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聖書に学ぶ、そもそも教会ってなに?

教会は建物ではない

イエスキリストが救い主と信じる人の集まり

教会というのは、十字架があって、パイプオルガンがあって、マリア像があって…
と建物自体をイメージする人が多いと思います。

実は、教会というのは建物のことではないのです。

これには驚きました!
驚きませんか?!
え?!
教会って建物でしょう?!
建物じゃなかったら何なんですか?!

『教会とは「イエスキリストを救い主として信じた人の集まり」です』

上馬キリスト教会より

ですから、イエスキリストを救い主として信じた人の集まりがあるのなら、場所はどこでもいいというのです。
自宅の一室を開放しても構いませんし、公園の芝生の上にブルーシートを敷いても、『集まり』があればそこはもう、立派な教会になるのです。

私は、聖書を読み合わせたいという理由から、教会を探していましたが、まさか教会が建物ではないなんて、驚きと衝撃でひっくり返りそうです。

実際に、中国や北朝鮮などキリスト教が認められていない国では、大っぴらに建物を構えられない為、アパートの一室を教会として開放しているところもあるそうです。

それに元々、イエスキリストの愛弟子であるペテロやパウロの時代にも、経済的理由や弾圧がひどく、『家の教会』という自宅の一室を開放している教会がほとんどだったようです。
今の日本では、そうした弾圧もなく教会という建物を建てられる日本という国は、かなり恵まれていると思っていただいて良いと思います。

どんなに大きなチャペルがあっても、そこに人が集まらなければ、教会ではありません。
この意味を具体的に表すとすると、結婚式場はチャペルであっても教会にはならないということになりますよね。

また、教会は『キリストの身体』といわれますが、これも建物自体ではなくて、そこに集まる人が、手となり、耳となり、目となってキリストの身体にっている。という解釈になるようです。

しかし、教会は建物ではなく、そこに集まる人が教会なのだという解釈は非常に楽しく面白い思想だと思いました。
ついつい、日本という国に住んでいると、チャペルが教会だと信じて疑わないと思いますが、そこに集まる人が教会になるのです、という思想が本当に面白く、楽しいキリスト教という思いを膨らませる場所なのだと知りました。

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