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【植物と短歌】シンボルとしての百合

笹井宏之という歌人がいる。私は笹井宏之が好きだ。

笹井宏之の「えーえんとくちから」という歌集を読んでいた時、その中に気になる歌があった。

シゲヨさん、むかしのことをはなすとき百合にならなくてもいいからね

笹井宏之. えーえんとくちから. 筑摩書房, 2019, 73p

「百合にならなくてもいいからね」とはどういう意味だろう。
ユリは何の喩えになっているのだろうか。

そういえば、お見舞いにユリの花はNGだという話を聞いたことがある。
それは香りが強いことと、下を向いて咲くからという理由からきているという。

そこから考えると、つまり「百合になる」とは俯いてしまうということではないか。
シゲヨさんには何か辛い過去があって、主体はそんなシゲヨさんに優しく寄り添っている。そう読むことができるだろう。

下を向いて咲くユリ

下を向いて咲くユリの様子を詠んだ歌は他にもある。

百合のように俯き帽子脱ぐときに胸に迫りぬ破約の歴史

榊󠄀原紘 榊󠄀原紘🐺歌人(@hiro_geist)さん / X (twitter.com)

ただここで思い出したのだが、私が最近見たユリの中に上を向いて咲いているものがあった。


上を向いて咲くユリの花。テッポウユリ?

気になって世界有用植物辞典を引いてみたところ、

現在, 一般に流通しているユリ属の分類法はウィルソン E.H. Wilson の分類(1925) に基づくもので, 花の形態により, テッポウユリ亜属 Leucolirion (筒状花, 横向き咲き, まれに下・斜め上・上向き咲き), ヤマユリ亜属 Archelirion(漏斗状花, 横向き咲き), スカシユリ亜属 Pseudolirion (杯状花, 上向き咲き), カノコユリ亜属 Martagon (鐘状花, 下向き咲き)の4亜属に分けられている.

堀田満ほか. 世界有用植物辞典. 平凡社, 1989, 618p

とあった。下を向いて咲くユリはごくごく一部のようである。

ユリが登場する短歌には以下のようなものもある。

ゆあみする泉の底の小百合花二十の夏をうつくしと見ぬ

与謝野晶子

誰がために摘めりともなし百合の花聖書にのせて祷りてやまむ

山川登美子

暮れたがるふるいからだに百合ばかり咲いているのでもう逢えません

村上きわみ 村上きわみ(@imawik)さん / X

ユリは純潔、謙虚さ、優しい心、美のシンボルであるらしい。上記の歌はそれを反映しているようだ。

純潔さのシンボルである以上、その反対である性にも結び付きやすいのだろうか。以下の二首は性愛の短歌である。

もうゆりの花びんをもとにもどしてるあんな表情を見せたくせに

加藤治郎ほか. 現代短歌最前線 上巻. 北溟社, 2001, 159p

反り返る雄蕊を切って貞操をまもればわたしだけの白百合

桐島あお 桐島あお|note 

そして美しさは怖さにも繋がるようだ。以下の二首はどことなく怖い。

深々と人間笑ふ声すなり谷一面の白百合の花

北原白秋

人も来ぬ奥山路の百合の花神や宿らん折らんと思へど

正岡子規

ユリの登場する歌の心理的背景は様々であり、ユリは多様な心象のシンボルになっていると言える。

今回は近代・現代短歌だけを取り上げたが、ユリの花は古くから日本で愛され和歌に詠みこまれており、万葉集にも登場する。


最後に、夏目漱石「夢十夜 第一夜」よりユリが印象的なクライマックスを引用する。

すると石の下から斜に自分の方へ向いて青い茎が伸びて来た。見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、すらりと揺らぐ茎の頂に、心持首を傾けていた細長い一輪の蕾が、ふっくらと弁(はなびら)を開いた。真白な百合が鼻の先で骨に徹(こた)えるほど匂った。そこへ遥の上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁(はなびら)に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬またたいていた。

「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。

夏目漱石. 夢十夜 第一夜 夏目漱石 夢十夜 (aozora.gr.jp)

「心持首を傾けていた」とあるが、
「真白な百合が鼻の先で骨に徹(こた)えるほど匂った」、
「遥の上から、ぽたりと露が落ちた」、
「自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁(はなびら)に接吻した」、
という描写から、このユリは上向きに咲いていたように思える。

ただこれは夢の中の話であるし、東京大学理学系研究科教授の塚谷先生は著書の中で、

もっとも、『夢十夜』の「百合」は完全に象徴的なものであり、実際に手にとってみることのできない存在であるから、

塚谷祐一. 漱石の白百合、三島の松 -近代文学植物誌. 中央公論新社, 2022, 10p

とおっしゃっている。
種同定をしようとするのはどうも無粋なことのような気がするので、このあたりで終わっておこう。

それを言い出すと、短歌に登場する植物についてあれこれ分析することも無粋なことのような気がしてくるが…。

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