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カメラを買った話。

今年に入ってすぐ、13年間を共に過ごした家族を亡くした。

この子が動かなくなっている事に気づいてから、身体を抱いたまま暫く思考が停止していた様に思う。
それでも取り乱す様な事はなく
どちらかと言うと冷静だったと記憶している。

ダンボールにいつも使っていた毛布と座布団を入れて、
その中に寝かせてあげた後、ふと写真を撮らないとと思った。
暫くこの子の写真を撮ってあげれていなかったなと思いながら
少しの罪悪感を持ってカメラを向ける。

MFレンズをつけていたので
ピントを合わせる為にファインダーを覗いた。
その瞬間だった
言い表せない程の感情が溢れてくる。
涙がボロボロと流れる。
自分でも正直驚いた
まだこんなにも涙を流す事が出来るんだなと。

暗い話ばかりで申し訳ないが
僕は4年前に仕事でメンタルを駄目にしてしまっている。
今は幸いにも薬に頼る事もなく生活出来ているのだけど
以前とは変わってしまった事が少なからずあった。
その一つが感情の振れ幅だ。
怒るという感情だけは相変わらずで、
楽しんだり
喜んだり
哀しんだり、という部分が上手く出てこないという
何とも残念な感じになってしまっていた。
そんな状態で4年近くを過ごしていたものだから
自分の感情がこんなにも出てきた事に驚いたのだ。

この出来事をきっかけに、あのファインダーを覗いた瞬間の事について考える様になった。
よくよく思い出してみる
写真を撮っている時の自分の事を
ファインダーを覗いて
シャッターを切る時の事を

普段からスナップを撮っているのだから
ほぼ衝動的にシャッターを切っているのだけど
ファインダーを覗いてシャッターを切るまでのその瞬間
確かに僕の感情は動いていたのだなと思う
それはエモいとか、綺麗とか、そんな類のものとは少し違う気がする。
どこか生々しくて、現実を突きつけられている感覚
その感覚に感情が纏わりついている様な。

語彙力がないのでこれ以上の表現が出来ないのだけど
僕にとってファインダーを覗いて写真を撮る事は
ちゃんとこの世界と向き合っていく為に
とても重要な事なのではないかと思う様になった。
メンタル駄目にした後、職場復帰してすぐにカメラを購入して
写真を撮り続けてきたので気づけなかったのかもしれない。

この事に気づけたのは愛猫の死がきっかけだったけど
あの子が最後まで僕に寄り添ってくれてる様な気がして
少し嬉しくなった。

本当に感謝してる。

ここからカメラ買った話。

ファインダーをしっかり覗いて撮るという行為に、もっと重きを置きたい。
そんなカメラって何があるんだろうと考えた時
真っ先に頭の中に浮かんだのがLeicaだった。
元々所持していたM3のファインダーを改めて覗き込んでみる。
「ああ、この感覚でデジタル写真が撮れれば。
 それが理想なのかも知れない」
そう思った。

元々漠然とデジタルLeica欲しいなーと考えていたのだけど
欲しい理由が明確になった。
ここからは早かった。
ちょっとここには書きづらい要素が2、3重なり
僕の気持ちをさらに後押ししてくれたのも大きい。

結果的に僕は中古のLeica M10-Rを購入した。

Shin Noguchiさんのストラップも馴染んできた。

少々大きな買い物になったが、ギャンブルもしないし、家で酒も飲まない、写真以外の趣味もない。
もはや生活の一部と化した写真を撮るという行為に対しての投資と考えると安く思えるくらいだ (安くない

それに先人のSNSの内容を見ていると、どうやらLeicaを使うと写真を撮れる以外にも色んな効能があるらしい。早速僕も英語のYouTube動画をひたすら眺めている。

カメラ変えたから写真が上手くなる訳でもないし
撮るものもそんなに変わらないだろうと思う
どちらかと言うと、この選択は僕の人生を豊かにする為のもの
これからも引き続きフォトライフを楽しんでいく所存。

前半がちょっと痛い人の文章みたいになったけど、仕方ない。
これが現実だもの。

長くなったけどここで終わり。
これからも皆んなのフォトライフがハッピーでありますように。

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