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"コスプレ"を読み解く。


我々ディズニー並びに映画オタクたちは、来る10月~12月に向けて、現在「節約・裁縫・筋トレ」に励んでいるのではなかろうか。

そう、ハロウィンからコミコンまで、"コスプレ"シーズンが到来するのである。


近頃では渋谷のハロウィンイベントをはじめ、すっかりコスプレカルチャーも当たり前のものになってきた。

"コスプレイヤー"と呼ばれるガチ勢の皆さんから、「~っぽい」を目指す"バウンドコーデ"にチャレンジする方々など、その楽しみ方は幅広い。

わたしも今年は「ディズニーハロウィン(通称:Dハロ)」と、12月に開催を控える「東京コミコン」でそれぞれ異なるコスプレを楽しもうと企んでおり、今まさに「節約・裁縫・筋トレ」に励んでいる、というわけなのだ。

そこで今回は、コスプレを通じて見るカルチャーの楽しみ方について、やかましく思いの丈を綴ってみたい。


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コスプレをする人/しない人


「コスプレをする意味はなんですか?」
コスプレをする人/しない人の、そもそもの分岐点はここにあるだろう。

コスプレをする意味‥‥あなたならなんて答えるだろうか?

たぶんにこれは、そのファンであるものの対象について、あなたがどういうスタンスで、その「好き」の気持ちを抱いているかに大きく影響すると考えられる。

わたしはこの違いを、好きの心中型忖度型と表現してみたい。

「私は"好きなもの"と一生を共にしたいんです!」という心中型。
「私は"好きなもの"の一生を見届けたいんです!」という忖度型。

どちらが良い悪いではなく、愛の表現の違いである。

これを"コスプレをする意味"に当てはめると‥‥
お察しの通り、コスプレをする人は心中型で、コスプレをしない人は忖度型である可能性が非常に高い。

好きなものに対し、この命に代えて愛を表現します!という方は、おそらく全力でコスプレをすることにまったくの疑問が生じず、反対に、好きなものの、その命が美しく燃え尽きるまでこの愛を叫び続けます!という方は、おそらくコスプレをすることに疑問しかないのだろう。

多にしてこの対立には、コスプレをする人=ただのハッピー野郎、コスプレをしない人=本当にそのものを愛してる、みたいなファン度合い(?)の差も見え隠れするが、それはあまりにも短絡的な視点だと思う。

コスプレをする人も、コスプレをしない人も、愛の深さはどちらも同じ。
ただその表現の方法が違うだけに過ぎないのだ。

「可愛い私を見て~!カッコいい自分を撮って~!」という「好きなもの < 自分」の表れではなく、コスプレをする意味は、究極的に「好きなもの = 自分」を実現させるための手段である可能性が高い。

コスプレをするということは、まさに心中と限りなく近い思考がベースにあるような気がしてしまうというわけだ。


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コスプレは顔なのか


しかし、コスプレをする人たちを傍から見ると、誰しも思うことがあるだろう。

ここでは敢えて倫理観をぶち壊して表現するが「コスプレは結局顔でしょ?」という意見である。

いわゆる世間一般的に「美男美女」と言われる者が興じる道楽、それがコスプレなのではないか、という話だ。

確かに「コスプレ」と聞いて思い浮かべるのは、スレンダーな美人お姉さん、高身長のイケメンお兄さん、そういう人たちの顔ばかりかもしれない。
が、それは単に「コスプレ」が生んだ正解のひとつに過ぎない。

つまりここで言いたいのは、「コスプレ」は「好き」を表現するための新たな正解を生み出せる、ということである。

前段では「コスプレをする人=好きの心中型」と表現し、好きなものと一心同体になることがコスプレへの道を開くのではないかと伝えたが、これを踏まえてコスプレには2つのベクトルがあると考えられる。
その対象と完全一致を目指すタイプと、自分の解釈における一心同体を目指すタイプだ。

好きなものとの完全一致を試みるコスプレでは、限りなくその役者やキャラクターに自分を"改造"する必要があり、結果として"美しいお顔"を手に入れることに通じるケースもあるが、他方、自分の解釈で一心同体を目指すコスプレにおいては、外見よりも内部的にその対象と繋がることを求めている節があり、それによって"真似"ではない、独自領域の"美しいお顔"を持ち得る可能性を秘めているのだ。(気持ち悪い話をしている自覚はある。)

これはいわゆる"同人誌"や"ファンメイド"と非常に近い感覚があると思う。
女性キャラクターのものを男性が独自解釈でコスプレしたり、動物キャラクターのものを擬人化してコスプレしたり。
見た目を真似る、というわけではなく、そのキャラクターに流れる真髄を真似るとでも言うべきか、そういう好きの表現方法も間違いなくあると思うのだ。

その意味において、コスプレは顔なのか?という意見に対し、わたしは断じて違うと言いたい。
もちろん"顔"ありきでコスプレ風を楽しむことも結構なことであるが、それではまだまだコスプレの真の面白さに触れていないと、わたしは思う。

好きなものとの完全一致を目指して"お顔"が出来上がった者、はたまた、独自解釈で新たな"お顔"を生み出した者、そういうファンたちに見る美しさは圧倒的である。

コスプレとは、自分の顔ならこれくらいできるかな~という、ルッキズムのバロメーターではなく、私の好きはここまで自分を変えられる!私の好きはこんな世界を創造する力がある!といった具合に、その愛の深度を試す場であると言えるのではないだろうか。

***


"コスチューム・プレイ"

そして最後に…
忘れがちなことではあるが、コスプレとは「コスチューム・プレイ」の略であることを伝えておきたい。

今でこそ"コスプレ"は、単に仮装をすることの意で完全に浸透し切っているが、その語源は演劇用語にあり、時代劇・歴史劇のことを指して「コスプレ」と言っていた。つまりは衣装劇、つまりは、その衣装を纏って演じることに意味があるのだ。

コスプレをする人に対して疎ましく思う者の中には、「可愛い/格好いいアピールでチャラチャラしやがって!」という意見が半数を占めることだろう。

コスプレをしない部外者がとやかく言うな!という強めの反論も理解できなくはないが、わたしも俄かながらコスプレをする者として敢えて言うならば‥‥
コスプレがそう見られてしまったならば、それはコスプレをした者に演じる力が足りなかったのである、と言いたい。

そう、人目を気にせず"コスチューム・プレイ"をすると決めたのであれば、必要最低限、その役を演じ切って然るべきだろう、ということなのだ。

つまり分かりやすくいうならば、好きなキャラクターのコスチュームを借りておいて人様に迷惑をかけるな、好きな役者の衣装を借りておいて自分勝手な行動はするな、という話である。

残念ながら、この素敵なファンコミュニティの中でも、時たま出会ってしまうのだ…
スーパーヒーローのコスプレをしていながら、ゴミをポイ捨てしたり、列に割り込んだりする輩。プリンセスのコスプレをしていながら、口が悪かったり、大衆のことを考えられていない輩。そういう"コスチューム・プレイ"が出来ていない自称ファンの姿を見ると、わたしはどうしても悲しくなってしまう。(イベント会場で疲れ切ったヒーローやプリンセスの姿を見るのはちょっと面白かったりもするけどね)

コスプレとは、本当に時間も労力もかかるものである。
その準備期間を経てもなお、わざわざコスプレをするというのであれば、その"プレ"の部分も含めて楽しんで欲しいと切に願ってしまうのだが、これはあまりに求め過ぎだろうか。


だが、わたしは知っている。
"コスチューム・プレイ"を楽しむ者たちと過ごす時間が、いかに幸せで、いかに尊いものであるかを。

そしておそらくコスプレをしない者たちも気付いているのだろう。
「あぁ、なんかこの人たち馬鹿みたいに楽しそうだな。」と。

そこに見る楽しさには、コスチュームへの気遣い以上に、プレイに対する心配りがあると、わたしは声を大にして言いたいのだ。

悲しいことに、コスプレをする人たちの中にも、同じ人間とは思えない言動を繰り出す者がいることは間違いない。
上記のようなポイ捨てだの、口が悪いだのなんてことは可愛いものである。
気持ちの悪い出会い厨・盗撮・セクハラ・怪しい勧誘、そういうものが紛れ込みやすいのもコスプレのひとつの側面だ。これに異論はない。

だが、そうした偽ファンを凌駕する、素晴らしきファンの、ファンによる、ファンのためのコミュニティが広がっているのもまた事実。

わたしも皆さんの素敵な"コスプレ"に出逢えることを楽しみにしながら、全力で"コスチューム・プレイ"をしに、夢と魔法の王国へ、ポップカルチャーの祭典 幕張メッセへ足を運ぶ予定である。

"コスプレ"を読み解いたこの先で、たくさんの「好き」が溢れる舞台を目の当たりにできますように。

今年もコスプレの季節がもう目の前。
結局のところ、全員漏れなく、この季節を楽しみましょうねと、そういうことが言いたいのだ。



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以下、アホなオタクの様子をご覧ください。

高校時代のひろひろ。
思えばこれが人生初のコスプレでした。
「今日はスターウォーズの公開日なので部活は休みます」と言って、この格好で校内歩き回ってても何も言われなかった我が母校は寛大だったなと思います。なおローブの下は学ランです(我ながらかわいい)
『スターウォーズ』はそのファンの熱量が、他の分野と比べてひと際高い気がするので、なかなか「ファンなんです!」と声を大にして言いづらいところがあるんですけど、SWを取り巻くいろんなニュース含めて大好きです


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大学時代のひろひろ。
髪が茶色で短いです。コロナ前の良き思い出です。
今はすっかりマグルの世界に馴染んでしまっていますが、気持ちはいつでも魔法界に戻れます。
なお、わたしはグリフィンドールがちょっと苦手です。その反面ハッフルパフが大好きです。だから、『ファンタビ』の完結を何よりも楽しみにしているのに…どうした、魔法界、どうしたJ.K.ローリング、頑張ってくれ、、、という気持ちを日々募らせています。


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1年前のひろひろ。
ようやくコロナが明け、いろんなイベントが本格的に復活してきた昨年。
1885年にタイムスリップしてみたら、2015年の自分とも会いました。こういう出逢いがあるから、コスプレというのは楽しいですよね。
なお写真では見えませんが、下着はちゃんと紫色のカルバンクラインを履いてます。パンツの話はこちらにて。(Utaroさんのブログの続き、まだ読めてませんが、更新されているのは存じ上げてます!あとでゆっくり読みに行きます!)

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来たる2024年秋のひろひろ。
海外アニメ好きの方なら、なんのコスプレか一目瞭然でしょう。
長年やりたい!と思っていた、あの作品のコスプレ初挑戦です。
この格好でランドに行くべきか、シーに行くべきか、毎日7時間しか眠れないくらい激しく悩んでいます。
また双子のメイベルは、果たして登場してくれるのでしょうか。
乞うご期待(?)


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来たる2024年冬のひろひろ。
Dハロが終わったらコミコンです。
そうしてまた1年が終わっていきます(はや)
楽しくコスプレを楽しむなら、女性キャラだって厭いません。
なんたって本作は「X-メン」という差別主義を許さず、「X-フォース」と名乗るヒーローたちですからね←
またこちらも、相棒であるユキオは登場してくれるのでしょうか。
乞うご期待(パート2)


楽しみですね😌

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