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場面緘黙持ちの子供が苦手なこと5つ

以前の記事↓


物心ついた時から中学生まで場面緘黙だった自分の体験談を書きます。

完全に私個人の話なので、あまり鵜呑みにはせず「こいつはこうだったんだなあ」くらいにとらえて頂ければ幸いです。
言うまでもありませんが場面緘黙持ちの方の総意ではないです。
もしかしたら「ああ、あるある」くらいは思って頂けるかも、くらいで。




①英会話教室

いやもう思い出しただけで阿鼻地獄ですね。

私は小学生の6年間、週一で英会話教室に通っていたのですが、6年という月日はひとつ残らず地獄でした。
複数人の同年代と先生の周りを囲んで、教科書を読み上げたり英語で自己紹介したり先生の質問に答えたり、とにかく(私にとっては)難易度メガテンな事を求められる場所でした。

だって言葉を発することが苦手なんですよ。
英会話教室は「会話」をする場所ですよ。
無理でしょ。

そんなんで英語が好きになれるはずもなく、若干のリスニング力と義務教育レベルの英語力と語学への苦手意識を身に着け私の英会話教室人生は終わりました。せっかく通わせてもらっていたのに。
お金を出してくれた家族には本当にごめんなさいと謝りました。

全国のお父さんお母さんおじいさんおばあさんその他家族の方々へ。
お子さんが場面緘黙っぽい場合は英会話教室を無理強いしない方が将来のためです。間違いなく。
英語の曲を聞いたり英語の本を一人で読む方がずっと身になるでしょう。



②体育の授業

これも地獄。
私が経験した体育の授業は「はい二人組作ってー」が本当に起きる授業だったので頼むから背の順に並んで前後の人ととかにしてくれ、と思っていました。どうやって乗り切ったのか覚えていない。たぶん似たような性格の子となんとなく組んだのだと思います。

高校生になってからは、友人の一人と体育の授業が同じだったので(6クラスくらいあったので、1組と2組、3組と4組、みたいな感じで体育の授業が同じになる)友人が休みじゃない限りは何とかなっていました。
あと授業を適当に流して実質的にサボる事を学んだので(真似しないでください)結構なんとかなっていました。



③学校交流会(ホームステイ)

私が通っていた小学校では、別の地域の小学校との交流会が存在しました。
ホームステイをして、他校の生徒達と交流して各々の文化を学び、レクリエーションで友情を深める的なアレ。林間学校に近いですかね。

いやこれも苦しかったですね。
しかも4年生と5年生の夏と冬の計4回ありましたからね。
実質2年間の大きな試練です。

私も流石に小学4年生ともなれば自分のこの性格(性格だと思っていたので、敢えてそう表現します)をどうにかしないと将来苦労することはわかっていたので、自分から会話を試みようとする努力として会話の脳内シミュレーションをしたりしていましたが。

※私の「会話の脳内シミュレーション」について↓

いざ実行に移そうとすると、途端に喉が詰まって声が全く出なくなるんですよ。
頭の中では返さなければいけない言葉がぐるぐる渦巻いていたのですが、どうしてもそれを言葉として発することが出来ない。
同級生からも変な子だと思われていたでしょう。
せっかく声をかけてくれたのに、そのうち諦められてしまったし。いや完全に私のせいなんですけど。

ただ、その中でも一人、驚くべきことに私との会話を試み続けてくれた子がいました。
ホームステイ3日目になって、その子と少しだけ言葉を交わすことが出来ました。
といってもろくな雑談はできず、「これ美味しいね」に対して「うん」と返事するとか、さようならの挨拶とか、その程度しかできなかったのですが、私にとってはかなり大きな進歩でした。
もうあの子との繋がりはありませんが、今でもどこかで元気にしていて欲しいな。



④近所のお店

正確な表現をすると「知り合いも訪れそうなお店」を訪れることです。近所の飲食店とか、そういう場所。
私は「もしかしたら知り合いが来るかもしれない」と思うと、途端に言葉を発することが出来なくなるし、まともに動くことも出来なくなりました。
これは結構重症でして、場面緘黙症状が緩和した高校以降、大学1年生くらいまでずっと残っていました。

このことは両親、特に母親にも心配されていまして、どうしてそうなるの? とよく聞かれていました。
いや本当にね。自分でもなんで? って思っていました。
でも、あるかもわからない先の事を勝手に想像して勝手にパニックになっていることが良くありました。
私の存在に気が付かれたらどうしよう、なんて挨拶すればいいんだろう、とか。



⑤保育園

原点にして頂点の地獄です。
他の事は思い出しても情けなくなるだけで済みますが、保育園生活についてはちょっと吐き気すら覚えます。トラウマ。

物心ついたばかりの頃の話なので全てを覚えているわけではない、はずなのですが、嫌な経験っていうのは例え何年経過しても感覚が残っているものですね。

保育園幼稚園って子供が社会を築く最初の場所なので、コミュニケーションのオンパレードなんですよね。
子供同士で遊ばなければならないことが私にとっては絶望的に難しかったし、始まりから最後までひとつ残らず何もかもが辛かった。
同い年の子との会話が絶望的にできなかった。

しまいにはイジられて「『あ』って言ってみて!」「『あいうえお』言える?」とか言われていましたね。

本当に思い出すのが苦しい事ばかりでした。
「言葉にしなければならないことを言葉にできない」特性が全部全部悪い方向に作用していました。

一番覚えているのは給食が食べられなかったことです。

私は幼い頃、今からは信じられない程病弱で、毎年数カ月単位で入院していました。そのせいか常に食欲が無くて、めちゃくちゃ食が細かったんですね。
寝返りをうつと骨がベッドにあたって痛いから寝返りがうてない、というレベルで瘦せていました。

そんな子供が、他の子供たちと同じ量を出されて食べきれるわけがないのです。
ごはんと味噌汁とおかず、全部一口ずつ食べたらもう食べたくない。
気分が悪い。
時間をかければ食べられるかもしれないけれど、給食の時間は限られている。
じゃあ先生にもう食べられませんと言えばいい話なのですが、言葉が発せない。
察してくれる先生ならありがたかったのですが、担任の先生は全部食べ切るまでお昼寝の時間に突入しても私を一人でずっと食べさせていました。


以下は場面緘黙と少しずれるかもしれない話なのですが……。

食べられませんって言わなければならないのかな、と思って、言わなきゃ言わなきゃと思い続けて、確か1年くらいかけて「もう食べられません」がようやく言葉に出せるようになった日、思い切って先生に伝えました。

先生はお昼寝の時間に突入しても私を一人でずっと食べさせていました。

なんでや。

いやこれ令和でやったら虐待では? と書きながらふと思った。
給食作ってくださっている方にも迷惑がかかるから食べさせることを諦めて欲しかったなあ。食べられない私が悪いんだけど少しだけそう思っちゃうわけです。努力の無駄を痛感させられた最初の記憶です。毎日べそべそ泣きながら食事していたので食事という行為が嫌いだったことを思い出しました。


いや本当に具合悪くなってきた。
無理無理無理。もう思い出すのやめよう。



《まとめ》大人が子供に対して出来ることはなんだろう

この世の中はコミュニケーションが9割を担っている、と言っても過言ではない程重要です。
社会に出ると痛いほど分かります。

だから、場面緘黙を持つ子供がいるご家族はさぞお子さんが心配なことでしょう。

分かります。私が親でも「自分のようになったらどうしよう」と思うだろうし、私の両親は物凄く心配していました。たまに「どうしてできないの?」と声を荒げてしまう程には。
自分の子の将来を思うと不安で不安で仕方ないですよね。

たぶんそれ、お子さん側も分かっています。
色々考えていると思います。
そこで自尊心が破壊されるのが一番将来に響きます。

大人たちが子供にしてあげられる最も効果的なことは、専門家(病院の臨床心理士とかスクールカウンセラーとかきちんと勉強をした人)に相談することだと思います。
だって一般人は素人だから。

素人が一人で悶々と考えても何の解決にもなりません。
素人が勝手に手を出しても何も良くなりません。
素人の勉強には限界があります。
場面緘黙の本人が長年努力して好転することはあるかもしれませんが、代償として心を擦り減らすことも多いと思います。
心配し過ぎたら見守る側も心を擦り減らしてしまうかもしれません。
誰も得しない。

だから、専門家の指示を仰ぐのが一番でしょう。
きちんと勉強した、信用可能な専門家を探しましょう。

これも全部素人の独り言と言われればそれまでですが。
少なくとも、誰かの苦しみが少しでも取り除かれることを願っています。


どうしても気になって自分でも詳しく調べたいと思った場合は、信憑性があるのか無いのか判断が難しい本や記事を読んだりするくらいなら、せめてGoogleScholarで論文検索したほうがマシだと思います。


https://scholar.google.co.jp/scholar?q=%E5%A0%B4%E9%9D%A2%E7%B7%98%E9%BB%99%E7%97%87&hl=ja&as_sdt=0&as_vis=1&oi=scholart



未来ある若者たちが少しでも生きやすくなることを願って、この記事は終わりとさせていただきます。




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