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ベッドの上で気を使う

患者はいろんながまんをしている

 母があんまり食べられなくなるという状態から、まったく食べたがらなくなるまでの時間はあっという間でした。

 こんなことなら、緩和ケア病棟に入る前から、どんどん好物を持ち込んでいればよかった、まだちゃんと食べていた時期ですら、「あんなに病院食に不満があったんだから」などと、まあ人間は今さら考えても仕方がないこと考えるものです。

 母は自分なりの気の使い方というのをしていて、「個室でないところで違うものを食べたがるのはよくない」、などと言っていました。
 皆が同じものを食べているのに、自分だけわがままを言うのもなんだというわけです。

 お見舞いが頻繁な人とそうでない人もいるので、何か見せびらかしているようになってもよくない、などと思うようでした。
 でも、実のところ、入院患者はそんなに周囲の事など気にしていないし、気にしたとしても、だれが何をしているか、つぶさに把握する機会はないのです。けっこう入れ替わるし、みんな自分のことに必死です。


 母は4人部屋の向かい側のベッドの人のことを、「男の人なの?女の人なの?」と訊いていたことすらあります。ほんと、だからそんなに気を使うことなんかなかったのになあ。
 でも母は気を使ってました。その気持を尊重しないのもまた、間違いなのかもしれませんね。

 緩和ケア病棟の個室になってからは、好きなものを適当に家から持ちこんで食べさせておりましたが、その事はあたしにとって、日に日に「かなり必死」にやることの一つになりました。
 あれなら食べるかな、これなら食欲が出るかな、食べてみたいと思うものは何かな、楽に食べられるものなら初めてのものでもいいかもな、などとずうっと考えながら買い物に出たり台所に立ったりしていたのです。

なかなかご満足は得られない

 ロシア料理の「ボルシチ」を作ろうと思ったのも、それが母の得意料理で、父の好物で、エピソード満載のものだったからです。

 父はシベリアに抑留されていたことがあるので、ロシア料理に格別のこだわりがありました。結婚したばかりの頃、母を渋谷のロゴスキーに連れてゆき、そこのボルシチを食べさせて、これと同じものを作って欲しいと言った、って話を聞かされていました。
 だから我が家のボルシチはロゴスキー”風”なのです。

 いい牛すね肉と、トマトを手に入れて「明日はボルシチ作るわ」とあたしが言ったとき、母は嬉しそうでした。
 「トマトは生のを入れてね。上手に選んでね。ビーツは手に入らないからいいけど、セロリは絶対入れなきゃだめ」とか、ご指導が入りました。

 さて、そのあたしのボルシチですが、(病人用に何もかもを細かめにして圧力釜で煮込んでおりましたが)結果的に、母の期待したものとはちょっと違ったようです。楽しみにしていたであろうに、残念なことです。
 あたしとしては忠実に母の味を再現できてるつもりだったのですが・・・・・。
 

 食べた時に、母は「もう長い事食べてないからわかんなくなっちゃった」という言い方をしました。それは娘のあたしが味を「忘れちゃってる」という意味でしょうか?
 母も父が亡くなってから、長い事これを作っていなかったのは確かでしょうが・・・・。

 ちょっと違うけど、美味しくなかったわけではないので、この時にはかなりの量を食べてくれたと思います。
 ほろほろに煮込んだお肉も、のみ込むことはできないけど、噛んで味わっていました。

 でもあとで友人のノブコさん(父にとっては妹同然だった人です)がお見舞いに来たときに、「娘のボルシチはまだまだだ」と言っていたそうでございます。だから、あの「わかんなくなっちゃった」というのは、母としてはあたしに気を使ってのセリフだったんでしょうね。 


 弟は母が帰らない自宅で、まめに自炊をしていたようです。母がいた頃は食事のかなりの部分を母に頼っていたかと思います。
 病院で、味噌汁の作り方やらなにやら尋ねたりして、それなりに楽しみながら慣れない台所仕事をしていたのです。

 ある時、あたしと同じように、自分の作った味噌汁を容器に入れて持ってきました。そして、母に「食べてみて」と言ったのです。

 弟が作ったものを母が食べることはそれまでほとんどなくて、ことに味噌汁は初めてだったそうです(母は非常にマメに味噌汁をつくるので)。
 男の料理ですんで、もうそれには実にいろんなものが入っていたのです。

 寄せ鍋みたいにいろんなものがはいった味噌汁を、実は母はあまり好きではありません。それはわかっていたのですが、この時も、スプーンを寄せられた口をあけて、母はそれを飲んでいました。

 あたしはその写真を撮りました。ある意味「記念すべき」眺めであったからです。

 感想を求められて母は「色んなものが入ってて何だかよくわからない味」と言って笑いました。愉快そうでした。これも母なりに、せいいっぱい気を使った言い方だったんだと思います。

お世辞も嘘もいえない


 気を使うけれども、「美味しい」という言葉は軽々しく出てこないところが、非常に彼女らしいと思いました。

 あたしが持って行ったもので「美味しい」と言ってもらったものは、大根と昆布とがんもどきの煮物(これは忠実に再現できていたらしい)、何度かトライしたのちの大根の味噌汁、高級な材料だけの梅こぶ茶。エビチリソース、ナムル。
 あとは素材だけのものだけど、粒ウニ、イクラ、シラスの大根おろしあえ、キュウリとカブの漬物、アスパラの塩茹で、ブロッコリーの塩茹で、温泉卵。リンゴ、平柿をつぶしたもの、ラ・フランスを細かく刻んだもの。

 くだものは丸のままを見せて、選んでもらい、病院で調理しました。ラ・フランスはしばらく置いておき、毎日触らせて、食べごろを自分で決めてもらいました。

 市販品では千疋屋のグレープフルーツゼリー(高い!)。トロピカーナのアップルジュース。

 超高級塩昆布の「えびすめ」を買って行って梅こぶ茶を作った時、ちょうど主治医が病室に回診にいらしてました。母とあたしは、その塩昆布のはなしをひとしきりして、先生はとてもそれがおいしそうだ、と言いました。

 母はそのあと、あたしに「小さい、ポケットに入るぐらいの袋にちょっとだけ塩昆布を入れて、先生に渡しなさい」と言いました。

小さなプレゼント

 この病院では、職員に対する一切の付け届け、差し入れなどが禁止されていて、決まりとしては何もあげることができないのです。でも、ポケットに隠せるぐらいのものなら、渡すことができるでしょう。


 「ほんのちょっとでいいのよ。先生は患者が大好きなものがどんなものか知りたいのだから」と母は言いました。

 あたしは言われたように、台所の小分け用のジップのついた小さな袋に、えびすめを詰め込んで、用意しておき、次の回診の時に先生に手渡しました。
 「あら、今ここでつまんで口に入れちゃいたいぐらいだわ」と、主治医は言ってました。

 ほんとにほんとに小さな“袖の下”ですけど、これも母の気の使い方だったのだと思います。


おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。