いじめ問題

社会・教育問題において、いじめ問題が取り沙汰にされている。そしてそれは必ず「いじめる方が悪い」「いじめられる方が悪い」の議論が盛んになる。

私は100%「いじめられる方が悪い」と断じる。例外は、男子が女子に性的な虐待をするくらいで、いじめられる方の言い分は聞く必要がない。
普通、相手が攻撃してきたら反撃するのが当たり前。その反撃方法として体を鍛えるもよし、理論武装をするもよし、見た目を気にすれば解決する問題である。のちにパワハラ問題についても論ずるが別記事で。
つまり、いじめられるような容姿、行動、言動をなくすことが無くなればよいのだから、いじめられる側が努力すればよいのである。

まずはいじめられる側の人間について語ってみる。
いじめられる人は①「優しい」②「貧弱」③「見た目が悪い」など、それらは一見、非難されるべきではない内容だと勘違いされているが、実はそれらこそ社会に害悪を齎す一因となるし、それを指摘しただけで悪者扱いなのがそもそも狂っている。

①「優しい」についてだが、これは一般的には攻撃的でないとも取れる。この手のタイプの人は、面倒事から逃げるだけの「甘い」人間であるだけで、つまりはゴミクズである。私からすれば、こういうタイプの人間に出会ったら、クズの本性を炙り出すことが出来る。そして、利用できるものなら本性剥き出しになるまで、たとえ自殺しようとも、追い込みたくなる。学校や社会において、付き合うべき相手は共に生きるために戦うと言う意識が必要で、仕事仲間にせよ、友人関係にせよ、「甘さ」で足を引っ張られたらたまったものではない。誰もそれをストレートに言わないからか、違和感を覚えるかもしれないが、それが加虐心を煽るものだと考察する。

②「貧弱」についてだが、彼らは「かわいそうな人」と言う扱いを受けているかもしれない。断言するが、こういった貧弱な人間に足を引っ張られるほうがよっぽどかわいそうだと思わないか?
例えば、強豪校のスポーツチームで貧弱な奴がいたら、不快感極まりないが、まさにそれと同じことが社会にも当て嵌まる。
足手纏いでも不快感を覚えるが、こいつらの始末の悪さはこれだけには留まらない。「貧弱」であることを正当化し、向上心もなく、他者に依存したり、それを利用し、特権を得ようとしているのが問題である。正しい使い方を知っている者は刃物を使っても凶行へと走ることはないが、貧弱な奴は「気違いに刃物」であり、危険極まりなく、狡猾で卑劣な存在である。
私だったら「貧弱」を甘んじる態度を取るなら、徹底的に軽蔑する。

③「見た目が悪い」だが、一昔前、「人は見た目が9割」みたいなのが流行ったが、それだけ見た目で判断するのが人間社会の性。
「人を見た目で判断してはいけない」などの甘言に騙され、身だしなみも整えない、強そうな体に鍛えない、だらしなくすることを良しとして、そのまま行動に移すが、それも害悪極まりなく、このような見た目に無頓着な奴と一緒にいたら、得られる信用も得られなくなる。一緒にいるこっちが恥をかくと言う重大性を全く考えてない。恥をかくと言うことは、一般人から見て死活問題であり、その原因となるゴミクズは徹底的に排除されてしかるべきである。

いじめを経験してきた人たちにとって、図星を突かれたと嘆くだろうが、「いじめる方が悪い」と言う連中の甘言にいかに騙されてきたかと言うことがお判りいただけたのではないだろうか?
そして、実は、いわゆる「いじめる側」こそ被害者だし、そちらの言い分こそ徹底的に弾圧されるのが異常である。勝者、成功者の名誉や矜持、尊厳を貶めるという大犯罪行為である。
いいか悪いかではなく、捕食者が生き残り、弱者が淘汰されるのは自然の摂理。それが現実。それを否定するのが平等主義であり、北朝鮮のような共産主義である。

いじめはいじめられる方が悪いと言うことはお判りいただけただろう。では、我々はどうするべきかと言うと、いっそ、いじめっ子になるということ。いじめも刺し殺したりしない限り犯罪ではない。なお、自殺に追い込むなら、それは自殺した本人の問題であり、自殺に追い込んだことを攻めるべきではない。今どきの若者はちょっとした不快感で首を吊るだろうが、それだけ生きる術と言うものを持ってないんだと呆れ果てる。

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