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自己肯定感というBuzzWord:その10

●もしもお勉強がもっとできない子だったら(後編)

 父の親友が、「君のお父さんより君の良さをわかっている」と思う、と言ってくれた、という話の続きです。

 その時あたしは小学校の中学年だったと思います。あたしにはその先生が言っていることの意味が本能的にわかりました。あたしはその時点ではさほど苦しんではいなかったし、背伸びもしていませんでしたが、自分の”強み”というか”特徴”が、お勉強やピアノに密着しているわけではないのを感じていたんだと思います。

 空想癖があり、ぼんやりすることが多く、現実と空想との境があいまいで、境を頻繁に行き来してました。そういう時にたくさんのことを思いつくコドモでした。”父に隠れて”いっぱい絵を描いていました。お話を勝手に書いて、それを友達に見せては、「続きはまたあした」とか言って、自分勝手な『連載』をしていました。(それで結局完結しない!)
 あんまり同世代のお友達と仲良くすることには興味がなく、距離を持って観察していました。あたしを親友(この言葉は、世界中の9歳から10歳ぐらいの子供の間で、必ず”流行”する、マジックBuzzWordです)と思っていたお友達は、あたしの態度には苛立っていたことでしょう。しかしあたしはみんなからずれていることに悩んだこともありません。空想することで忙しかったからでしょうか。いたってのんびりぼんやりかまえていました。

 その先生は、あたしのようなコドモは、あんまり「いじる」べきではないと考えたのかもしれません。あるいは小学校の時点で他に比べて”優れて見える”必要なんかない、と思っていたのでしょう。子育てをしたあとの自分には、なおさらクリアに、その先生が言わんとしていたことがわかるのです。

「君の良さ」という言葉の絶対性


 結局その後、あたしはその先生のところに助けを求めに行ったことはありませんでした。でも言われたことはずっと心にありました。その先生は、たとえあたしが塾の「広告塔」がつとまるほどの成績じゃなかったとしても、十分面白い子だよ、価値があるよ、と言ってくれていたのだと思っています。父とは違うモノサシで、見てくれている人がいることは、救いでした。その「君の良さ」という言葉は広くて暖かく、その言葉の中であたしは絵を描いている自分を思い浮かべることができました。

 いや、それでもコドモはなるべく自分の親のモノサシの中を生き抜こうとあがくものです。それが自己肯定感を培い、サバイバルに通じるからです。父はさまざま理想の子供を思い描くその中に、”他に比べて””わかりやすく優れている”ことを含めないわけにはいかない、何かを持っていたのです。父に「君の良さ」という語彙はなく、そのことを意味するナニカがあったとしても、それは他の色々の中に埋もれて見えませんでした。
 あたしはとにかく父が満足し、その先生も引き続き面白がってくれるような自分でありたいと思っていました。
 
 さて、それではあたしの父は 見栄っ張りで、子供の実態や個性(個性っていうのもBuzzWordですわね)よりもいい成績が大事だと思うような身勝手な親だったのでしょうか?

 そうではないと思います。そういう相対的な優秀さに執着があったのは、もしかしたら、父の親たち(じいちゃんばあちゃん)だったのではないかとあたしは思っています。父はその育った環境の中で、優れていることがその役割だったのだと思うのです。優れていることこそが彼の「特徴」であり、「良さ」だった。アイデンティティだった。親が一番喜んだ部分が、それだったのだと思うのです。
 あたしの自己肯定感が父の満足に依存しているのと同じように、父も自分の両親の価値観に縛られていたはずです。

 おそらく父は「できない自分」を許すことができない子供時代を送った。時代の事情でもあるでしょうが、優れていなければ上の学校にもゆかせてもらえず、他の男のきょうだいはふたりとも丁稚奉公に出されています。勉強机を買ってもらえたのも自分だけ。”じいちゃんに似て”頭がよかったことで、きょうだい5人の中で、とりわけえこひいきされて育ったのです。だから努力もして、それが親たちをますます満足させたかと思います。

 そのほかにも理由は複数推し量ることができますが、ここではそのことが、親となったときにも影響して、自分の子供であるなら優秀であるべきだ、という単純なマインドセットになっていたという指摘だけしておきたいと思います。

できないことがめっちゃ嫌い

 少なくとも、父は、いろんな子供を教える教師という職業につくまで、自分がたやすくできることを、簡単にはできない人たちに対する共感はなかったのじゃないかと思うことがあります。教師になったから、他人の能力にも責任をもつことになり、それから人に対する思いやりや考察が深まっていったのだと思います。


 父は非常に正直な人で、嘘がほとんどなく、嘘にも敏感な人だったのですが、のちに、(つまりあたしがもう少し大人になってから)「若いときには他の奴らに対して、馬鹿め、と思って見下げていた」ことをあたしに話しております。
 「なんでそんなに馬鹿なんだ。できないんだ」とイライラして追い立てる感じですね。とある会社で働いて、年上の部下がいたときのことだそうです。「馬鹿め」と思っていると、人はそれを嗅ぎ取って反感を持つことも体験したそうです。


 その時あたしは、けっこうびっくりしました。相対的に優れていることで得をしたという体験は、父の人生の中で数限りなくあったとは思いますが、(年上の部下がいる状態もその一つだったことでしょう)だいたいよくできる人なんてもんは世の中にいくらでもいるし、できない人のおかげで目立っているだけじゃん、とも思ってました。
 それに父はいつでもだれかと張り合っているというようなことはなかったし、人を見下げるのが快感で努力をするようなタイプでもありませんでしたから(そういう人もいるけど、それはほんとに馬鹿なんだろうなとあたしは思います。たとえ有能でも)。自分と他人は違うのに、自分より馬鹿だからといってイライラされたらたまらんですよね?

 若くて人のことを見下げてイライラしていた父、というものを想像した時に、手に負えない、自分の知らない凶暴なイキモノのように思えました。 まあ「やなやつー」みたいな?

 その「やなやつ」と結婚した母は、けっこう昔の父のことを話してもくれました。すぐケンカしたし、言い過ぎて人のことも傷つけた、と。母の解説を聴くと、そうか、別人ではないな、と合点がいきました。
 それからだんだん、人が伸びてゆくには自分はどうしたらいいか、という技術を得て人間として熟していった、ということかと思います。
 あの、教えるということに対する圧倒的な熱量と技術は、「できない」こと「優れていないこと」へのイライラという、子供時代からの宿痾から来ていたのだなー、と今は思います。

担保された「君の良さ」


 父がが言うところの「馬鹿」と「馬鹿でない」を決定するモノサシが実際はどういうものだったか、その全体はわかりません。嘘をつくやつは馬鹿だったし、ユーモアを解さないやつも馬鹿で、自慢がきついやつや嫌がらせをするやつも馬鹿、石頭で融通がきかないやつ、音楽がわかんないやつも馬鹿だったようですから、要素は多いです。でも、だれもがくぐる「がっこーのふつーのお勉強」というものは、とてもわかり易いモノサシの王者として君臨していました。
 父の職業はそれによって「成立」してもいて、学校のお勉強が好きであることは、父にとって絶対的に大きく「その人の良さ」だったと思います。たとえ大人になっていても、です。あ、でも、学校の成績がよくても人気のないやつは「馬鹿」って言ってたな(笑)。
 長い教師生活の中では、成績が抜群だった教え子が、社会に出て完全につまづいてしまった例も見ています。ずっとその人のことを気にしていました。

 ともあれ、総合すれば学校の勉強が好きなことは「絶対善」でした。そして、子供ってもんが、わかるように、できるようにしてあげなければそれを好きにならないってことを言ってました。だからすんごい気迫を吐いて全身全霊教師をやっていたのです。
 他人の子に対してさえそうでしたから、まして自分の子になったらもう薄め液なしのストレートで「できるといいね」じゃなくて「できろ!」と命令されているようなもんでした。
 あたしは、父の生徒でもあったのですが、父の一部として認識されていて、ときにはうまく動かない体の一部として見張られていました。ときには自慢の種として人前に出されました。


 母は「子供は生まれた瞬間から別の人格」とか「この子には自分の世界がある」とか、例の親友先生と近いことを常々言ってましたけども、父への批判としてそう言っていたわけではなく、母の動きは総じて父の重圧を減じるような形にはなっていませんでした。
 父はわが家の「法律」だったんですね。

 人にはいろんな「魂のクセ」がある、ということです。相対的に人より優れていることで自分を保ってきた人間の子供に生まれたら、そのクセにつきあわされます。
 「君の良さ」(あるいは母の言う「この子の世界」)という絶対的な自分用のモノサシと、父の「できろ!」という呪文があたしに染み込ませたモノサシは、互いに反するようにみえて、実は両立しないわけでもありません。
 「満足」があればいいのですから。親の満足が「肯定」なのです。そして自己肯定感は絶対的な、自分用のものであり、相対的なものではありません。それを持つために、父のように、あるいは父につきあわされたあたしのように、相対的なモノサシを必要とする人がいるだけです。

 まあともあれ、父が満足してくれてよかったわ。その満足のカゲで、隠れて絵を描いていられてよかったわ。
 「君の良さ」と「この子の世界」は、父の満足の上に担保されるものでした。危なかったけど、生き残れてよかったわー、あたし。



おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。