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食べられない、歩けない、そして入院。

こんにちは。またもや1週間が経ちました。木曜日更新に決めようかな…。

7月ですね。本来なら、今年この時期はもう仕事が恐ろしいほどに忙しい予定だったのですが、実際には穏やかな日々が続いていて、なんとも不思議な毎日です。とはいえ、そろそろじわじわと忙しい予感がしてきてはいるのですが…。

ミイが亡くなってから、初七日にガジュマルを迎えたのを筆頭に、さまざま観葉植物が我が家にやってきたのですが、どの子もにょきにょき、すくすくと成長し、新芽をつけています。生命力をたっぷり感じつつも、ミイがいなくなってからそれだけの時間が経ったのだなとも思ったりして、少しセンチメンタルな私です。

先日はミイの月命日ということで、番外編としてミイについて書きました。書きながらいろいろミイのこと思い出して、また涙して、でもなんだか温かい気持ちになったりして、なんだか心が忙しなかった。今日は本題に戻りまして、ミイの病状のその後の様子について。2019年の夏ころからのお話です。

ゆるやかに、ゆるやかに。

2016年の夏に初めて慢性腎不全との診断を受けてから3年、譲渡会にミイが参加するときに合わせて、定期的に(2~3か月に1回のペース)検診を受けていたミイ。幸いにも3年の間は、極端に数値が悪化したりすることもなく過ごしていました。

最初の診断から3年が経った2019年の夏。私の仕事はどんどんと忙しくなり、体力的にも、精神的にも毎日ヘロヘロになりながら過ごしていました。ボランティアについても、預かりボランティアや譲渡会のスタッフに加え、団体のメール問い合わせの窓口対応もしていたのですが、そろそろ問い合わせ窓口はどなたかに引き継ぎたいなと考え始めていた時期です。平日だけでなく、土日もイベントで終日つぶれる。そんな毎日を送っていると、ミイのお漏らしがどんどん悪化していきました。おしっこの回数慢性腎不全と診断された当初よりもさらに増え、帰宅するとリビングの扉前はいつも水浸し。ペットシーツを敷く面積がどんどん広がっていったのです。

同時に食欲も緩やかに、緩やかに落ちていっていました。もともと、ご飯はちまちま時間をかけて食べる派だったミイですが、朝のご飯を夜ご飯までに食べきれない日がだんだんと増えていきました。

それでも、この頃のミイはまだ3.5キロ以上体重があり、当時の写真を見返すとまだまだふっくらむちむちしていて、走り回る元気もありました。ただこの時期からゆるやかに、でも確実に病状は悪化していました。診察に行くたび、少しずつ貧血や腎臓の数値は悪くなっていて、お薬の種類や数、皮下補液の量や頻度も、都度先生と相談しながら、ミイの体調を見ながら、ああでもない、こうでもないと試行錯誤をしていました。

ミイのおしっこの回数がどんどん増えるのに合わせて、自宅の猫トイレの数を増やしたり、まちまちになってしまった食欲を取り戻せるように、どのご飯なら食べてくれるかいろいろと試したり、治療以外の面でも試行錯誤していました。

ワクチン免除と、皮下補液の頻度変更。

体調の悪化を少しずつ、でも着実に感じ始めた猛暑の夏を超え、11月。月1回の検診と、年1回のワクチンのためにクリニックを受診しました。

貧血と腎臓の値が悪化し、体重も1ヶ月で-0.2Kg。食欲は夏よりもまばらになっていました。これらの数値や、ミイの体調を踏まえ、この年初めて、ミイはワクチンの接種はしないとの判断に。その判断が、なんだかミイの病状が悪化したことを色濃く示しているようで、悲しくなったのを覚えています。もう、ワクチンを打てないところまで、体調は悪化しているのか…と。

この時から、それまでは2~3日に1回だった皮下補液も、毎日になりました。

少しでも食欲が出てほしい。そんな思いからいろいろなフードを試し、フードボウルも高さの低いのから、高いのまで、ミイが一番食べやすそうなサイズを探しました。日によって食べれるものもまちまち。ごはんはカリカリ、ウェットなど、常に3~4種類を用意。バイキングのようにセットして、ミイがその時に食べやすいものを選べるようにしていました。

少しでも食べて、栄養をつけて、体力をつけてほしい。なんとか自力で食べてほしい。そう思いながら、ああでもない、こうでもないとフードを試して、落胆する日々。願いもむなしく2019年最後の診察の際にはさらに体重が減ってしまっていました。

12月の最後の診察時の数値はBUN 95.6mg/dl、CRE 6.88mg、HCT 19%。今思えば、この時すでにいつ尿毒症のひどい症状が出てもおかしくない数値でした。でも、この時の私はまだ、ミイとの別れが近いことを理解していなかった…というよりは、理解しようとしていなかったのだと思います。

目を背けたい、でも着実に迫りくる現実。

なんとか年末年始を超えたミイ。一向に食欲は改善せず、日に日に痩せていくのが、目で見てもしっかりわかるほどでした。それまでは自力で食べてもらえるように試行錯誤していましたが、年が明けた頃からは、とにかく食べてもらうことを優先に、細かく包丁でたたいたウエットを私の手で直接、ミイの上あごに塗り付けて食べさせる日々。

何とか体重を維持していてほしい…そんな願いもむなしく、2020年最初の診察でミイの体重はさらに減り、ついに2キロ台になっていました。貧血もあり、リンの数値も上昇。食べられていないのに、吐き気で嗚咽したり、口の周りを舌でべろべろしたり。吐き気止めを処方してもらい、とにかく何でもいいので食べさせるようにとの先生からの指示。

今年の夏、私の仕事はピークを迎えるのに、どうしよう。夏にミイの一番体調が悪い状況が重なったらどうしたらいいのだろう。そんなことを先生に思わず伝えました。すると、「ミイちゃん、夏までもつかなぁ…」と…。

それまで、どんなにミイの体調が悪化しても、わたし自身は、そのことは考えないようにしていました。

もしかしたら、ミイは我が家での6年目を迎えられないかもしれない。

そんなことは薄々感じていたけれど、それを直視してしまうと、私のほうがどうしようもなく崩れ落ちてしまいそうで、意識しないようにしていました。大丈夫、ミイはまた食欲が戻るはず。そう思い込むことに必死でした。

でも、この日、先生のことばで、見ないようにしていた現実に一気に目を向けることになります。そして、その不安は数日後に現実として押し寄せてくることになるのです。

崩れ落ちる。立ち上がれない。

2020年最初の診察を受けてから5日が経った頃、ミイの食欲はさらになくなり、ついには一切食べ物を受け付けてくれなくなりました。何とか口の中にウェットを塗り込んでも吐いてしまう。じっと、うずくまっている時間が長くなりました。そして、歩くたび、後ろ足がぐらぐら…。踏ん張れていないのです。いつ倒れてもおかしくない、力のない足元。

これは、やばい。

慌てて診察予約をし、改めて受診をしたのは2月5日のことでした。

1月末の診察時に90くらいだったBUNの数値が、このとき140まで跳ね上がっていました。貧血の数値も25%くらいに。急遽、静脈点滴の治療をすべく、ミイはクリニックに入院することになりました。ミイが我が家に来てから、初めての長期入院。

我が家にミイが再び帰れる可能性が、この時どれくらいあると先生や団体の代表が考えていたのか、わかりません。でも、私は一瞬、もしかするとこのまま、ミイはうちには帰ってこられないかもしれない、そう思いました。すっかり、弱気になっていたのです。

クリニックであふれ出す涙。止めようと思っても、次から次へと涙がこぼれます。そんな私を膝の上で見つめて、手にすりすりしてくれるミイ。その優しさが余計につらくて、情けなくて、ただただ泣き崩れていました。

「ミイちゃんがこんなに頑張っているのに、人間が泣かない!」

人によっては、冷たく聞こえるかもしれません。でもあの日、あの時、代表にこう言われなければ、私はきっと勝手に気持ちをどん底まで落として、ミイをあきらめていたかもしれません。

そうだ。何泣いているんだ。ミイはこんなにつらい状況でも頑張っているじゃないか。頑張っているうえに、泣き崩れている私の手にスリスリとしてくれるほど、私に愛情を向けてくれているじゃないか。なのに、私は何を勝手に終わりを見て、泣いているんだ。私がミイを支えないでどうする。

そう思わせてくれたのが、代表のこの一言でした。

そこからミイをクリニックに託し、譲渡会の日も含めて3~4日に一回、クリニックの診察に余裕がある時間帯や診察が終わるころを見計らって(もちろん、事前に連絡をして)短時間ずつではあったけれど、ミイのお見舞いに行きました。

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(クリニックで、差し入れのわたしのいつも着ているパジャマにくるまるミイ。)

先生が本当にすごくミイをケアしてくださったおかげで、まったくご飯が食べられないところまで体調が悪化していたミイは、完食はできないまでも、カリカリが食べられるまでに一時体調が回復しました。そして、入院から2週間半、ついにミイは一時退院をし、我が家に戻ってくることができたのです。あの時の嬉しさは忘れられません。

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(一時退院したミイ。腕には点滴のために毛を剃ったあとが。本当によく頑張ったね。)

今日はここまで。

今日のお話の後半は、ここ半年以内の、本当に最近のお話。でも、ここ数か月のミイとの日々があまりにも濃い日々で、なんだかすごく昔のように感じてしまいます。

この後の日々でもそうですが、だめだめですぐ泣く人間と比べ、ミイは本当に最後までたくましくて、優しくて、生きようとする力の強い子でした。ミイが一時退院した後、なんだかこのまま8月に6年目を迎えられるのではないかと思うほどに。

次回はミイが我が家に帰宅してからの日々についてです。更新はまた来週の木曜日かな。それでは、また。


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