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5000文字の自分語り~エンジニアになってしまったこれまでとこれから~

しのにむと申します。
色んなアカウントを運用していますが、記事のリンクを張ったエンジニア用のアカウント名とは異なりますが気にしないでください。こちらの名前はオタクのほうのアカウント名です。
エンジニア垢で流れてきたこちらの記事(wirohaさんの「1人の女性がエンジニアになるまで」)を読んで、ちょっとこの流れに乗ってみたくなり筆を執った次第です。
というのも、30代の女性エンジニアのキャリアパスとか歩みってどうしても結婚したり子供産んだりというパターンや、めちゃくちゃバリバリ働いている人のものが多く、まあそれが普通(と言い切ってしまうのもあれだけど)だししょうがないことなんだけど、たまにはやる気のない独身実家暮らし30代女性というニッチ領域の話があってもいいかなと。
書いていたらめちゃくちゃ長くなってしまったので、エンジニアとして就職する前後の話にフォーカスを当てます。

生まれ~大学ぐらい

埼玉県で生まれました。生まれも育ちも今現在も埼玉にいます。

90年代初頭には珍しく家にコンピューターがあったので幼少期からキーボード叩いて遊んでいました。
小学校のころにはポストペットが流行り、ポストペットのタイピングソフトでタイピングとテンキー計算を鍛えました。

小学校のころの夢は「テレビ番組を作る人」でした。

地元の公立中学校に通いました。超絶厳しいバレー部にいましたが、ホームページ作りにも興味をもち、プリインストールされていたホームページ作成ソフトで遊んだりしていました。そのときのサイトはどこにあるか知りません。
同時に中学校生活はあまりいいものではなく、過去の人間関係にはかかわらないという術を手に入れました。
中学校のころの夢はくいっぱぐれないという理由から「薬剤師」でした。

真面目に勉強して県内のトップのほうの高校に入りました。
高校時代は弓道部に入りました。真面目に部活に勤しみました。
文化祭があれば歌を歌い、何か企画があればバンドをやったりダンスをやったりしてました。そういう意味では一番楽しかった時期でした。

ちょっとした文章を載せるホームページ作りがなぜか高校で流行り、HTMLのタグを勉強して作りました。
ちなみにmixiが流行りだしたのは高校3年くらいです、確か高校生はだめだけど友人に招待してもらいました。(時効)

高校時代の夢は特にありませんでした。

農学部に行きたいと漠然と考えましたが、一番行きたかった国立の某農学部は現代社会をやらかしたことによって不合格となり、迷った挙句、農学部ではない私立の某大生物学科に進学しました。

生物学科なのでバイオインフォマティクスの授業でプログラミングらしきものをすることはありましたが、基本的に配られたコードを写経するだけだったのでひたすらYoutubeで動画を見てました。三浦春馬と佐藤健はどっちがかっこいいか論争をしていました。

就活をしましたが碌に決まらず、ずるずると大学院に内部進学しました。
卒論を出す時期に震災がありました。なので卒業式はしていませんが袴だけ着ました。

夢はこの頃も特にありません。

大学院時代

微生物の研究をしていましたが、ろくに研究もしない大学院生活でした。
研究室で紅一点酒をあおったりモンハンやってました。

あっという間に就活になり、生物学科だから食品系を受けるものの超絶高倍率人気業界ということで落ちまくり、説明会と説明会の間に街中で涙が止まらなくなるバグが体に発生していました。
唯一食品系で最終まで残ったものの、勤務地が北海道になるということに突然嫌気が差し、都内で働くことができる仕事にしようと決意。
くいっぱぐれなくて内定もらえやすくて都内で働ける仕事、それがIT業界でした。
くいっぱぐれない、というところを考えたのは当時付き合っていた(そして就活中にふられた)人と結婚、というルートの他も考えておくかと思ったとき、結婚しない(できない)って選択肢もあるだろうと。それなら手に職があったほうがいいよなという考えからです。
とりあえず就職サイトの中ででかそうな会社を受けて、(おそらく)中堅どころのSIerに決めました。現職です。

なおこの段階でプログラミングなにそれおいしいの状態です。
このタイミングでAKBの茶の間オタクになります。

入社~病んだ2年目

入社して集合研修を受けて配属になりました。そこそこ弊社では人気だった開発部です。JavaとSQLの研修を受けて保守プロジェクトに配属になりました。けど新人なので保守はやらず、改修案件があれば改修する、という感じでした。もちろんテストは手動だし、設計書はExcel。

あれよあれよと2年目になり、なぜか弊社が満を持して取り組む巨大プロジェクトの立ち上げに加えられました。結果として客先に行くたびに電車の中で涙が止まらなくなる体のバグが発生し続け半年も経たずに異動となります。
なんでこういうことになったのか、思い出したくないのかあまり覚えてないのだけど、涙が止まらなくなるバグについては今もたまに出ることがあるので体質的なものなんだなと割り切るようにしています。
ちなみにこのプロジェクトはその後、未だかつてない炎上を起こしたので結果オーライだったのかもしれない。

この頃付き合っていた人はいたけれど、1年付き合って私のメンタルの不調も相まって突然生理的に受け付けられなくなり別れました。
「この人と付き合い続ける」か「一生結婚できないか」で後者を選ぶくらい突然生理的に無理になったのです。この選択は珍しくあまり後悔していません。

入社3年目~6年目

異動後はまた開発者として色んなプロジェクトのヘルプをやりました。

そしてこの時期ジャニオタに舞い戻り今に至ります。
そして推しへの愛を自分の中で受け止めきれず、ブログにして毎日更新していました。今も年数回程度更新しています。

4年目くらいから保守プロジェクトのメンバーになり、結果7年目の終わりまでに2社6システムを一人で保守するということになりました。
最初のころはやる気を持ってやっていたものの、6システム担当しても1か月の稼働に足りないからほかのプロジェクトの仕事を回してもらわないといけないこと、古いシステムのため改修も起こらずあまりに無風だったこともあり、少しずつ転職を考え始めるようになりました。

辞めたくなった7年目

転職を考え始めたときに色んなサイトを見たものの、自分にできることが何もないことに気づいてしまいます。
確かにJavaとC#は少しわかるけどそれ以外の言語は全くわからず、AWS何それおいしいの?状態です。
もちろんがっつり技術の世界に飛び込まなければいらない知識ですが、逆に7年やってきて他の職ができるか?と考えるとそれも難しいという事態です。

無風状態を逆手にとって何を勉強すべきかを考えました。
考えたのですが、私は勉強が嫌いなのと、そもそも技術に興味が持てないという問題がありました。
そこで、技術を「学ぶ」のではなく、好きなオタク事に絡ませようと思いました。

とりあえずPythonというものを使えれば売上予測とか機械学習とかそういうオタクごとのネタに使えそうなことができると考え、Jupyter Notebook開いて見様見真似でAPI叩いたり、やったことをQiitaに書いたり、Pythonのお勉強に課金したりしました。
結果としてオタク×Pythonでなぜか勉強会で登壇することになりました、いい思い出です。

また、この頃エンジニア垢を作り、元気があれば勉強会に行ってみたりしました。技術的な話には興味がなかったので、こうしたアウトプットを積極的にやっていくなどの話をするようなところです。

これ以上無風状態だったら辞めてやるぞとWantedlyやらなんやらに登録し、ミートアップに参加し(ただ飯を食らい)始めたころ、プロジェクト異動が決まりました。そこは社内でも比較的モダンな技術をやっているプロジェクトでした。

8年目~今

異動して最初は昔みたいな開発者として改修を担当していましたが、数か月もしないうちに新しいシステムの開発チームにぶちこまれ、やったこともないReactや言葉だけしか知らないAWSをやることになり、テスト自動化や読みやすいコードの書き方など、技術大好き他のメンバーが発する聞いたこともない用語や横文字についていく日々となりました。

普通のエンジニアならきっとこれでテンション高まって楽しい!!となると思うのですが、そんな突然人は変わらず、それらの技術に仕事としてしか関わる気がありません。仕事で必要だから身に着ける、仕事で必要だから学ぶ、それだけです。
技術大好き!自分でも勉強する!になれないのは、きっとそういう人たちの「技術」は私にとっての「アイドル」のようなもので、きっと一つの趣味なんだと思い込むことでなんとか気を保っています。

今もこのプロジェクトに所属はしているものの、チームが変わり今はPdM見習いとして働いている次第です。いまだに全容が見えない。

これからとか夢とかキャリアとか

正直キャリアとかあまり考えてないです。
開発していくのかな~とかSIerだからマネジメントやっていくのかな~いやだな~と思っていたらPdMになったので、まだ何が自分に合うのかどうかわからないところがあります。
わかっている自分のことはIT業界に対して苦手意識はなく、物事を発信することや結果から何かを考えることは好きなんじゃないかということです。

今後もきっと指針は決めてもキャリアをこれだ!と確定することはないんじゃないかなと思っています。
もしかしたら数か月後結婚出産もするかもしれないし、突然農家に転職するかもしれない。30年以上生きていると人生には何が起きるかわからないことや、コアを除いた価値観や夢は大きく変わると思っているからです。
加えて、私はHey!Say!JUMPの伊野尾くんの「選択肢を多く持ったほうがいい」という考えに強く共感しています。これは彼の活躍(アイドルをやりながら大学進学して、その時に学んだ建築や人間関係が今の仕事につながる)で体現していることから、私も伊野尾くんほどではないにしろ、いろんな経験をしてそれを繋げられるようにしたいなと思っています。

色々な経験をしたいと言っている割には転職はめちゃくちゃ悩んでます。
なぜなら唯一の今の夢が「マンション購入」だからです。
(あとジャニーズ事務所と仕事をして推しの芸能活動をよいものにすること)
小さい夢かもしれないですが、埼玉に実家があるために住宅手当が出ない身としてはマンションを買うことで経済的に負荷をあまりかけずに実家を出ることができるし、将来的に何か困っても多少の小金になるだろうし、困らなくてもマンションという資産はきっと女性の独り身の身分をある程度社会的に証明できるんじゃなかろうかと思っているからです。
その夢のためには宝くじを当てない限りローンを組まないといけないし、そのためには今の会社にいる必要があるのかなと思っています。

買った後の夢はまたその時考えます。

最後に

ここまで書いてきたけど、女性の地位がどうとか、そういうことには全く興味がありません。女子会とかリケジョとか女性だけの勉強会とか、なんかそういうのむしろ苦手意識だらけです。

だけど今この年齢になって、多様性やらなんやらと叫ばれている割には形容しがたい「生きづらさ」というのも少なからず感じています。
オタクの娘に彼氏ができないとか、子供部屋おじさんとか、テレビ番組での独身女性いじりとか、そういう小さなことが棘となって刺さります。
そんな生きづらさの吐き出しをしたかったことと、もしかしたらこの生きづらさというのが誰かの共感になるかもしれない。

そんなことを思い、インターネットの波にこの文章を流します。

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