- 運営しているクリエイター
記事一覧
「心のダークサイド」に落ちかけた地獄の日々を支えたあの一冊。
先日、ある時期に使っていたノート(私、よく手書きします)を事情があり振り返っていました。苦しい時こそ、やはり深い学びがあるんだと手書きのビジュアルを通じて自らの軌跡を感慨深く眺めていたのですが、中でも個人的に涙ぐましいページが出てきて思わず読み入ってしまいました。
そのページ、あえてこちらで晒してみると、こんな感じのことを書いています。
蘇ったのは、急拡大する組織、たった一人の人事で、四面楚歌
2020年最後の日の、後味。
この期に及んでnoteを書き綴るつもりもなかったのですが
「私がいると長男が遊びたくて仕方なく昼寝しないから」
という理由で小一時間、大晦日に家を飛び出す時間を妻からもらいました。
ガラガラのガストで年始へのタスク整理やちょっとした読書を終わらせて、まだ「昼寝突入」のLINEメッセージが来ないので、折角とばかりにノートPCを広げてnoteを書き始めてしまいました。さて、これ書き終わるかな。
"
息をするように、書く。
なぜnoteを書いているんだろう。
純粋に書くとこが楽しいため。
自分の考えを整理するため。
誰かに伝えたい想いがあるため。
自分がこの世に生きた証を綴るため。
自分はもっと大きな何かだと、多くの人に知ってもらうため。
いや、一番最後のそれだ。
自らの首を緩やかに締めつけ、モノを書くこと、今のこのオンラインソーシャルな時代を緩やかに泳ぐことを息苦しくしているのは。
私は書くことが好きだし、
DAILY HABITS
「呼吸」が生命を維持する上で最小単位であるならば、
「人生」をコントロールする上での最小単位は「日」だろうか。
恐らく数百年前に比べれば、今時代を生きる我々の人生はずっとコントロールが難しくなった。それは選択肢の爆発的拡大であり、その結果の外的環境のめまぐるしい変化に他ならない。
いや、いつの時代だって、人生をコントロールすることなんて究極できない。でも、やっぱりより良い人生を生きたい。
だか
クリエティブであるために、今こそ「街」という生きたメディアを選ぶ。
コロナによるあの「息苦しさ」とは、何なのだろうか。
「街」が遠くなり、「人」が遠くなる。
コロナ禍で起きた物理的・精神的隔離というのは、人を「街」や「人」そのものから遠ざける引力だったわけですが、どうもクリエイティブなアウトプットをし続けないといけない人種にとっては、やはりこれがもう息苦しくて息苦しくて。
刺激的な「街」や「人」から遠ざけられてしまうというのは、水面下の息苦しさというか、呼吸
価値をエクスチェンジして生きていく。
昨年の春に、鈍った英会話力を鍛え直すためにレアジョブを再開しました。
「言語力」というのは身体の「筋力」に近いものがあり、継続的に鍛えておかないと退化してしまうもの。故に習慣化させたり、継続的に使う仕組みが無いといけないのですね。
そういった性質上、日々のルーチンに組み込むために日々地味な工夫や改善が必要になってきます。毎朝同じ時間で実施できるようにスケジュールや場所をハックしたり、Airpod
2019年最も読まれたnoteのベスト5とその実績。
2019年も残すところあと1週間となりましたね。
今年の執筆欲は自らのblogをそっちのけでnoteばかりで晴らしておりました。文章を綴るクリエイターとしてだけではなく、UGCのプラットフォームとして、ビジョンを持った優れたプロダクトのお手本としても自らのユーザー体験を通じて本当に学びが多いサービスでした。noteさん流石です。
さて、年内最後に、年末っぽい振り返りのエントリーで締めたいと思い
小異を捨てて、大同につく。
ー なぜビジョンが大切なのか。
それは日々の揉め事、意見のすれ違いによる衝突などを、一歩離れて俯瞰してみると気づくことなのかもしれない。
日々の情熱、仕事に邁進すればするほど、人の視野は自ずと狭まっていく。それは高速道路をハイスピードで走るドライバーの目線の如く、視界は1点に集中し、それ以外は解像度の低い風景となってただぼんやりとそして高速に流れ去っていく。
時に、アクセルを緩めてみる。今ス