか?」なんて思われたりするのもピーナッツの皮を捨てるように食べているのとおんなじなのかな?と語られたのである。

なるほど、と筆者は思った。この視点からはピーナッツという一を知ることによって人間の思い込む力という三、もしくは日本人の思考という五に世界という十にまで発展させられそうである。十よりその先の宇宙は十一、天国とかあの世とかだと十五だったりするのだろうか?この話はどこかコペルニクス的転回っぽく感じられる。

冗談はさておき、ピーナッツの皮ではないが筆者も「サツマイモの皮」なんていう面白い話を持っているので筆者からもその話をしよう。皆さまはサツマイモの皮をご存知だろうか?実はあの皮、貴重な栄養が山ほど詰まったある意味中身より栄養満点な食べ物なのである。

サツマイモの中身というのは、食物繊維だ。食物繊維とは野菜、果物類においてよく含まれている。あのバナナなんて食物繊維の塊だしリンゴなんてものは水を抜けばほとんど食物繊維だ。

これらのように、こうした食べ物というのは実より皮の方が栄養がたくさん詰まっている。サツマイモの皮はポリフェノールが山ほど詰まってるし、ピーマンの種とワタなんてビタミンCの宝庫だ。人はピカピカの栄養を捨ててほとんど栄養の無い中身だけを食べて「おいしいおいしい」とか健康になりたい人が知らないで「これで健康になったわー!」なんて宣っている。なんとも皮肉な話だろうか。

そういえば栄養の話で思い出したが、筆者はレストランだったりスターバックスやスーパーの惣菜、コンビニ飯でもそれらを見てあまり食べようとは思わない。本当は筆者も食べたいのだが。前までは普通に購入したり「おいしいおいしい」なんて食べていたことがあったのだが、あれらにはほとんど栄養の無い糖の塊であることをご存知だろうか?

寿司屋の話である。寿司屋で使われるお米。あれは職人の方が研ぎ汁が透明になるまで米を磨いているそうだ。もはや研ぐのではなく、磨いているのである。そうした米は糠の匂いが殆どしなくなるのだが、米というのは糠に栄養があるのでお客さんに提供する頃には砂糖になっているというわけだ。

そして糖にはどのような効果があるのか。糖というのは、ガンの餌であることが数年前から医者のあちこちでわかっている。つまり人間は「ガンになりたくないよ〜」と言いながらガンの餌である糖分、お米を食べることによってガンになって医者にお金を捧げて死んでいることになっている。こうなってくるともはや笑えてくるのではないだろうか?

とはいえ、人間にとって食べることは幸せの一つだろうし、毎日豆や豆腐ばかり食べる生活というのもなんとも味気ないだろうと思われる。ここに人生の面白さがあるのではないだろうか?どちらが正しいなんてことはまず無いだろう。

我々は何かしら好き勝手に生きている。そのことが他人の迷惑になることだってあるし、自身の身体を傷つけることにもなる。そのことを知ることにより「自分は好き勝手に生きているんだな」と実感したり「どうして世の中というのは酷いんだ!」と嘆くことも減るのでは無いだろうか。

みんなが好きに生きているわけでは無い、

自分が好きに生きているのである。



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