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気づけば葉桜

今日で1週間だ。あっという間と言えば、あっという間。家だと生活の場面がなかなか切り替わらないから、時間の感覚も狂ってくる。時間とは何かと自分との関係を表している。経過が早いと感じることは、それなりにこの期間を充実させているとも言えるか。

野暮用があり、少し外に出る。連日の雨の名残で、まだアスファルトが濡れている。家の近くの公園を通りかかると、1週間前は満開だった桜の花は落ちて、気づけば葉桜になっていた。こんな瞬間に、時間の経過を実感する。

以前のように、慌ただしくは時間は過ぎていない。やるべきこと、やりたいことをいかに1日の中に組み込むか、というような努力は今はしていない。やりたいことを、やりたい時にする。良くも悪くも、仕事とプライベートが一体になっている。どこからが仕事でどこからがプライベートなのか。境目がわからない。まぁ、そういう職業だからなのではあるが。

とはいえ、時間がゆったりと過ぎているわけでもない。むしろ、やりたいことに着手し始めたこともあって、時間は足りないくらいだ。気づけば、夜になっている、というような1週間だった。

気づけば、葉桜。気づけば、夜になっている。

気づく、ということは常に事後的だ。後になって気づく。何事も。あの時、違う選択もできた、という気づきは、後悔と呼ばれる。「後で」悔やむ。

しかし、気づくことができなければ、何事も意識には上らずに過ぎ去っていってしまう。気づけた、ということを大事にしよう。例え後悔だとしても。

『人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える』

マチネの終わりに、の印象的なフレーズが脳裏に浮かぶ。気づき、後悔して、進んでいく。そうして過去は変わっていく。



おそれいります、がんばります。