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学ぶことを学び直した大学4年間の話。

学び"直す"というほど、何かを突き詰めて学んだ経験がないと思っているのだけど、それってわたしだけでしょうか…?

***

わたしは長らく勉強が嫌いだった。
決して苦手ではなかったけれど、全然これっぽっちも好きじゃなかった。だがある時、学ぶことの面白さに気付かされてしまったのだ。

転機は大学受験を意識しはじめた高校2年の冬ごろだったと思う。
が、まずはそれまでの高校生活について、少しばかり説明したい。


運が良いのか悪いのか、わたしの高校には天才…はいなかったけれど、秀才がごろごろいた。そんなわたしの高校デビューは、最悪のテスト結果から幕を開けた。地元でも有数のヤンキー中学(今はそんなことありません、すてきな学校です)から、わたしは生徒会長という肩書きを引っ提げて、その高校に入学したのだが、最初のテストで学年ワースト3位という結果を叩きだしたのだ。さすがのわたしも天狗の鼻どころか、骨の髄までボロボロに折られたことを覚えている。また、ふざけていたわけでも、特別点数が悪かったわけでもない(個人の主観)、というのがこの話の怖いところ。ろくな勉強をしなくても学年1位を取っていた中学時代は幻想に過ぎず、まさに格の差という名の現実を突きつけられたスタートだったのだ。

しかし、わたしのすごいところ(ダメなところ)は、これくらいではまだ一念発起といかないところである。井の中の蛙だったわたしの、余計なプライドを見事に砕いてくれたおかげで、中学時代のストレスから解放されたかの如く、別に勉強ができなくても死なない!わたしは青春を手に入れた!と、確信犯的な勘違いを犯し、高校2年の冬までティーンエイジャーを存分に謳歌することを心にキメたのだ。
(楽しかったなぁ、華のセブンティーン。。。苦笑)

その頃のろくでもない遊びっぷりは置いといて…
話を高校2年の冬まで早送りしよう。

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友人らが積極的に赤本を借りに行ったり、志望校の選定に迷っている最中、わたしは"行ける大学"探しに奔走していた。この時点で何人かからは冷たい視線を感じ、受験勉強のストレスの捌け口として、わたしの成績を馬鹿にするという行為に走っていかれたが、こればかりは全くの自業自得であるがゆえ、なにも怒る気にならなかったし、何よりいじめの少ない我が母校において、それ以上に仲良く付き合ってくれる友人がたくさんいた。

あるとき、ひとりの友人と教室の端っこで談笑しているときだった。
「本当に○○(友人)はすごいよな。受験も余裕でしょ?」という、頭の悪そうなわたしの問いかけに対し、「うん。でも僕はたまたま勉強が好きだっただけだから。」と返された。あちゃ。

彼曰く、僕は勉強が好きだった。現代の受験システムは、国社数理英ができる人が優位に立てるという仕組みだから、その点はラッキーだった。だけど、カタヤナギくん(わたし)の映画とディズニーの知識に僕が勝てる余地はない。でもそこに優劣はないから、たまたま好きなものが違うっていうだけじゃない?…ということだった。

あれが学校の昼休みじゃなかったら、わたしは大声で泣きじゃくっていただろう。本当に頭が良いとはこういうことかと思ったし、わたしの生きるべき道を説いてくれたかのような優しい言い方だった。

結局彼は普通に東大へ入学した。大学入学から1年後、某クイズ番組の某サークルメンバーとして、脳トレクイズを出題していたときには「東大まで行ってクイズなんかやってんじゃねぇ!」などという、おふざけLINEでひと盛り上がりもしたが、わたしのような、ぽやぽや大学生とは住む世界もまったく違うわけで、その後は大した連絡も取れていない。が、いつだって彼の言葉がわたしの学びの根底にあることは間違いない。

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さて、かなり前置きが長くなったが、わたしの"学び直し(ちゃんと学ぶということ)"は、ここから始まった。スロースターターが過ぎる。
大学は都内の私立大学の経済学部に入学したわけだが、あらゆる学問も講義も、映画やディズニーと結びつけ、とにかく学ぶことの面白さを突き詰めた。

具体的にはこうだ・・・

アダム・スミスという人物を学ぶとしよう。
18世紀にイギリスで活躍した経済学者・哲学者のスミスだが、これと映画やディズニーの知識を無理やりくっつけるという学び方である。

18世紀といえば、あの『美女と野獣』の初版がフランスで刊行されたときである。言わずもがな貴族である王子が、その野蛮な行為によって姿を野獣に変えられて、真実の愛を・・・という物語だが、実際にフランスではその後フランス革命によって貴族政治が終わりを告げる。ベルが自立的な女性として活躍するように、ヨーロッパを中心として、世界的にも個人レベルでの利潤追求を求める思想が強まってくる。この考えの第一人者こそ、経済学の父と呼ばれるアダム・スミスであり、資本主義社会を体系的に表した者として有名である。のちにウォルト・ディズニー・カンパニー自体が、映画とテレビの連携を実現したことによって、"資本主義の象徴"と揶揄されることも少なくなく、それは現代のディズニープラスにも見られる問題である。今年CEOに復帰したボブ・アイガーは………


・・・といった具合だ。

ひとつのキーワードを中心に、その前後でひたすらに好きなものを掛け合わせ続ける。ウィキペディアの単語検索を永遠に続けているような感覚に近いだろう。大学で初めて知ることも、高校時代に習ったことも、街中の広告も、友人とのくだらない会話も、恋人との惚気話も、すべてすべて数珠繋ぎようにして繋がっていく。"学び"とはこういうことかと、わたしの大学4年間はひたすらにこの遊び…もとい、"学び直し"を続けることで回っていた。

ちなみにこの勉強方法で、大学受験前最後の世界史のテストで学年1位を取ったことは後世に語り継ぎたい自慢である。とはいえ、志望校合格への点数には程遠く、結局高校の恩恵という恩恵にかぶりつき、おこぼれの指定校推薦で大学生になったというのが現実である。私文の指定校なんて、学歴界では最低の実績なのだろうが。笑
そんなわたしだからこそ、大学入学後には「世界史D(Disney)」という書籍を作ろうかと企んだこともあった(今でも企んでいる)が、ディズニーの権利とかそういうもので未だ実現には至っていない。
(someday 講談社さん will come~♪)

そんなこんなで、過去の小さすぎる自慢と実績を携え、美談ぶってはみたものの、無論これだけで単位は貰えない。どこまでいっても、"勉強は嫌いなわたし"だから、結局大学4年の後期まで単位取得に励む・・・という結末なのだが(それを早く学べよ)、誰がなんと言おうと、最も学びを深めた時期は大学時代だったと言える。サークルや部活に所属せず、友達も少なく、どこぞのコロナウイルスで半分も大学に通うことは無かったけれど、最高に楽しい大学生活だった。

***

昨今ではリスキリングやリカレント教育という言葉が広く謳われるようになった。わたしの姉は、2年前に会社を離れ、今は大学院生として大好きな哲学を学び続けている。学びとは何人にも常に開かれているものなんだよ、と姉はよく言っていたが、今ならその意味がよく分かる。

わたしの場合は、学び"直す"ではなく、初めて"学ぶ"ことばかりだったが、死ぬまでにその面白さを知ることができて、とても幸せだと思う。

そして、社会人になった今こそ、いつでも学び直しができる体力と柔軟な働き方を整えることで、この幸せを維持し続けたいと思うのである。
学び直しに早いも遅いもないんだよと、わたしが身を持って断言する。
そして、好きこそものの上手なれ、ともね。

そんな #私の学び直し である。


P.S.
もし高校生の読者がいるならば、頼むからこれを反面教師に。笑

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