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向日葵と月見草 第3話

      1

 今年の梅雨はなかなか明けなかった。
 もう7月も半ばだというのに週間天気予報は3分の2くらいが傘マークで埋まっており、そうではない日も20%や30%の降水確率が急などしゃ降りへと変わる事さえ珍しくない。
 窓の外からはいつも雨の匂いが流れ込んできていて、今日も教室の中は重く湿った空気が漂っている。
 帰りのホームルームが終わり、下校の時間となった。クラスメイト達も既にちらほらと教室を後にしている。
 愛もこれから帰るところであった。先程まで一緒に喋っていた詩織は「図書室でちょっと復習してから帰るわ」と言うので、一人での下校である。
 進学校であるきらめき高校だが、就職組も割合それなりに存在している。代表的な例を見ていくと、水泳の実績で実業団への就職が内定している清川望や、既に大学では学ぶ事は何も無いと豪語し、高校生にして一流どころのメーカーからヘッドバンディングを受けていると噂される紐緒結奈などがその筆頭である。彼女らを筆頭に、高校生離れした類稀な技能を担保に就職するケースが目立つ。
 しかし愛の場合、そういった秀でた一芸など何も持っていない。流されるまま、苛烈な受験戦争に巻き込まれるよりは……といった消極的な理由の進路選択であった。
 何事もスマートにこなすイメージのある、あの詩織であっても受験勉強は大変なようで、最近は模試の結果に気を揉み、夏休みは夏期講習に予備校通いと根を詰めている様子だ。なんでも国内最難関を誇ると言われている、一流大学を志望しているらしい。
 どうしてもわからなかった。
 高校生として過ごす最後の━━いや、何なら入学から卒業までの殆どの時間を、エネルギーを、大学受験という椅子取りゲームに向けて費やさなければならないのか。
 しかもこの椅子取りゲームは一流大学へ入ったからゴールというわけではなく、そのほんの3年後には就職戦線、見事一流企業に入社できた暁には果て無き出世レースが、さらにその合間を縫って恋愛に婚活に妊活に━━。
 人生やることが多すぎると思う。
 そのような人生が本当に幸せなのか。
 どこへ行ってもきっと優秀な上澄みに入るであろう詩織ならいざ知らず、平凡な我が身ではそうした人生を生き抜く自信がどうしても持てなかった。
 何も朝日奈夕子や早乙女好雄らのように、明日の事も考えないような遊び人になりたいと思っている訳ではない。
 普通に学び、普通に遊び、普通に恋愛して結婚して子供を産み、普通の人生を送る。
 それだけ叶えたいというのは、大それた望みなのだろうか。
 近頃は詩織と話していても、「そうだね」「詩織ちゃんはすごいね」しか言えない自分がいた。女子同士の会話は共感力が最も重要なファクターであり、相手の気持ちを慮り、同調することが何より大切な事だからだ。たとえそうは思ってなくても、その事は正面から話してはならない。
 親友との間に壁を感じていた。

      2

(あ、ああっ……!?)
 校舎の外へ出ようとした愛を出迎えたのは、突然のゲリラ的豪雨であった。
(どうしよう……。折り畳み、忘れてきちゃった……。置いてた傘も昨日家に持ち帰っちゃったし、新しいの持ってきてないよぉ……)
 折り畳みでも置き傘でもよいので最低一本傘をキープできていれば、または詩織と話しこんだりなどせずに、帰りのホームルーム終了直後に真っ直ぐ下校していれば。間の悪さを嘆いても後の祭りである。降りしきる雨を前に、愛は途方に暮れていた。
(せめてもう少し弱まれば……)
 なんとか走って帰る事も出来なくはない━━。
 淡い期待とともに、昇降口の軒下から空を見上げる。
 しかし、雨は全くと言っていいほど弱まる気配を見せない。それどころか勢いは強まるばかりで、今や絨毯爆撃のような勢いだ。こんな状況で無理に飛び出して行った日には、一瞬で着衣水泳状態だ。
(このままじゃ帰れないよ……。どうしよう……)
 雨の勢いは激しく、こうして軒下に立っているだけでも、横殴りの雨やコンクリート地にぶつかり跳ね返ってきた雨が靴下やプリーツスカートの裾を濡らす。
 このままでは最早雨宿りどころではない━━そう考え、一旦校舎内へ戻ろうと踵を返した。
「あっ!?」
「おわっと!? ご、ごめん」
「あっ……あの、私、すいません……」
 ガラス戸を開けたところで、丁度向こう側からやって来ていた男子生徒と体がぶつかった。誰かと思ったら公人であった。
「ああっ……高見、さんっ……!?」
 驚きのあまり、最後の方は声が裏返っていた。
「やあ。美樹原さんも今帰り?  それとも、なにか忘れ物?」
「あ、あの……」
「ん、どしたの?」
「雨……凄くて……」
「うわぁ、本当だ!? 参ったなあ……傘、人にやっちゃって持って無いんだよね。あ、美樹原さん、こんなところで何してたの? お迎え待ちかなにかかな?」
 愛は、無言で首を横に振った。思いがけず公人に遭遇した事も相まってか、緊張してうまく喋れない。
 しばらく公人から目が離せなかった。やがて不自然なまでに長く見つめすぎている自分に気づき、愛は慌てて膝に目を落とした。
「み、美樹原さん?」
「あの、わたし……。傘……なくて、雨宿りを━━」
 やっとそれだけ言えた。
 鼓動がうるさく、口からは心臓が飛び出してしまいそうであった。
「あー、なるほど。校舎に戻ってやり過ごそうとしてた訳ね。でも、もう少し待てば、雨、止むか弱まるかすると思うよ。多分」
「ど、どうしてですか……?」
「見てごらん。雲の隙間から、晴れ間が見え始めてるだろ?」
「は……はい」
 愛は公人が指差す方向、西側の空を見てみた。確かに雲の隙間からは青空がちらほらと見えている。
「こういう雨はさ、サッと降るけどね、止むときはパアッと止むんだってさ。知り合いから教えてもらったんだけど」
「そ、そうなんですか……」
 公人がなにを話しているのか、頭のなかに入ってはこなかった。
 二人きり。同じ悩みを抱え、同じ方向を見ているという事実が、ひどく愛の心をざわめかせていた。


      3

 それから二人並んで雨宿りしていたものの、公人に話しかけたりはできず、それどころか一定距離から近づく事さえもできなかった。何故かと言うと、これ以上近づくと気付かれそうなくらい胸が高鳴っていたからだ。
 しかし、意識はずっと公人に集中していた。その笑い方も、はにかむ仕草も、困ったような表情も━━。
 彼のすべてから目が離せない。理由などなかった。そのような気持ちをはじめて自覚した。
 二人の間に流れる沈黙を破ったのは、意外にも愛の側であった。
「へく……しょっ!」
「大丈夫? 美樹原さん、体冷えちゃったかな?」
「あ、あの……大丈夫、です……」
 ハンカチで鼻口を拭いながら、愛が言う。
「ほら、これでも羽織ってなよ」
「あ、あの……。ファっ!?」
 愛はボフン、と黒い厚手の布地を頭から被せられていた。それは公人の学ランであった。
「あ、あの……高見さん、悪いです……」
「気にするなって。無いよりマシだよ。汗臭いボロだけど、我慢してね」
「そ、そんな事……ない、です……」
「あー、それより美樹原さんってさ、バス通だっけ?」
「え…… あ、はい……」
「こんなところでただただ待ち惚けしてたら、風邪引いちゃうよ。雨なんて完全に止むのはいつになるか分からないしさ。丁度あと2分くらいでバスが来る時間だよ。バス停に急ごうよ。ギリギリだけど、走れば間に合うよ」
「ええ……でも、雨が……」
「さっきのどしゃ降りよりは大分雨足も弱まってきてるし、その学ランをカッパ代わりに羽織れば大丈夫だよ。さあ、急ごう。美樹原さん」
「あ! ちょ、ちょっと……」
 公人に強引に手を引かれ、二人一緒に雨の中を駆け出していった。公人の言う通り幾ばくか雨の勢いが弱まってはいたものの、それでも羽織った学ラン程度で避けきれるようなものでもなく、手足には冷たいものを感じたし、全力疾走向きではないローファーで急に走ることとなったため、足元が痛かった。
 しかし、雨の冷たさも、足の痛みもまるで気にならなかった。心中は太陽のように熱くなり、それが血液に乗って全身を駆け巡り、痛さも苦しさも感じられなかった。
 彼の息遣い、その手の温もり、真っ直ぐな眼差し━━。それらが心を熱くさせる。
 彼と繋いだ手を頼りに、雨の中を全力で走った。息苦しく、心臓が口から飛び出てしまいそうな程であった。スポーツテストの50m走でもこれ程精一杯走ることは無かった。
 時間にして実際のところは数十秒か、精々あっても一分弱といったところであろうが、その時間は愛にとって何時間分にも感じられた。
 全力疾走の賜物か、バス停に辿り着いたのと、バスが到着したのとはほぼ同じタイミングであった。
「はぁ……はぁ……。お、やったね、ジャストタイミング。俺の言った通りだったろ?」
「はひ……はひぃ……」
 息も絶え絶えになりながら、愛は公人に続いてバスに乗り込んだ。バスの中はひどく湿気っており、乗客でひしめきあっていた。 横から人に押され、公人の胸に肩からもたれかかる格好となった。通勤・通学ラッシュの時間帯であれば、小柄な愛は見知らぬ男性に対して今と同じ様にもたれかかる事くらいは日常茶飯事だ。
 息が苦しくて仕方がなかった。全力疾走した事だけがその理由ではない。公人の身体からはかすかに汗の匂いがして、ひどく落ち着かなかった。
 二、三停留所程走ったところで、愛はやっと喋れる程度まで回復した。
「な……公人さん、む、無茶苦茶です……。わたし、こんなに走ったの随分久しぶりで……」
「体、暖まったろ?」
「あ……」
「風邪引かない内に、今日は早く帰ってシャワー浴びて休みなよ、ね」
「な、公人さん……!」

      4

 カーブで身体が揺られるのにかこつけて、愛は公人により深く体重を預けた。この瞬間が一秒でも、一瞬でも長く続けばいいのに、と思った。
 そのときであった。バス内にアナウンス音声が響き渡っていた。
『次は~、《近所の公園前》~、《近所の公園前》~』
「あ、俺、ここで降りるよ」
 公人は身をよじり、停車ボタンへと手を伸ばす。その動きによって、愛の身体は公人から引き離される格好となった。
(あっ……。もう少しだけ、こうしていたかったのに……)
「ん? 美樹原さん、何か言った?」
「い、いえ! 何でも、何でもないです……」
「ん、そう? ……お、着いた着いた。じゃあ、俺はここで」
「は、はい……」
「じゃあそれ、もういいかな?」
 公人が指したのは先程身体に掛けてもらった学ランである。今は愛が両手で抱えている。
「あ、あの……これ、もしよかったら、ちゃんとクリーニングしてお返しします……」
「いや、そんな、悪いよ」
「お願いしますっ!」
「そ、そう……。じゃ、お言葉に甘えようかな。どうせ夏場じゃ毎日は着ないしね」
「はい。それじゃあ、公人さんも、お身体気を付けて……」
「じゃあね、美樹原さん」
「はい、それじゃあ」
 公人がバスを降りた。降りるのは公人のみであったため、すぐにバスのドアが閉まった。
 もしもではあるが『家まで送ってくれる?』などと甘えてみたら、公人ともっと長く一緒に居られただろうか。もっと見ていたかったし、もっと見てほしかった。匂いを、感触を、もっと感じていたかった。
 愛は窓越しに公人を見た。
 こっちを見て、と願う。
 私を見て。手を振って。笑いかけて 。
 しかし願いは届かず、数秒後には公人の姿は見えなくなった。
 手元に残された学ランをきゅっと握り締めたまま、バスの走行音だけが耳に響いていた。

      5

 その日の夜。
 ベッド上、シーツの上に大きめのバスタオルを敷き、愛はその上に仰向けに寝転んだ。(先日びしょびしょに濡らしたシーツを親に見られたため、それ以来このように下に何か水分を吸収するものを敷いてから行為に及ぶようになった)
 そして衣類はパジャマも下着も身に付けていない。生まれたままの姿である。
 その上から先程預かった公人の学ランを、タオルケットのように被る。
(公人さんの……匂い……)
 愛は電気を消した。
 視界が暗闇に包まれ、視覚以外の感覚が鋭敏になる。イメージが像を結び、公人の匂いや感触が、まるでここにいるかのようにリアルに感じられるのだ。
(まるで、公人さんに抱かれてるみたい……)
 妄想の中では、公人は気に入った女を強引にモノにし、弄ぶ漁色家であった。

      6

「ああっ……」
 公人がズボンを下ろす。そこには欲望の蜜を滴らせたペニスがそびえ立っていた。少年特有のオスの匂いが、熱を帯びた性器から流れ出て鼻をつく。
「ゆ、許して……こんな所で……」
「バレないから大丈夫だよ。いいから、続けてくれよ」
 唇を固く閉じているにも関わらず、愛の全身からは愛欲にまみれた溜息が漏れ出していた。見てはいけない、触ってはいけないと思いつつも、目が離せない。赤黒く輝くペニスを扱く手指の動きを止めることができない。
「……どうだい?」
「ああっ、熱いです。凄く……」
 愛と公人は二人、バスの最後部座席に座っていた。乗客は他にほとんどおらず、前の方の優先席にぽつんと老婆が座っている程度である。
  座席で隠されているため、近くまで寄って来ない限り周囲から何をしているのかは分からないであろう。しかし、逆に言えば後部座席の方に座ろうとする者が誰か一人でもいれば破滅が待っているということである。その事実を否応なしに自覚し、心臓はキリキリと8ビートを奏でる。
「俺だけこうしてちゃ不公平だよね。愛ちゃんも脱ぎなよ」
 返答を返す前に、公人の手がプリーツスカートの裾を捲る。
「ここじゃ、だめです……」
 弱々しく囁く。
「こんなにさせといて、何言ってるの。愛ちゃんのせいだよ。責任取ってくれよ」
「どうしたらいいの……。わたし、私……おかしくなっちゃったみたい……」
「おかしく……なっちゃえよ」
 公人の手がスカートの中、ストッキングのウエスト部まで伸びて、膝まで一気に下ろす。愛も尻を振って協力した。
 公人の指が愛の下着に掛かる。ゆっくりと熟した果実の皮を剥ぐように、下着を下ろしてゆく。
「は、恥ずかしいです……」
 息を深く吸う。胸の高鳴りが止まらない。
「愛ちゃんに触れたいんだ。嫌かい?」
 恥ずかしさのあまり視線を泳がせていた愛は、 ゆっくりと首を横に振った。
「触って欲しい……です。でも、恥ずかしいの……」
 その言葉を言い終えるか終えないかという内に、公人の指が愛の性器に沈み込んでいた。二本の指に押し出されるように、大量の蜜液が溢れ出す。
「はうっ、ああああっ」
 愛は太股をすりすりと捩り合わせながら、必死で声を押し殺そうとした。しかし、二人が何をしているのか、もしかするとバスの運転手や他の乗客には既に気付かれているのかもしれない。それでももう、暴走を始めた熱情を止めることができなかった。
 性器の中の構造を確かめるかのように、公人がゆっくりと指を動かす。
「あああっ、だっ、だめ。公人……さん、凄すぎですっ……!」
 全身が小刻みに痙攣する。
 電流が走ったかのように、身体が勝手にのけぞる。全身がドロドロに溶け出してしまったのではないかと思った。
「愛ちゃんの中って、こんなふうになってるんだ。この中に入れたら、どうなっちゃうんだろう」
「そんな事、想像しちゃ嫌です……。恥ずかし過ぎます……」
「もっともっと、恥ずかしくなっちゃえよ。素直になって、君の中にある色んなものを、解放するんだ」
 公人の指の動きが激しくなった。聞くに耐えないような淫らな音が、性器から溢れ出してしまう。
 クリトリスの包皮を剥かれ、サーモンピンクに膨張した若芽を潰された。
「あうううっ、ゆ、許して……。どうしてこんなことするんですか?」
 彼の顔を見つめる。視線が妖しく絡み合う。
「君の事が、好きだからさ」
「あうっ、だめっ、もうわたし……駄目え。公人さん……」
 眉間に皺を寄せて訴える。
 生まれて始めて受けた愛の告白であったが、口をついたのは拒絶の言葉のみ。愛していない訳ではなく、既に見も心も公人の手に堕ちているが故である。
 公人の指が性器の中で限界まで速くなった。それに合わせて腰が妖しくうねる。
「愛ちゃん、いきそうかい?」
 耳たぶを甘噛みしながら囁いてくる。
「いやっ、恥ずかしいです……」
「いくトコ、見せてよ」
 二人は互いの性器を露出させ合い、互いの性器に手指で愛撫をしていた。いつ誰に見られるとも知れない、走っているバスの中でである。
(ああっ、恥ずかしい。どうしよう。でも、もう、我慢できないっ!)
「公人さん、お願いです。見ないで……ください……」
「そう言われて、見ないと思うかい」
「ああ、もうだめ、いきそう」
「愛ちゃん、俺の目を見ながらいってよ」
「そ、そんなこと……」
 公人の願いは、愛にとって死ぬほど恥ずかしい事であった。それでも愛は、そうしたいと思った。公人の願いを聞いてやりたいと、心から思った。
「愛ちゃん、いって」
「ああっ、いくっ!」
 公人の指をずぶずぶと呑み込んだまま、愛の身体は痙攣を始めた。何度も身体が跳ねる。
「あああっ!」
 空中に投げ出されたかのような身体は、公人によってひしりと抱き留められていた。

      7

「はっ!」
 自室、ベッド上。
 全身を汗と、そうではない液体でびしょ濡れにさせながら愛は意識を取り戻した。
 公人の学ランで身を包みながらする自慰は、恐ろしくなるほどのリアリティと過剰な快楽をもたらしていた。事の最中はほとんど別世界に飛んでいってしまっていたかのようである。
 満足げな笑顔を浮かべながら、心地よい多幸感に包まれつつ眠りについた。
 いくつか誤算があった事と言えば、この後本当に風邪を引いてしまった事と、公人の学ランに言い逃れが出来ないほどの染みを作ってしまったことくらいである。

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