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ホラー映画が好きな人は、きっと代替案を考えるのが得意。

久しぶりにひとりでふらっと映画館に足を運ぶ時間ができて、ここぞとばかりに選んだのはホラー映画。いわゆる「B級ホラー映画」であった。

宇賀那健一監督の新作悪魔がはらわたでいけにえで私

その怪しげなポスターとは裏腹に、なぜか笑って、ほっこりして、ほろりとできてしまう不思議なホラー作品。アナログにこだわる宇賀那監督の、泥臭く、愛らしい1本。監督に対しては少し失礼かもしれないけど、こういう映画は、どでかいショッピングモールに入った何百人収容!とかいう特大のシネコンではなく、街の一角で細々と続く、ちょっとカビ臭いくらいの名画座やミニシアターで、密かに上映されているのが、風情があって良いなぁなんて思ってしまう。

しかしそんな万人受けホラーでも、こういうちょっとニッチな隠れた良作ホラーのどちらでも、「ホラー」というジャンルを鑑賞すると、いつも思うことがある。

ホラー映画が好きな人、ホラー映画を楽しめる人って、多にして「代替案」を考えるのが上手いよな、と。

昔わたしはホラー映画が苦手だった。単純に「怖い」というのもあるけれど、何を言いたいのか分からない。人が〇んだり、〇されたりすることの何が面白いのかが分からない、と思っていたからだ。

それがいつのときだろうか。
ホラーが大好きという人に知り合って、その魅力を聞くと…
「あの殺人鬼は、現実だとこういう人を表しているんじゃないかと思うんだよ」とか。
「呪われたあの人は、かわいそうな人だよな。人を襲うのは、あの人にとっては救いなんだよ、きっと。」などと、お化けや殺人鬼やグロテスクなものを、どんどんどんどん、いろんなものに例えて、代替して、その真意を探ることに面白さを見出しているようだったのである。

そういう視点でみると、「ホラー」という映画ジャンルには、すべての要素を含んでいることが分かるのだ。恋愛があり、ヒューマンドラマがあり、アクションがあり、SFがあり。そういうたくさんの要素の、どことどこに着目して、どう"代替して"見るか。ホラー映画の見方、とまでは言わないが、これがホラーを楽しむ秘訣なんだろうなと、わたしは思っている。


そんなたくさんの視点を持って楽しむことができるホラー映画。
その解釈や、考え得る代替案を無数に思案できる映画のひとつが、宇賀那監督の『悪魔がはらわたでいけにえで私』という1本だ。

気になる方はぜひ劇場へ。
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