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抗がん剤

肝臓内科部長K医師でした、この方は「がんと闘う病院 都立駒込病院の挑戦」という雑誌でも肝臓癌の話を掲載されています。

まさに肝臓診療のプロフェッショナルのお方でした。一見、俳優のようなダンディなお医者様で、とても気さくに話をしてくれました、まずは森山病院で診察された肝動脈塞栓療法について、独自の勘であられたか、治療以降の生存率が低いものであるからか(事実、前出の本には、全症例10年生存率が20,5%なのに肝動脈塞栓療法はわずか7,4%です)「止めましょう」の一言で中止になりました。

その代わりにと指摘されたのが。食道動脈瘤の発生でした、それも森山病院で発見されていたのですが、まだ余裕があると言う事で近い将来、クリップなどで留めなければならなくなるでしょうとの診断でした。

自分のその時の状況を思い出すと、しばらく歩く際、呼吸の詰まりのような苦しさを感じていました。
また、たびたび貧血が起こり道場の4階まで駆け上がることができなかった事を覚えています。

 つまりは、食道動脈瘤からの出血で貧血が起こり、そのせいで歩くと呼吸が苦しいということが生じていたのかも知れません

 万が一動脈瘤からの大量出血が起こるかも知れないので、とりあえずその手術をしましょうと入院の日にちを決めました。

そして医療方針としては、抗がん剤で肝臓癌を叩くということに決定しました。

自分も癌にかかりいろんな情報を集めていましたので、抗がん剤と聞いた時少し緊張しました。

松栄塾のコーチをしてくださっている高橋さんのお母様は抗がん剤治療を始めてすぐに、だるさと高熱、吐き気、倦怠感で二度と抗がん剤はやりたくないと言われたそうです。

「やべぃ、とうとう、身体の中に毒ガスを原料とする過激な薬を入れるのか」と気持ちが萎えました。

 しかし、抗がん剤は決してひとつの種類のものでは、ないということをこの後すぐに知ることになります。

 いよいよ、抗がん剤治療が始まりました、始めの治療は、副作用を見なければならないと言うことで

入院する必要がありました、空手道場経営の自営業なので稽古を休み会員が減るとと収入が途絶えます。

 ある意味それは、癌よりも怖いことなので、主治医の先生にお願いをしました。

「今回の抗がん剤で、副作用が出なかったら通院で抗がん剤ということもありでしょうか」

 主治医のドクターは苦笑いをして「重松さんなら有り得ますね」と答えられました。

 いずれにしても、最初は入院ということで診察が終わりベッドに移されました。

まてど暮らせど、抗がん剤はやってきません、夕方になり看護師さんに、いつ開始しますか

と聞きましたら、今薬を作っているので、もう少しお待ちくださいとのことでした。

 作っているという以上、患者の検査結果や体力の有無、精神的な強さなどが加味されて抗がん剤を薄く作るか濃く作るか決めているのかなと、考えてしまいました。

こんな、駄文を読んでくださり貴方は仏様ですか?