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ウィズコロナ、ポストコロナの教育活動のあり方とか

ウィズコロナとポストコロナ

東京、大阪などの7都府県において、緊急事態宣言が発令された。これによって多くの社会活動が自粛を要請されるが、学校における教育活動も同様である。

2月末に一斉休校通知が出されてから、春季休業中の一定の活動は再開していたところがあるとはいえ、これで休校期間は2ヶ月以上にわたる。

そして、おそらく「最短で」緊急事態宣言が解除されるのが5月6日なのだろうが、この1ヶ月でコロナが収束するとは誰も考えていないだろう。つまり、仮に緊急事態宣言が解除されたとしても、コロナと一定期間は付き合っていきながら諸々の社会活動を行っていくことになることは間違いないだろう。

コロナと共に生活すること。落合陽一はこのことを「ウィズコロナ with coronavirus」と呼んでいるが、楽観的に「ポストコロナ、アフターコロナ」つまりコロナ以後のことを想定するよりも現実的だろう。わざわざ横文字を使う必要もないかもしれないが、もはや常用される(されている)であろう言葉に慣れておくことは余計なことではない。

ポストコロナになるのは早くとも1年後、2年後が妥当だろう。逆にいえば、少なくともあと1〜2年はウィズコロナで様々な活動を考えていく必要がある。

そして、このウィズコロナで考えられ、「スピーディーに」実行されていく様々な施策によって、ポストコロナの社会活動のあり方は多大な影響を受けていく。ポストコロナの社会活動のあり方を考えるには、まずもって今現在の社会活動の変遷、つまりウィズコロナの社会活動について考えていかなくてはならない。

ハラリが抱く緊急事態における施策への懸念

歴史学者で『サピエンス全史』『ホモ・デウス』等の著者でもあるユヴァル・ノア・ハラリは、2020年3月20日に、イギリスの経済紙「フィナンシャル・タイムズ」のウェブサイトに「the world after coronavirus」(「ザ・ワールド・アフター・コロナウイルス」、「コロナウイルス後の世界」)と題する記事を寄稿している。

少し本文を引用してみよう。(太字は引用者による)

Humankind is now facing a global crisis. Perhaps the biggest crisis of our generation. The decisions people and governments take in the next few weeks will probably shape the world for years to come. They will shape not just our healthcare systems but also our economy, politics and culture. We must act quickly and decisively. We should also take into account the long-term consequences of our actions. When choosing between alternatives, we should ask ourselves not only how to overcome the immediate threat,but also what kind of world we will inhabit once the storm passes.Yes, the storm will pass, humankind will survive, most of us will still be alive — but we will inhabit a different world. 

以下、訳文。

人類は今、世界的な危機に直面している。 おそらく、私たちの世代で最大の危機である。今後数週間の間に人々や政府が下す決断は、おそらく今後数年間の世界を形作ることになるだろう。 それらは、私たちの医療制度だけでなく、経済、政治、文化にも影響を与えるだろう。私たちは、迅速かつ断固とした行動を取らなければならない。 また、私たちの行動がもたらす長期的な結果も考慮に入れなければならない。代替案を選択する際には、当面の脅威をどう克服するかだけでなく、嵐が過ぎ去った後にどのような世界に住むことになるのかを自問自答すべきである。 たしかに、嵐は過ぎ去り、人類は生き残り、私たちのほとんどはまだ生きているだろうが、私たちは別の世界に住むことになる。 

ここでハラリは、ウィズコロナの状況で決断され変化する様々な社会活動が、ポストコロナの世界を形作ると述べている。そして、次のように述べる。

Many short-term emergency measures will become a fixture of life. That is the nature of emergencies. They fast-forward historical processes. Decisions that in normal times could take years of deliberation are passed in a matter of hours. Immature and even dangerous technologies are pressed into service, because the risks of doing nothing are bigger. Entire countries serve as guinea-pigs in large-scale social experiments. What happens when everybody works from home and communicates only at a distance? What happens when entire schools and universities go online? In normal times, governments, businesses and educational boards would never agree to conduct such experiments. But these aren’t normal times. 
短期的な緊急対策の多くは、生活に欠かせないものになるだろう。 それが緊急事態の性質だ。緊急事態は歴史的なプロセスを早送りする。 通常であれば何年もの審議が必要な決定が、数時間のうちに下される。 何もしないことのリスクの方が大きいため、未熟で危険な技術さえも実用化に追い込まれる。 国全体が大規模な社会実験のモルモットとなる。 誰もが自宅で仕事をし、遠くでしかコミュニケーションを取らないとしたらどうなるだろうか? 学校や大学全体がオンライン化されたらどうなるだろうか? 通常であれば、政府や企業、教育委員会がそのような実験を行うことに同意することはないだろう。 しかし、今は通常ではない。 

ハラリは、この緊急事態の中で「スピーディーかつ実験的に」行われる様々な施策が必要なものであると述べた上で、それらが持つリスクについて危惧している。その後、ハラリはテクノロジーの発達と急速な普及、そしてそれによるプライバシーの侵害について論じているが、そこまでは踏み込まない。興味のある方は是非本文をあたって欲しい。

ハラリはこのように述べる。

「緊急事態は歴史的なプロセスを早送りする。通常であれば何年もの審議が必要な決定が、数時間のうちに下される」

まさに、今現在の状況だ。リモートワークやオンラインでの授業といった、言ってみれば「働き方改革・学校改革」で謳われていつつも、なかなか実現されてこなかった内容が、ここ1ヶ月の間で急激に現実味を帯びてきている。普段であれば数年かかる内容であるにもかかわらず、である。

おそらくこのスピード感でこの1年ないし2年の間は様々な変化や改革が進んでいく。それは、「現在緊急に必要だから」実施されている内容だ。しかし1年、2年というスパンでみたときに、現在臨時的に行われているこれらの活動はおそらく「常識化」していくだろう。わざわざ、ポストコロナの社会活動をビフォアコロナのそれに戻すということは考えにくい。

重要なポイントはここだ。先ほども述べたが、ウィズコロナにおける様々な社会活動の変化が、ポストコロナの社会を決定する。そして、その変化の多くは、「十分に吟味された」ものとはいえないという点も押さえておく必要がある。

日々、新たな状況に変わっていく。昨日言われていたことが今日すでに否定されている。立ち止まって考えている時間はなく、十分な理解のないままに、様々な施策が決定していくというこの現状をまずは冷静に受け止めること。一度決定したものに対して、改めて疑問を投げかけてみること。そのような見直しの態度が、おそらく今後いっそう必要になってくる。

自分の属する職種や社会の文脈で、このことについて考えることは決して無駄ではないだろう。とはいえ、それは各々で考えてもらうとして、個人的には学校教育活動のあり方について考えていることを整理してみたい。

ウィズコロナ、ポストコロナの学校教育活動のあり方について

気になるポイントは様々にあるが、大きく分けて3つについて考えてみる。1つ目は、学校のICT機器の整備化の急進。2つ目は、学校のあり方について。そして最後に、部活動について。

学校のICT機器の整備化の急進

まず1つ目のICT機器の整備化の推進だが、以下の資料をみて欲しい。

これは、4月7日付けで文部科学省から出された、「文部科学省緊急経済対策パッケージ」だ。

なかでも、学校休業時における子供たちの「学びの保障」の項目を見てほしい。「子供たちの学びを止めないための支援」として、オンライン教材の活用や、ICT機器を活用したオンラインでの指導などが挙げられているが、これらがおそらくウィズコロナ、ひいてはアフターコロナにおける学校教育活動では通常のものとなっているだろう。

それを後押しするのが、「【初等中等教育段階】ICT環境の早期整備」の施策だ。以下、資料から引用。

注目すべきは、最初の項目だ。令和5年、つまり3年後の目標であった義務教育段階の「1人1台端末」の整備の前倒しが掲げられている。

どれほどのスピード感で整備が進んでいくのかまでは言及されていないが、遅くともこの1~2年の間で整備が進められていくものと考えていいだろう。そして、遠隔的な指導を円滑に行うために、カメラやマイクの整備も掲げられている。

このような施策は望ましいものに見える。実際自分も同意見だ。しかし、あえて一つこの「スピード感」という点から問題点を考えるとすれば、それは現場の対応が機器の整備のスピードに追いつかないのではないか、ということだ。若年層の教員にとっては自然に取り扱うことが可能だろうが、ベテランの教員のICT機器への苦手意識は確かにある。そして、そのベテラン教員が学校の方針等を左右している側面が少なからずある。整備とともに、ICTの奴隷とならないように、正しい情報を教員が理解・活用することが同時並行的に必要になってくるだろう。

とはいえ、これらの改革はもともと予定されていたもので、それらが数年前倒しになったと考えるべきだ。この休校期間中に、それらの機器を利用した指導や授業のアイデアを考えておくことは悪くないだろう。

学校のあり方について

次に、2点目。学校のあり方について。

このように、ICT機器が整備されていくことで、従来の授業のあり方は大きく変化していくだろう。以前にも書いたが、基礎学力の保証をオンライン教材等で行うのであれば、学校の授業はさらに発展的・活動的なものになることが予想される。アクティブ・ラーニングの視点に立った授業の開発がより必要性と現実味を増してくる。

また、今現在、学校の教育活動の多くが実施中止、または延期などの措置を取られている。この1年間に予定されていた様々な行事がこの1、2ヶ月の間に変更を余儀なくされている。

では、来年以降の行事等のあり方はどうなっていくのだろうか。もちろん、従来と変わりなく実施していく行事もあるだろう。しかし、この期間を経て、行事の見直しも同時に行われていくのではないだろうか。もちろん、これらの施策は「十分に吟味されていない」可能性があることを念頭に置いた上で考えていく必要があるが、働き方改革や学校改革が謳われている昨今、何も変化がないということは考えにくい。

そして、そのように授業や行事のあり方が変化していくとすれば、教員に求められる能力や仕事の内容も変化していくだろう。基礎学力を保証するだけならば、おそらく教員数は削減される。なぜなら 、スマホ一つで基礎学力の保証は事足りるからだ。では、発展的な内容を学校で行っていくとしたらどうだろうか。その場合、教員数は増加するだろう。1人で授業を行うのではなく、複数人で授業や活動を行っていく必要性が生まれる。そしてその際教員に求められるのは、発展的な知識と活動、独自の視点の提供といったより「専門性の高い」ものが求められることになる。この点も以前書いたことがあるが、専門性と人間性がさらにものをいうようになるだろう。

もちろん、教員の働き方も変化する。負担が削減されるのか、むしろ増加するのかは今のところ見通しが立たないが、このような将来が現実味を帯びているということを意識しておくことが、スピード感ある変化に対応するためのポイントになるだろう。

部活動について

最後に、3点目。部活動について。

おそらく、この1年間は様々な部活動の大会やコンクールなどの活動が中止または延期されるだろう。実際、4月いっぱいの休校が決まった時点で、4月中の大会は軒並み中止、そしてそれに続く高次の大会も中止または見通しが立っていない状況だ。演奏活動や演劇活動などが自粛されている現在、吹奏楽や合唱などのコンクールの実施も危ういというのが正直なところだろう。

そして、ウィズコロナの対策として、ほぼ全国的に部活動の活動日数、時間の削減が行われている。週休2~3日、活動時間は2時間を限度とする、というものが多くの自治体で徹底されてきている。ほとんど無視されていたに等しい、部活動のガイドラインがここにきて急激に影響力を持ってきている。また、緊急事態宣言が出されていない地域でも、部活動を2週間ないし5月6日まで中止しているところが多い。

おそらく、緊急事態宣言が解除された後も、ガイドラインや自治体の方針に基づいて部活動を行うことが一定期間継続するだろう。そして、その活動のあり方は多くの学校で「平常時のあり方」になっていく。大会やコンクール等の見直しも同時に行われていくのではないか。これも数年単位のスパンで考えられていた改革が、ものの1ヶ月のうちに一気に進んでしまった。

部活動改革推進派の人間からしてみれば、皮肉だが望ましい変化だと思うに違いない。しかし、ここまで根付いた部活動の文化を、それだけで変化させることには様々な懸念がある。例えば、進路の問題だ。実技推薦で進路を決める生徒も多い。それには大会等の実績が必要になる。しかし、大会が実施されない場合、何を材料に入学の判断とするのか。どうやって進路を保証していくのか。特に今年度に関しては、経済不況による就職の困難化などもあいまって、生徒の進路について非常に懸念がある。

部活動改革はコロナを機に必ず推進されていく。しかし、それには大会やコンクールの見直し、そして部活動改革が与える進路への影響、つまり大学入試のあり方までも視野に入れて本来考えなければならないことだ。それらが同時並行的に、この短い期間でどのように変化していくのか。もしくは変化しないままなのか。いずれにせよ必要なのは、このような変化を想定し、そしてその変化がこれまで以上に現実味を帯びているという実感を持って、部活動のあり方、指導のあり方を考えていくことだろう。

以上、雑感をまとめてみた。この1ヶ月のスピード感は目まぐるしいものだった。次の1ヶ月はどうなっていくのだろうか。周囲のスピード感を必要なものとして受け入れつつも、流されずに考え吟味することをやめないでいたい。


おそれいります、がんばります。