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醜い人間と高貴なゴリラ 〜上下関係はあなたを殺す〜

仕事を辞めたい。と伝えると

「どうせ、ここを離れてもお前なんか上手く行かない」
「残された人に迷惑がかかると思わないのか?」
「中途半端で投げ出すのか?」

などなど、言われたことがある人もいると思います。

「お給料が不安定になって、私たち家族はどうなるの?」

なんて内側から言われる人もいるでしょう。

僕も会社員をやめて個人事業主になろうとしたときに多方面から色んなことを言われました。

このnoteでは僕の経験したこと、感じたことを踏まえて、

「独立したいけど、なかなか家族に、上司に言い出せない」
「転職のタイミングを迷ってる」
「この会社で働き続けて良いのか不安」
「この人間関係は健全なのか悩んでる」

など心当たりのある人は参考していただけたらと思います。

冒頭のセリフの中で、一つでも罪悪感を覚えたり、
良心が傷んだ方は是非読んでほしいと思います。

なぜなら当時の僕も同じように感じました。けど、今となってはそれが「大間違い」だったと大声で言えるからです。

自分たちが目指した方がベターな高貴なゴリラ社会と
捨てた方が良さそうなサル社会について

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「自分を許す心理学」[加藤諦三]

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動物が教えてくれるLOVE戦略 モテ親父になろう [ 竹内久美子 ]

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平和主義のゴリラと格差社会のサル

例えば、ニホンザルとかは年中喧嘩して、どっちが勝った負けたとかで上下関係を示し続けるんです。ヒエラルキーの感覚がすごく強い。

順位の上のサルはすごい威張ってる。弱いサルはペコペコしてる。
グリメイスと呼ばれる表情で恐れや強者に対する服従を表す。

このグリメイス、多分恥ずかしいので、一人で部屋の中でやってみてください。

上の歯茎を思いっきり出す、上下の歯を見せてそのままニタって笑う。
そして首を縮めて、少し斜め上をみる。

これがグリメイスで順位の低いサルたちは常に上のサルに対してやっている。

同じ霊長類のゴリラはどうかというと、
ゴリラってグリメイスもないし、自分の方が強い弱い、見下す、卑下する、勝ち負けみたいな概念がない。

ゴリラが争うのは自分のテリトリーを、そしてパートナーを守る時です。上下関係の確立ではなく、大切な存在を守る為に身を呈して戦うんです。だからその矛先が身内に向かうことがない。

ニホンザル化するヒト

例えば、ゴリラって自分のコミュニティーで分配するんです。しっかりパートナー達と分かち合う(ちなみにゴリラは一夫多妻制)。人間も本来なら狩猟採集民族の多くはみんなで分かち合っていた。

もう一つが、遊びで大きいゴリラと小さいゴリラがジャレあって遊ぶ。そうやって社会経験をする。

人間も大人と子供が遊ぶ。誤って殺しちゃうってこともほぼない。・・・たまに聞きますけどね。

サルとかはよくあるんです。他のオスの子どもを殺しちゃうって。ニホンザルとかチンパンジーって乱婚なので、子孫繁栄の観点から見ると他のオスが邪魔なんです。だから、メスの目を盗んで自分の子ではない子供を殺しちゃう。

特にサル社会ではオス同士が鉢合わせた時に、順位の低いサルは先程のグリメイスを見せて、初めから負けを認めて媚びるんです。

元々人間ってじゃれあって、かなりエキサイトできるんです。大人も子供も結構楽しい。大人が手抜きをすると子供も面白くないので。

そういったことの上に人間のコミュニティー意識というのが元来ある。

しかし、現代ではそういう営みがなくなってきて、効率性とか便利性など大義名分を掲げているんです。

それって人間が元々持つお互いの分配とか補完し合う関係から逆に離れてしまっているんじゃないかと思うんです。

現代のヒトはゴリラの持つ優しさみたいのを失って、サル的な上下関係が生まれている。突然サル山の大将もいれば、順位の低いサルもいる。

無駄を省いた合理主義を目指した結果

現代の人間社会がこれに近づいているのは

「最短距離で結果を反映させて、トラブルを未然に防ぐ」

という合理主義が進んだ結果なんじゃないかなって思います。

その結果、めちゃくちゃ色んなトラブルが生まれてるとも思ってます笑。イジメとか自殺とか、その最たるものでしょ。

上司の掲げたゴールに向かって部下が働く。
叱られたくないから部下は上司の言われた通りに働く。

よく見聞きする社会人の上司と部下の構図です。

確かにサルの上下関係において弱者が媚びへつらうのには理由があります。

それは命を守る行為です。

例えば、サル山のボスの交代劇なんて死闘です。お互いにボロボロ。流血は当たり前。負けた方が群れを離れたりします。

弱い方が戦わず退く方が命を守る上で合理的なのがサル社会です。

では、人間社会ではどうでしょう?

命を取られる心配はないにも関わらず、何故部下が上司に媚びへつらうのか?

社内だけではありません。会社間、交友関係、家族関係、親子関係、パートナーシップにおいてもこのような関係は存在するでしょう。

お互いが求め合う支配と服従

残念ながら現代社会において、自分の利益のために階級組織を利用する人がいます。意識して利用している人もいれば、中には全く無意識で相手を望み通りに動かそうとする人もいます。

また、従順な人、生真面目すぎる人、権威にどうしても逆らえない人、上の人にすぐ取り入ってしまう人、これらの人は自分を犠牲にして他人に気に入られるように振る舞ってしまっています。本当はそうしたくないと思っているのに。

その結果、その人たちは恐ろしいほどまでに自分自身の本心を裏切っていますが、それに気づくことができません。

何故ならそれは正しい行いだからと、
自分で勝手な理由を付けるからです。

「強い者、上の者に気に入られよう」
「受け入れてもらおう」
「この人の言うとおりにすれば自分の立場は大丈夫」

と自分を投げ出し、良いように扱われながら、

心の中ではそれに納得をしていない。

「本当にこんなこと必要なのかな?」
「生きるために、給料をもらうにはこれでいい」
「こんな扱いをされるなんて不当だ」

つまり自分を支配する上の人間に従順でありながらも心から親しみを感じているわけではない。しかし、それを口にすることができない。

相手からの自分に対する「好意(だと錯覚した支配)」を失うことを恐れ、自分を押し殺し自分を偽って生きることで、本当の自分は認められない存在なんだと、自己否定をする。

そうならないために周りに受け入れられるような振る舞いをする。

相手が支配的な人格である場合、
相手は自分の支配欲と愛情を取り違えます。

従順な人は、上の人に支配されているにもかかわらず自分は愛されていると錯覚をします。

「あなたの為に言ってるorやってる」

よく聞きますよね?あれって相手を支配してコントロールすることを正当化するセリフだと思っています。

反対に追従者側は、
「自分のためなんだから、これを断るのは失礼になる」
「相手を傷つけることは、良くないことだから受け入れる」
なんて相手の支配を受け入れない自分に罪悪感を感じる。

ここまで読んでみていかがでしょう?
この関係は健全ですか?不健全ですか?

「うるせぇ、バーカ」って言っていいんです。
「頼んでねぇよ、アフォ」って言っていいんです。

僕には気持ち悪さしかないんです。いや、きもちわりぃの。
この気持ち悪さの元が「相手を慮ることの欠如」なんだと感じてます。

しかしこのニホンザル的な関係性と言うのは決して珍しいことではありません。むしろ普段からこの関係性を持ちながらも、この異常性に気づいてない人も多くいます。

上下関係がある中で不安が増せば増すほど
本心とは異なる相手の欲求を満たす行動を取ります。
そうして、自分の心は抑圧される。

つまり自我が失われていく。
(心理学的には自我欠損とか自己抹消って言います)
ある意味、心の自殺ですね。

支配者マインドを考察する

自我が欠損した追従者は支配的な人間にとっては非常に都合の良い存在です。

支配者もまた自分より劣等の立場をおくことで安心するからです。わがままで支配的な人間は追従者の都合を無視して予定を決めます。

そして追従者はその時の自分の都合を伝えたり、ましてやわがままを伝えたりすることができません。従うことが良いと決め込むのです。

そこまでされても、この支配的な人との関係を断つことができないのは他者からの愛情に飢えているからという説があります。

たとえ、それが本当の愛情でなくとも埋めたいと思うわけ。

つまり相手に支配されていることを
「相手が自分を気にかけてくれている」と錯覚し
それを「相手からの愛情」と錯覚するのです。

ここで命令する者と命令される者の関係が生じます。
命令される側はどんな筋の通らないことでも命令されると逆らうことができません。

支配的人間は自分の所有対象(この場合、追従者や社会的立場)が脅かされると

さらに強力な支配をおこなうことで
追従者に対してさらなる劣等感を与えて不安を煽り

その不安に対して手を差し伸べるかのように
「保護と安全」を大義名分として、より服従関係を強固にしようとします。
(マジきもいね笑)

文章にするとトチ狂ってると思うかもしれませんが
多分あなたの身の回りにもウヨウヨいます。

そういう支配者は、支配者より上の立場の存在には
いいカッコしいなことが多いんです。

「自分は面倒見がいい」「他者に思いやりがある」とか自分で言う始末。

なんていうか、ただただきもちわりぃです。
こういう人。

ごめんなさい、僕の主観です。そういう人が生理的に無理なんです。

追従者マインドを考察する

支配する側の話をしてきましたが
今度は上の立場の者に絶対服従をしてしまう人がどんな人なのか。

絶対服従を誓ったり、従順者でいる人は、

自分自身の頼りなさを心理的に感じているのではないでしょうか。

例えば
上の人を過大に評価したり、崇拝するように接するという事はその人が自分を守る行動なわけ。(信じるものは救われるってそういうこと)

その人物が実際に偉大か、すごいかどうかは重要ではなく
その人物を自分の心の中で偉大だと思っている自分に安心感を抱く。
つまり「従順でいるから、守られると思う」ことが本人の心に必要なのです。

・誰かに気に入られること
・その人の言うことを何でも聞くこと
・何でも信じること
・誰かをすごいと思うこと

によって心理的な安心安全を得ることができます。

ここで1つわかることがあります。

心理的に自立することができない場合、自分のことが頼りないと感じます。
そのため相手の支配を自ら求めるのであーる。

つまり、支配者の犠牲者に自ら好んでなる人もいるということ。

支配者が追従者から不当に利益(尊厳、時間、資産などなど)を得ることが何故許されるのか?

追従者は支配者が不当に利益をあなたから得ることができなかった時、または損をしたときに「申し訳なさ」さえ感じるのです。
また支配者は追従者から不当に利益を得られなかったときに、不満を撒き散らすのです。

文字で見たら、きもちわりぃですよね?
そう思えた人は、もうすでに前に進めていると思います。

ではこの関係性を断ち切るにはどうしたら良いのでしょうか。

上下関係、支配と追従の関係から逃れる方法

それは自分の心の弱さを認めることです。

自分は弱い。
自分は一人では何もできない。
助けてくれる人は対等の立場。
だいたいみんなそんなもん。

ここで「は?何言ってんの?」という人は正直重症かなって思います。

ただ「え?急に言われてもわかんない」という人はすでにスタートラインに立ってると思います。それは自分でイメージし始めている。つまり、前に進み始めているということです。

支配者に対しての姿勢として大事なのはここ、

「私は/僕はこう思う」
「自分の意見は自分の意見」
「んで?だからどうした?」
「自分のためにこれからやることがたくさんある」
「自分の成長の妨げになるものは早めに対処する」
「うるせぇ、バーカ」

と本気で思うことです。

自分の心の弱さを自覚して、
支配的な人間の誘惑に負けないことが大切です。

支配者はあの手この手で近寄ってきます。
それは愛情や思いやりなどではなく、ただ思い通りに動く駒が欲しいだけ。

時には過剰なほどの屈伏を要求するかもしれません。

今風に言えば、タチの悪過ぎるテイカー。
(ほんと、こういう奴きもちわりぃ)

自分に自信がない。
自分自身が頼りない。

という人は自分を犠牲にしてこういう相手にさえも奉仕したいと思う欲求が想像以上に強くなります。

ここまで読んだ人は感じると思いますが
客観的に考えたら狂ってますよね笑(言葉選びをどうにかせい)

ただ、追従者は自分が悪いことをしているという自覚がないし、ましてやそれだけ強い(フリをしている)人に尽くしている自分は立派な人間であると思い込んでしまうから厄介。

自分を大切にしてありのままの自分を見つける方法

まずは自分の周囲にある屈辱的な関係の一端の原因は自分の心の中にあると言うことを自覚する必要があります。

つまり自分が弱い存在であることを認める。
そして、それでも生きていけることを知ることです。

「自分弱いし、ダサい、でもそんな自分は悪くなーい」って言ってみましょ。

最悪なのはその関係を続けること。
次に悪いのは相手に復讐すること。
最も良い事は相手との関係を断つこと。

追従者は支配者が自分に保護と安全を与えていると感じているのですから、追従してる側が支配者に不利益をもたらした場合、当然不安になります。
自分の心の支えがなくなるのではないかと、罪悪感さえ感じるでしょう。

その負のスパイラルから抜け出すためには、

簡単です。同じ霊長類で格差社会を採用してるニホンザルから見習いましょう。
彼らが服従関係を壊す方法は3つ。
①戦って自分が勝手相手に従わせる。
②相手と対等の立場で過ごす
③群れを離れる。

①はあまり人間社会では現実的ではないように思えます。
ただ、相手の圧力に屈しないという意味では可能です。

出る杭は打たれるかもしれませんが、
突き抜ける覚悟を強く持つことが必要です。

②上下関係ではなく、対等な関係を提示して過ごすことです。

それは自分の意見、意思をしっかり主張する。
どんなに衝突しても関係ありません。

あとは野となれ山となれ作戦です。
ね、昔の人ってすごくないですか?
その先どうなるか知らん!って昔から思ってるってこと。

人間社会において人は全て対等であり、
お互いが補完し合うことで、コミュニティが成り立ちます。

自分の支配が及ばないと諦めたら、相手から離れるかもしれません。

それでも支配者についていけない!このままでは自分たちは不幸になると思ったら③の発動です。
とっとと離れちゃいましょ。

ただ言うのは簡単です。
しかし、そんな状況であってもやらない理由を並べるのが人間です。
(ごめんなさい、ここに関しては僕自身も含めて完全にアホだとしか言えない)

ただ、人に迷惑をかけない人なんていないんです。

あなたが受精卵になったとき
お母さんはつわりになって苦しい思いをするのです。(ほら、もう迷惑かけてる)
小学校の保護者会のスケジュール調整で
両親には迷惑かけてるんです。両親も誰かにシフトを代わってもらってりしてるはず、きっと。

数えたらキリがないんです。
迷惑をかけずに生きるなんで無理なんです。
かけていい迷惑ってあるんです。

・お給料のために〜(失業手当があります)
・お客さんやクライアントに迷惑がかかる〜(一人いなくなったくらいで業績がガタつくような会社はそもそも未来は長くないでしょう。クライアントが信用してるのはあなたではなく、組織にいるあなたです。本当に信用してくれているなら、独立を応援してくれます)
・家族を養うために〜(あなたの心の健全よりお金や社会的地位を気にする人なら一緒にいて不幸になるだけでは?)
・学費が〜(手当や給付金は沢山あります)

調べると意外と生きるのって難しくないんです。環境的に今すぐ動けない人もいるでしょう。資金が必要だという人もいます。

それでも、何も変わらないまま今の環境に戻るのと、未来に向けた準備として期限を設けて今の環境に残るのでは全然違います。

人間は変化に弱い生き物です。変化に対して不安を感じます。
不安を感じると、それを埋めようと自分を殺して奉仕します。

あれ?さっきのループに戻っちゃいましたね。

さっき、あなたがきもちわりぃと思った、あのループに。生きてる中で変化しかありません。

支配と服従の関係であると不安が増せば増すほど
気に入られるための行動をしようと本心とは異なる行動を取ることになります。

不安のない生活を無難なんて言ったりします。でも、ごめんなさい。
無難な人生なんてありません。そんなの空想です。戯言です。寝言です。

苦難
困難
災難

難が有ることを「有難し」って言います。
難があるからこそ「感謝」の気持ちを持てるのです。

ただね、

その人に好かれなかったとしても、
その人に不利益を与えたとしても
その人の期待に応えなかったとしても
自分の命は危ぶまれません。

自分の弱点を知ること
そして、その弱点は持ってて当たり前だということ。

自分自身を責めると言うことをやめる。
自分を脅かす存在がいると思ったらとことん戦う勇気を身につけたいものです。

でも、戦うのは不安です。
しかし、味方がいたら、あなたを全肯定してくれる人がいたらその不安は減りませんか?

あなたを理解してくれる人はいます。
一方で全く理解してくれない人もいます。

必ず味方はいます

ただ全員は理解者になり得ない。
でも理解者はいる。

それを受け入れるためには
自分自身がもっと大切であること。
自分の利益は誰にも支配されるものでは無く、譲るべきものではない。
そしてそれらは自分の手でしか守ることができないということを知ってほしいです。

長くなりましたが、
誰か一人でも参考になったり
これからの道すじを立てる上で役に立てたら嬉しいです。

その時は、コソッと教えてください笑

本日も最後まで読んでくださり
ありがとうございました。

大変不躾なお願いですが
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生涯修行

三田

今回の参考書籍はこちらでした。(クリックすると詳細が見れます)

「自分を許す心理学」[加藤諦三]

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動物が教えてくれるLOVE戦略 モテ親父になろう [ 竹内久美子 ]

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