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「哲学対話」に出会った話
募集中のお題に「2021年の出会い」というものを見つけ、ふとこの1年でお世話になった方々の顔が浮かびました。
コロナ禍も2年目に突入し、いよいよマスクも顔の一部、リモートワークも当たり前という世の中になり、より一層人との関わりが希薄に……なるかと思いきや、私個人としては過去最高レベルで人との出会いが多かった1年でした。
そんな多くの人と関わりを持った理由のひとつに「哲学対話」との出会いがあります。
皆さんは「哲学対話」をご存知でしょうか?
元々は子供の思考力を養うために始まった教育の一環のようで、それは哲学の何たるかを学んだり、ひとりで思索にふけるわけではない、複数人での対話を通じて、様々な考えを共有しては思考を深めるというコミュニティのことです。意見交換の延長線上にあるというと分かりやすいかもしれませんね。
残りわずかとなった大学生活、私が最後に履修した講義こそ、今回の主役、「哲学対話」というものでした。
私には4つ離れた(ちょっと変わった)姉がおり、彼女は学生時代"哲学科"に所属していました。そのため、哲学対話の存在を知ってはいましたが…改めて自分がその舞台に立つことはなかったため、これは良い機会だと思い、簡単そうに単位が…ではなく、興味の赴くまま選択したという経緯があります。
それまで講義のすべてがリモートへと切り替わり、学生時代の半分は弊学のキャンパスに立ち入ることも、教授や友人たちと顔を合わせることもなく、実に2年の月日が経っていました。そんな中で、この「哲学対話」だけは、実際に大学に出向き、見知らぬ学生たちと直接会って対話をするという、それだけでもとても貴重な時間でした。
授業では、毎週対話のテーマを教授が提示し、それについて約1時間、ひたすらに学生同士で対話を続けます。本当にそれだけです。笑
「自由とはなんだろう」
「大人になるとはなんだろう」
「人を好きになるとはなんだろう」
「プライバシーとはなんだろう」
「死とはなんだろう」
身近なネタから、これまでの人生で考えたこともなかったトピックまで…それは自分自身を見つめ直す時間であり、他者の価値観を取り入れる機会であり、とにかくその1時間、私の脳はフル回転です。
そして、この授業で扱う「哲学対話」には、興味深いひとつのルールがありました。
それは…
「一般論を持ち込まない、話していいのは自分が体験したことだけ」
ということです。
カントがこう言ってたから…ニーチェの本にこう書いてあったから…という始まりはご法度。私はその時こう感じた、こんなことを考えた、たとえ一般論を持ち込むとしても、それはパスカルの言ってることに対して私はこう解釈した…という切り口で話すことが絶対条件です。
巷では"論破"や"ディベート"といった対立関係にある会話劇がブームである一方、この「哲学対話」の世界は、ある意味とても新鮮で、それでいて人と人が話すことの基本がすべて詰め込まれているような気がします。
ひとつの意見から質問が生まれ、疑問から議論が生まれ、時に会話が死に、笑いによって息を吹き返す...会話ではなく対話、討論ではなく対話、こんな素敵な時間が世界中で同時に展開されたならば、社会が抱える大半の問題なんて一発で解決するのではないかと、そんな子供じみた夢まで見させてくれるようです。
「哲学対話」との出会いは、確実に私の世界を広げ、価値観の拡張を促してくれるものでした。ある時は、全く自分と真逆の人の意見を聞き、またある時は自分の思っていたことが確固たる自信に変わる、まさにそんな刺激的な時間と言えるでしょう。
みんな何かを言いたい。
みんな誰かに自分の話を聞いて欲しい。
そんな願いを叶える場所のひとつが「哲学対話」なのかもしれません。
How To講座や、誰かの引用文、代読やルールブックの紹介も良いけれど、私はもっともっと世の中のいろんな人の、心の奥底に抱えた気持ちと対話したいと強く感じるようになりました。
三者三様、十人十色、対話とは面白いものです。
そういう意味では、このnoteも文面を通じた他者との対話という意味合いが強いプラットフォームな気がしています。
「対話」のある人生を、世の中を構築していきたいと、2021年に私は「哲学対話」に出会い、ふとそんな野望を抱いてみたりしました。
そしてそのうち、
哲学対話ならぬ「シネマ対話」・・・実現させたいなぁ。笑
それでは。
皆さん、良いお年を。
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