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トップダウン組織の想像力の無さと「はっちゃん」に学ぶべきこと②

①で小川淳也議員の選挙活動を追ったドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」について書きました。その続きです。
(この一連のシリーズは、休日立て続けに見た興味深いコンテンツの内容と感想を紹介するものです)

”撤退”は何をもたらしたのか〜沖縄戦 最後の1か月〜

沖縄では、6/23を「慰霊の日」として、日本全体の終戦記念日とは別に設けた日があります。これは、沖縄での戦闘を指揮していた牛島満中将らが自決し、沖縄での戦闘が終結したことを踏まえ、沖縄県民の要請によって戦後制定されたものです。
この番組は、その6/23に至るまでの1ヶ月を、膨大なデータと戦争経験者の証言を用いて明らかにしていくというものです。
私は沖縄出身なので小さい頃から戦争に関するコンテンツを比較的多く見てきた気がするのですが(幼稚園で戦争の絵本を読み、小学校の遠足で戦争記念館に行く等)、大人になって改めて戦争体験を目の当たりにすると、これは二度と起こしてはいけないことだ、ということをより実感を持って理解できるようになりました。

沖縄戦最後の1ヶ月に何があったか
1945年の3月末から始まった沖縄戦は、当時の沖縄の首都である首里での戦闘で日本軍が兵隊の8割を戦死させてしまい、5月下旬から住民たちを引き連れて南部に移動し始めます。
※ご存知かもしれませんが、当時の日本政府にとって沖縄戦は「時間稼ぎ」のための戦闘であり、また沖縄部隊に対して本部からの人的支援・物資補給もなかったため、沖縄の男性は兵隊として、女性は「ひめゆり学徒隊」等の兵役に駆り出されました。それ以外の沖縄県民たちも、「軍民一体」であるとして日本兵たちと行動を共にすることを強いられました。そのため、沖縄戦での死者のうち沖縄県出身者が6割となる悲惨な結果になりました。
(全体の戦没者が20万人で、県出身者12万人、県外出身兵6.6万人、米兵1.3万人)

南部に辿り着いた兵隊と住民たちは、ガマと呼ばれる洞窟に潜み、そこから米軍への攻撃を行ったりゲリラ的な戦闘を続けますが、米軍は「鉄の暴風」と形容される艦砲射撃や、ガマへの火炎放射によって日本兵と沖縄住民たちを追い込みます。ガマの住民たちの中には、米軍に降伏して出て行きたいと申し出る者もありましたが、「降伏するなら殺す」と日本兵に脅されたと言います。生きることを望むと殺されるという異常な状況でした。

米軍からの攻撃が苛烈を極める中、ガマにも居られなくなった日本兵と住民たちは、沿岸部の崖付近に移動し始め、住民たちはそこで「集団自決」をしました。ある人は崖から飛び降り、ある人は手榴弾のピンを外して。

ここからは私の感想含む現代の話です。番組放送後、集団自決について調べてみると、沖縄国際大学名誉教授の安仁屋氏のレポートに目が止まりました。集団自決が日本兵の強制によるものだったことを改めて主張するものですが、戦時中に集団自決に関与した戦争経験者の証言によると「捕虜となる恐れのあるときには、残りの一発で自決せよ」と住民が自決を促されたとあります。
で、何故「捕虜となる恐れのあるときには」自決なのかと疑問を持ったのですが、その考え方の背景には、日本陸軍内で兵士の行動規範を示すために配布された「戦陣訓」の中に「生きて虜囚の辱めを受けず」という記載があったことが背景にあるようです。「生きたまま捕虜になって恥を晒すな」という意味ですね。当時、日本が江戸から明治になってまだ60年くらいしか経っていなかったので、自害(切腹)することを名誉とする考え方を日本陸軍が持っていたのだろうと思います。
ちなみに集団自決を具体的に誰が強制したのかについては、大江健三郎氏が2011年に勝訴した一連の訴訟の中で、大阪高裁が示した見解が現時点の共通認識と言って良いのでは無いかと思います。それは、直接の命令があったとは断定できないとしたうえで、「軍が深く関わったことは否定できず、総体としての軍の強制、命令と評価する見解もあり得る」というものです。
「直接の指示が無い」と言うのは日本でよく聞く話ですね。
(原告は、戦時中の座間味島での日本軍指揮官梅澤裕、渡嘉敷島での指揮官赤松嘉次が集団自決を命じたという大江氏の著作物による名誉毀損を訴えていました。原因となった大江氏の著作には、上記2名の方を「屠殺者」等と表現していたそうなので、それはそれでちょっとダメでしょうと思いました。大江氏が行うべきは告発であり、侮辱ではないと思うからです)
ちなみに私は、集団自決という悲惨な出来事が起きてしまった背景には「戦陣訓」とそれを愚直に実行してしまう日本軍の組織体質にあったのだと思いますが、そもそも「戦陣訓」のようなものが現場にどう言う影響をもたらすか、あまり考えないまま配布しちゃう日本政府の想像力の無さにもあるだろうと思います。(Wikipediaを見ると、戦陣訓を「国民の心とすべき」ということが内閣情報局作成の週報で述べられたことがあるらしく、これが本当で、政府が住民の自決までを想定していたとすると、本当に卑劣な国家だったのだと思います)
先ほどのGoToキャンペーンもそうですが、現実よりもイデオロギーが先行して何をすべきか決めてしまうところ、現実の世界に対する想像力の無さに危うさがあるのだと思います。

話はちょっと変わりますが、2016年、山川出版の日本史教科書に、10年ぶりに「集団自決」の記載が復活したとしてニュースになっていました。しかし未だに「日本軍からの強制」の記載は見られないようです。
集団自決が「軍の強制」であると高裁に認められたにも関わらず、集団自決の背景を教科書記載することを拒む文科省(及び日本政府)に対して違和感を感じます。
従軍慰安婦の件も同様ですが、政府は何故それほどまでに歴史を「無かったこと」にしようとするのか。個人的な推測としては、日本の主要な政府家や官僚の中に、旧日本軍の閣僚の子孫や、その子孫と関係のある人がいて、前者は家族のプライドを、後者は支持を維持するために、第二次大戦における日本軍の人権侵害をなかったことにしたいのでは無いか、というものです。戦争に関する日本軍の不都合な出来事を隠そうとすることが、政治家や官僚としての評価を高める構造があるのだと思います。
で、当時の政府で戦争の指揮を取った人物の子孫には誰がいるのだろうかと調べていくと、東条英機内閣で軍需次官等の要職に就いた岸信介氏の孫である安倍晋三氏がまさに該当する人物でした。
実際、安倍氏は祖父の岸信介氏に対する尊敬を自身の著作の中で明らかにしており、もし私が安倍氏だったら、尊敬する祖父が深く関与していた戦争で、人道に反する行為がなされたと言われたくはないだろうなと思いました。(しかし改めて、これは私の推測に過ぎないことをご理解下さい)

祖父は、幼いころからわたしの目には、国の将来をどうすべきか、そればかり考えていた真摯な政治家としか映っていない。それどころか、世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内ながら誇らしく思うようになっていった。
「新しい国へ 美しい国へ 完全版」, 安倍晋三著, 文春新書

終戦から75年経った今も、私たちの社会は第二次大戦の影響を受けながら進んでいます。
AIだテクノロジーだと、進歩に注目が集まる世の中ですが、悲惨な戦争があったこと、人が簡単に狂ってしまうことを私たちがしっかり認識し、次の世代に継承していかなければいけません。コロナという非常事態に陥った今、より強くそのように思います。

③に続く

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「お金が良い」と言う名前なのでゴールデングッドマンにしてみました。名前のせいで金融機関で働いてます。 プロフィール写真はDancing Bearという昔のバンドのマスコットキャラです。ヘッダーはパキスタンに行った時の景色です。
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