営業の極意

 少しビジネス寄りな記事になるが、仕事をするにおいて、営業をされる方が多いと思われる。
 従来ならば、約束を守り、ハキハキとして、清潔感を装った服装で、コミュニケーション能力がなければ務まらないのは当然だ。しかし、最近は、顧客に対し、控えめとか、腰が低いとか、それが良いみたいな風潮だが、これは明らかに間違っている。
 
「控えめ」とか、「腰が低い」と言うのは、逃げと自己保身以外の何物でもないし、このような軟弱者を営業に回せば、組織の足を引っ張るだけの害悪でしかない。何故なら、アポを取ると言う結果すら残せず、労働者の生活を背負うと言う責任感が皆無なのに過ぎない。

 では、どのような営業の立ち回りが正しいかと言えば、先ほどにも述べた約束を守り、ハキハキして清潔感があり、コミュニケーション能力が高いことに加え、屈強さが求められている。断られても難儀を示されても絶対に食い下がらないことが大事。そして、「断られたら次に当たればよい」と言う考え方は今すぐにでも捨てろ!これはギャンブルにおいて大損をしたら次々とお金をつぎ込んで借金漬けになることと全く同じだからである。
 見込み顧客は客ではないので、何ら腰を低くする必要もない。とりわけ、そいつが曖昧な返事をするものなら逆に自分の価値観を強要するべきである。わざわざ時間や経費を割いてまで足を運んでまでお金を払う気のない人間の相手をすることが如何に迷惑千万であることを必死で訴えなければならない。そいつを逃がしたら、そいつは逃げ癖があると言うことは100%当たっている。そのためにも、ある程度の恫喝や激詰めもやむを得ない。それを左翼マスコミは、まるで反社の悪徳業者のような扱いを受けているが、とんでもない話で、やられてる方を見ていると、大体、曖昧な返事をしている。つまり、彼らは恫喝や激詰めされるようなことをしているクズだと言う証左ではないか。だったら、恫喝だろうと、暴力だろうとした方が彼らのためになる。
 曖昧な返事をするような見込み顧客より、自分と組織の生活が大事である。顧客と仲良く、笑顔で営業をするなど、そんなユートピアは破綻している。生物学上の摂理として、少なくともオスライオンが獲物を狩るかのごとく、食うか食われるかの世界は人間界でも全く同じ。「理性」など、所詮は「理想」であり、最も醜いエゴである。ひたすら生き残りをかけた戦いで勝ち続けなければならない。無慈悲で、冷徹かも知れないが、正しい道はそれしかないのが現実。そしてそれは、組織と、我々の家族を守る為にもつながる。

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