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戦いのゴングが鳴った。闘病生活の始まり。

こんにちは。twitterの保護猫アカウントでもたくさんの方に記事をシェアいただいて嬉しい限りです。なのに、更新滞っててごめんなさい…。

毎日じめじめ、むしむしと暑くて、出勤しない日はクーラーの効いた部屋に閉じこもっております。ねこが床で、でろーっとのびて寝ている姿を見るようになると、「あー。夏来たな。」って思います。

ミイが窓辺で日向ぼっこをしながら、てろーんとしていたのが懐かしい。暑いのに、なぜか夜になると顔の横や、お腹のうえ、太ももの間にぴったりくっついてきて、人間は「あつーい…」と寝苦しさを感じていたのも、今はとても恋しいです。うるは(今我が家に居続けているのはひとみ兄弟の紅一点、うるです)くっついたり、離れたり、気まぐれなので、人間は少し寂しい。そして、まだまだ若いうるは、夜中は興奮して運動会を繰り広げ、朝は「ごはーん、ごはーん」と早朝から叫びまわるので、人間は困り果てています。ミイの、ゆったりまったりな、おっとりさを見習っておくれ(泣)あー、老猫のいとおしさよ。

さて、前回はベータの卒業と、すくすく成長し、ワクチンを終え、リビングへ移動した3兄弟について書きました。その後3匹は、無事に3回のワクチンを終え、3人そろって譲渡会デビューも果たします。譲渡会デビューから少し経ったころ、避妊・去勢手術も行い、赤ちゃんの頃の猫風邪で眼球に瞬膜がはりついてしまっていたつぶとうるは、同時に、はりついた瞬膜を少し剥がす手術もしてもらいました。(うるはかなり眼がきれいになりました。つぶは少し残っちゃったけど、それでもかわいさには影響なし。)

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(上:術前 下:術後 のつぶ。ほんのちょっとだけど、瞬膜剥がせて、目がまぁるく。)

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(最近のうる。すっかり綺麗な目。)

ミイの体調に少しずつ変化が現れ始めたのは、そんな最中でした。今日はミイの初期の治療のお話。インスタを振りかえりながら、ミイは本当に長い間頑張ってきたんだなと改めて思います。なんていい子だったんだろう。

薄いピンク…?治療のはじまり。

ちびっこギャングたちの譲渡会デビューも終え、いよいよ我が家の4匹揃って、改めて里親探しに取り組んでいこうという最中のある朝、ミイが普段とは違う鳴き方で騒いでいました。

どうしたんだろう…。そう思いつつミイをなだめていると、おトイレをした後にミイが歩いていたところにぽたぽたと液体が。ティッシュで拭ってみると、うっすらピンク色…。どうも出し切れなかったおしっこが床に垂れた様子。大慌てでクリニックを予約し、受診をしました。

2016年8月のお話です。

受診の結果は慢性腎不全。腎臓の機能が低下すると数値が上がってくるBUN、クレア二チンが正常値よりも高くなっていました。尿蛋白も出ていたと記憶しています。当時は、いまいち病気のことを理解しきれていなかったのですが(一緒に暮らしているのにだめですね…)、おそらくこの時はいわゆる慢性腎不全のステージ2くらいだったのではないかと思います。そして、この診察を受けた日から、まずは投薬治療からミイの闘病が始まりました。

まだこの頃は、食欲もあり、飲水量は多少増えていたものの、ミイ自身は保護後から順調に体重も増え、とても元気に過ごしていたころです。そのため、診察結果にすごくショックを受けました。

ミイと慢性腎不全との戦いの始まりです。

症状の進行。さし間違えるビビりの人間。

診断を受けた後、夏と秋が過ぎ、冬。無事に年越しをし、2017年。このころから、ミイは床に粗相を頻繁にするようになりました。不思議と、私がお休みの日とか、家にいる時間は粗相はしません。粗相をするのは決まって、仕事や飲み会で帰宅が遅くなる時。おそらく、おしっこの量が増えてトイレが汚れやすくなったこと、なのに私がなかなか帰ってこなくて、1日に頻繁にはトイレ掃除をしてあげることはできなかったこと、あと、単純に留守番が寂しかったこと、そんなことが重なって粗相をしていたのだと思います。やる場所はいつも同じくリビング入ってすぐのところなので、このころからリビングの扉の前には、ペットシーツを敷き詰めるようになりました。

月に1回、診察にも行っていましたが、だんだんと緩やかに食欲がまだらになり、食べないわけではないけれど、食べる量もちょっぴり減り、それに伴って体重も少しずつ減量していました。

最初の診断から約1年が経ったころ、ミイの病状はまた一歩進んでしまいます。数値が悪化し、体重が落ちてきて、貧血の症状が出始めたこともあり、投薬に加え、自宅で皮下補液を2日に1回することになったのです。

クリニックでやり方を聞き、皮下補液のセットを持って帰宅。改めて補液用の針を見て、その太さに私はビビりまくり…。いよいよ、ミイに補液をしなければいけない瞬間です。

ミイを足の間に抱え込み、肩甲骨の少し上の皮を引っ張る。針のキャップを外し…いざ。

…(泣)

心を決めて、ミイの皮膚に針を突き立てたはずなのに、針先から伝わってくるミイの皮膚の感触に、完全にビビりが発動した私。結局その時はうまくさすことができず、何度もミイの背中にチクチクした挙句、皮膚を貫通させ、反対側から補液が「ピュー」っと(泣)ミイの背中からは、さし損ねた傷からじんわり血がにじむし、初回のチャレンジは散々でした…。

その間もミイは辛抱強く、ちょっと文句をたれながら耐えてくれていて、より一層、申し訳なさが押し寄せてきます…。結局その時はあきらめ、少し時間が経ってから改めてやり直したのでした。

最初こそ、そんなへっぽこだった私ですが、3年の月日、修行を重ねた結果、今はまったく躊躇なく「ぶすっ」と一思いにさせるようになりました。

ここからミイが亡くなる2020年5月まで、ミイは通院、投薬、補液の日々を送ります。

ぐりとつぶの移動。

治療が始まり、食欲が緩やかに減退したり、体重も増減を繰り返していたミイですが、基本的にはとっても元気に毎日かわいい姿を見せてくれていました。とはいえこの年は、私自身、仕事の環境も大きく変わり、日々忙しく、疲れを感じる中、毎日のミイの投薬やケアを行い、加えて元気でやんちゃ盛りの少年少女3人のお世話をするのは、なかなかに大変な状況でした。

ひとみ兄弟は体格も大きく育ち、そのため3人が遊びまわって暴れていると、家の中はなかなかなどたばた具合。私が忙しかったのもあり、思うようにかまってあげることもできず、ちびっこたちの体力が有り余っているのは、一目瞭然でした。

このまま4匹を預かり続けるのは、明らかに私のキャパをオーバーしている…。この頃からそう思い始めるようになりました。

人によって、家族によって、飼育を適正にできるキャパシティは異なると思います。ここで、私が思う「適正」とは、単純にお金に余裕があり、必要なごはんや医療などのお金をきちんとかけられるということだけでなく、猫も人間も精神的に、気持ちの面でも安定して幸せに過ごせる状況です。ボラさんの中でも犬と猫を預かり、それ以外にご自身で飼われている子とも暮らしているという方もいます。でも、4匹を預かってつくづく感じたのは、私が預かれる、一緒に暮らせるのは猫2匹までだなということでした。

そう感じたのにはいくつか理由があります。

まず、夫と二人暮らしではありましたが、猫のお世話をするのは常に私ひとりであったこと。これは、ボランティアを始めた時の約束事でもありました。もちろん、私が出張の時などはごはんをあげたり、お水をあげたりはしてくれますし、猫たちと遊んでもくれるのですが、もともと動物と暮らすことにはあまり前向きでなかった夫。特にお薬のケアなどは、夫にはハードルが高く、基本的なお世話は私がひとりで行っていました。

そして、仕事がとにかく忙しく、帰宅するのがほとんど毎日23時近かったことも大きな要因です。ミイがとても寂しい思いをしていたことは、粗相をしている様子からも明らかで、ちびっ子3人も私が仕事に行っている間はケージの中でお留守番していたので、体力が有り余っていたのも明らか。なのに、平日帰宅した後の私は、ミイのケアをし、一通りのごはんやお水、トイレのお世話をするのが精いっぱいで、ちびっ子たちと思うように遊ぶ時間を作ってあげることはできませんでした。

体力的にも、精神的にも疲れが出てしまい、猫たちも満足に過ごせていない、それは私にとっても、猫たちにとってもよくない、そう思うようになってしまったのです。

そこで、ひとみ兄弟のうち、相性のよかったぐりとつぶを、他のボランティアさんに預かっていただくことになりました。ミイはすでに治療が始まっていて、あまり環境は変えないほうがいいだろうと思ったのと、やはり定期的に通院が必要となると預かれる方が限られてしまう。うるは、男子二人が大騒ぎしてたてる音に、びくびくする一面があるような臆病な子。いろいろ考えた結果、ぐりとつぶをお預けするのことにしたのです。

そうして、2017年12月、ぐりとつぶは新たなボランティアさんのもとへ移動をすることになります。寂しくないかと言われれば嘘になりますし、二人にとってとても申し訳ないなとも思っていました。もっとお家にいて、猫との時間をたっぷりさける仕事だったら…、私が専業主婦だったら…、そんなことを何度も思いました。預かりボランティアだったから、2人の移動はすぐに決まりました。でも、もしこれが自分の飼っているこだったら…そう思うと改めて、安易に動物と暮らしてはいけないと思いました。多くの場合、動物愛護団体が、すでに2頭や3頭の動物と暮らしているお家に譲渡をしない理由、3頭以上の多頭飼いを推奨しない理由が身に染みてわかった出来事でした。(もちろん3頭以上の子と暮らしていても、きちんとお世話が行き届いている方たちもいます。)

このとき、2人を引き受けてくださったボラさんには、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

人間2人と猫2人の生活。

男子二人が移動して、少しはうるも寂しい気持ちになるのかな?と思っていたら、全然…。いつも通り、変わらずに過ごしていました。むしろ大騒ぎする2人がいないことで、なんだかいつもよりまったりしているような…。人間は拍子抜け。

人間2人と猫2人の生活になってしばらくして、人間が年末年始の休みに入ったこともあり、この時期少しミイの粗相の頻度も減っていたように記憶しています。

4匹だった時は、ちびっ子3人をいっぺんにケージから出してしまうと、家の中が破壊される勢いで暴れまわるので、順番にしか出してあげられず、必然的にちびっ子たちはケージ外で過ごす時間も短くなっていましたが、2人になったことで、私が自宅にいるときは、ずっとケージから出してもらえるようになったうる。始めこそはケージから出ると「やっほー!!!」と言わんばかりに、部屋中飛びまわって、物を倒したり、落としたりしながら暴れまわっていましたが、徐々にテンションのコントロールができるようになり、ケージの外でも落ち着いて過ごせるようになっていました。

ミイがいつもわたしと寝ていたこともあり、うるも私と寝るようになり、すっかり甘えん坊に。でも、夫に対しては別で、いちいち動きが大きかったり、急に隣の部屋から現れたりする夫に、臆病なうるは、どうも嫌悪感を持ってしまったようで、夫には「シャー、シャー!」…。

譲渡会に参加しても、見慣れない環境で知らない人からのぞき込まれたり、なじみのない子たちが隣のケージにいたりと、臆病なうるにとってはとっても怖い環境らしく、いつもの甘えん坊ぶりは一切発揮せず。5キロのサビ柄の女子は、ただただ巨大な塊となって、時間が過ぎるのを待つだけ…。全然お申込みをされる気配はないまま、今に至るのでした。

さて、今日はここまで。

2016年に投薬を開始し、2017年には皮下補液も始まったミイですが、緩やかに病状は進行しているものの、2019年夏ごろまでは極端な下降線はたどることなく、何とか過ごしていました。明らかに病状が下降線をたどりはじめ、また一段階進行したのだなと明確に感じたのは、2019年の夏。このあたりのお話はまた今度。

と、その前に次回は番外編として、私が大好きだったミイの性格やしぐさについて、少し記録をしておこうかなと思います(笑)。ほんとうにいい子で、優しくて、かわいいこだったのです(親ばか)。

では、また今度。最後におまけ写真を数枚。

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団体のグッズ(高級シルクスカーフ!!なんで?)にもなった3兄弟の3ショット写真!

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大きくなってもこの頃とウルの寝顔は変わってません。かわいいね。

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ミイの寝るときの定位置は、私の頭の横、腕、足の間、お腹のうえのいずれか。これは腕に絡まって寝ているとき。愛おしいぶちゃいくな寝顔。

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いつも鼻水ガビガビの少年つぶ。青っ洟を顔面に飛ばされることもしばしば。

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あざといぐり。うん、あざとい。

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本当にぐりはお顔がかわいい。緑の目とピンクのお鼻のコントラストも素敵。

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おすまし、うるさん。いまより表情がおこちゃま。

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男子二人の移動後、ミイとまったりするうる。

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私といる時のお茶目で甘えん坊なうると…

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夫にシャーシャーしているうる(笑)耳。顔。全部で「嫌い!」を表現(笑)。

ではでは!


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