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裁判所へ訴えられた鶏

フランスのとある街に鶏とともに暮らしている夫婦がいた。その街は、リゾート地として知られており、バカンスシーズンになると別荘にやってく人で人口が普段の約20倍に膨れあがるのだとか。

夏の間だけ別荘で暮らしている夫婦が、その街で暮らしている隣の夫婦とその鶏を相手取り、隣の鶏の鳴き声が「騒音」だとして、鶏を別の場所に移すよう求めた訴えを起こしたという。

この海外のニュースをみて、海外の人と日本人では音に対する感じ方が違うという話を思い出した。日本人は、鈴虫の羽音、カエルの鳴き声、雨音、そよそよと吹く風の音、枝が揺れるたびに聞こえる葉音、こういった数々の音に宿る「季節感」を大切に思い、「情緒」「風流」「風情」があるものとして楽しむ傾向があるが、海外ではこういった音をほとんどの人が雑音として捉えると聞く。

音を感情豊かに捉えるその一方で近年の日本では、幼稚園や保育園に対し子どもの声がうるさい、とか学校のチャイムが大きいという理由で苦情が出ることがあるようだ。自分たちの幼少期は周囲の寛容さの中で育ってきたのに、大人になるとそれは棚上げされるのかと思う人もいるだろう。

こういった状況は、殺伐感の中でギスギスと音のなる社会において、その音を敏感に感受した人々が起こす行動なのかもしれないとしたら。ささやかな音にも耳を傾け、それを言葉や行動で表現する日本人が、その感受性で生み出す性(さが)だとしたら。今のこの世界はどう見えるだろうか。

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