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映画『エル プラネタ』コラム/絶対に終電を逃さない女(先行掲載)

1月14日公開『エル プラネタ』パンフレット掲載のコラムから一部先行掲載することが決定しました。本内容は、上映劇場にて販売の映画公式パンフレットにも収録されています。

今回は、GINZA(Web)にて『シティガール未満』を連載中の絶対に終電を逃さない女 さんのコラムを一足先にご紹介します。

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ミレニアル世代のリアルと虚構、SNS映えするスタイリッシュな暮らし、みんな、飾って生きている。キャッチコピーやあらすじにそんな言葉が並んでいるのを見て、承認欲求を拗らせた若い女性がSNS内で虚構の自分を演じすぎた結果、破滅するかあるいはギリギリのところで踏みとどまって反省するといったよくあるストーリーを想像していた。

 『エル プラネタ』の主人公・レオは、家賃を滞納しているというのに、出かける時はモスキーノのゼブラ柄セットアップに身を包み、脚が悪いのに低めとはいえ多少無理をしてでもヒールを履く。生活費を稼ぐためにミシンを売り、身体まで売ろうとするが、ブランド品は売らない。服を買ってSNS用に写真を撮っては、当たり前のように返品する。電気代を節約しなければならない状況なのに、ファッション誌編集者とのリモート打ち合わせのためにライティングにこだわり、ついに電気を止められて真っ先に心配するのは髪のこと。

 一般的にこうした行動は、虚飾だと決めつけられて揶揄されがちだ。レオは一見すると、SNS依存を描いた物語の典型的な主人公に映るかもしれない。しかし私はどうしても、そうは思えなかった。レオはSNS映えを志向しているとはいえ、そういった主人公にありがちな、誰かと比べて嫉妬したり他人のリアクションに一喜一憂したりといった描写は意外とない。自作のヘンテコな服には愛情が詰まっている気がするし、デートの前に狭い部屋で1人ファッションショーをするシーンの生き生きとした笑顔からは、スタイリングをする楽しさが伝わってくる。常にレオから滲み出ているのは、陳腐な自己顕示欲や虚栄心よりも、ファッションやものづくりが好きだという気持ちと、美意識の高さだと感じた。それはレオを演じるアマリア・ウルマンが持っている雰囲気ゆえかもしれないが、どんなに貧乏でも好きな服を着て美しくありたいという気高さが溢れているのだ。

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 どちらかというと、見栄っ張りなのは母・マリアの方ではないか。積極的に政治家の身内だと偽ってまでレストラン「エル プラネタ」に行きたがっているのも、レオが受け損なったクリスティーナ・アギレラのスタイリングの仕事を自慢するのもマリアだ。外出時はいつも毛皮のロングコートにバーバリーのバッグで決め、マーティン・スコセッシに会う日のためだけに高いドレスを買う。そんなマリアはレオのフォロワーの多さを自慢したり、「ママの写真を綺麗にしてよ」とおどけたりはするものの、自分のSNSアカウントすら持っている様子がない。

 だから別にSNSなんかなくても、ファッショナブルなライフスタイルを送っているレオとマリアの姿が容易に想像できてしまう。そこに、実は世代やSNSの有無を問わず多かれ少なかれ「みんな、飾って生きている」という普遍性を見出せると同時に、飾って生きる彼女たちに対してむしろ肯定的な目線も感じられるところが、説教くさくなく好感を持てるのだと思う。

 レオとマリアを破滅させるのは、浅はかな虚栄心よりも、やはり根深い貧困であり、社会構造である。自宅の電気が止まった日、まだ止められていないクレジットカードだけを頼りに二人はモールへ出かけて最後の豪遊をする。美容室で髪を切り、メイクをして、靴を買う。生活を立て直すためには、まだできることがあったのは事実だろう。だが私は、彼女たちを愚かだと嘲笑うことはできない。誰もが貧困に陥る可能性があるのはもちろん、きっと彼女たちにとっては、それくらいどうしようもない絶望感が横たわっているというだけでなく、飾ることこそが生きがいだからだ。

絶対に終電を逃さない女(文筆家)

文筆業/連載エッセイ▶︎GINZA(Web)『シティガール未満』▶︎TOKION(Web)『東京青春朝焼恋物語』 他、Pen Onlineなどで執筆

イラスト by 世紀末(漫画家)


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